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生きることって、感動することだと思うんです。

寒くなったからでしょうか、普段はあまり乗ってこない愛犬リンに、最近はよく抱っこをせがまれます。

そして、そのまま熟睡。おそらくコタツ替わりなんでしょうね。可愛くてぬくぬくしてるからいいんだけど、だんだん膝と腕が重みに耐えられなくなってきます。遠慮もなく、全力で体重を預けてくる愛犬、それでも可愛いも思ってしまう親バカです。



そんなリンを見てると、多少の心配ごとは吹き飛びます。



「何をそんなに忙しそうにしてるの?」



「ここは温かくて気持ちいいのに。これ以上のことないんじゃない?」


「いまを全力で楽しもうよ。」



そんなことを言われている気がします。





なんて生意気なw




この子は全てにおいて全力です。ご飯を食べる時も全力でガツガツ食べ、ジャーキーもらうとクルクル回りながら喜び、お散歩(おでかけ)に行くと尻尾をピンと立てて元気にウンチ、温かい布団(膝の上)で寝る時はいびきをかいて気持ちよさそうに寝ます。



今を全力で生きています。


これが最高の幸せ。僕もこの子には幸せでいてほしい、人間より寿命が短い分余計にそう思う。



犬の幸せは、人間とリンクしています。人間が豊かでなければ、犬は幸せだと感じません。犬はしゃべらないけど、鋭く人間のことを見ています。



僕が病気で苦しんでいた時、過去の亡霊に追われ、未来に不安を感じ、今を生きられませんでした。リンの顔も一緒に険しかった。エサや散歩は行っていたんですよ。でも、過去に撮った写真を見ると同じ犬とは思えないほど、まったく表情が違っていました。


僕の体調がよくなるにつれて、リンの顔も穏やかになっていきました。



まるで鏡のよう。


僕が少しずつ元気になっていくと、リンも今まで遠慮していたことをやめ、わがままになっていきました(いい意味で)。


僕は他の人が感動しないようなちょっとしたことでも、感動する時があります。


苦しかった時は、何にも感動する余裕がなく、他の人の当たり前は、僕にとっての当たり前ではなかったんです。


事故などで九死に一生を得た人のドキュメンタリーを見たことがあるのですが、やはり似たようなことを言っていました。



生きてるだけで丸儲け。


生きていることが当たり前ではないと、体験した人だけが言える言葉かもしれません。そして、その人は謙虚でした。


これは経験をしないとわからないことですが、人生の目線を変えることは僕たちにもできます。



生きることって、感動することだと思うんです。


失ったものに目をむけるのではなく、今あるものに目を向けてみる。


目を向けるところを変えると、違ったものが見えてきます。例えば、道端に咲いてる花を綺麗だと思えるかに似ているかもしれません。





こんな純粋な生き物が近くにいると、教えられることもけっこうあるんです。


今を全力で生きて、感動したい。じゃないと生きてるのがもったいない。膝の上で眠るリンを見てそんなことを言われている気がしました。






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セラ
いつも記事をお読みいただき、ありがとうございます。少しでもお役に立てれば幸いです。