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【小説】心霊カンパニア 『クレア・オーディエンス』

天狗倒し


 カーーーーン・・・カーーーーン・・・カーーーーン・・・・・・
 ミシミシミシ・・・パキパキパキ、バリバリバリバリ!・・・ドオォォォォォン!!!

≪たーおれーるぞーーーーー≫

 カーーーーン・・・カーーーーン・・・カーーーーン・・・・・・
 ミシミシミシ・・・パキパキパキ、バリバリバリバリ!・・・ドオォォォォォン!!!

 カーーーーン・・・カーーーーン・・・カーーーーン・・・・・・
 ミシミシミシ・・・パキパキパキ、バリバリバリバリ!・・・ドオォォォォォン!!!

 ・・・・・・
「ねえ、おかあさん・・・リスさんのおうち、無くなっちゃわない?」

《ふふ、心配無用ですよ。これは『天狗倒し』と申す、天のいぬが上空から地上へと舞い降りてくる音なのです》

「へぇ~、おそらにお犬さんがいるんだ!見にいってもいい?」

《それはおよしに。仮に天狗の仕業だったとしても、其処に行けど私たちには何も見えはせぬ。別に『空木返し』と云う、狐や狸とう畜生の仕業だったり『杖突き』という輩妖怪の場合、一緒に連れていかれ危険極まりないのです》

「ふ~ん、そうなんだ」

《それに、きこりが木を倒す音を真似て、その音に紛れ天狗もこっそり現世へとやって参るほどに人目を気にされる羞恥心の塊りですので、見に行かれるとこちらも心苦しくなりはしませんか?》

「そっか。うん、そうだね。分かった。ありがとう」

《・・・それでは、時間のようです。また、来年に・・・・・・》

「・・・うん」

 天井に向けてあずさは手を振り、母にお別れをした。例年、住職に教わったように玄関先で「送り火」を焚き、改めて部屋にある仏壇のお線香に火を灯す。両手を合わせて三日間だけの母との会話に想いを馳せる。


幼子


 カーーーーン・・・カーーーーン・・・カーーーーン・・・・・・

≪いくぞーいくぞー≫

 ミシミシミシ・・・パキパキパキ、バリバリバリバリ!・・・ドオォォォォォン!!!

 緑葉が最大限に活発化する葉月に聞いた時の様な、遠くからの微かな樵音ではなく今冬は、玄関先のすぐ近くから聞こえてきた。母に見るなと言われたことを忘れた訳ではなかったが、好奇心からか少しだけ玄関の扉を開けて家の中から覗いて見てしまった。

 しかし、母の言う通りそこには何も無い。

 がっかりと肩を落とし、また一人マヨヒガ迷い家屋敷に戻ろうとしたその時、ゆっくりと梓の身体が硬直する。

 《たのむ・・・助けてくれ!》

 頭の中で誰かが語りかけてくる。それは今までのような嫌なモノではなく、慈しみと悲しみに満ちた声の気配だった。

「だ・・・誰?」

 梓は少し怯えながらも、玄関に立てかけられた『梓弓』を手にして勇気を振り絞る。

《たのむ・・・この子が危ない・・・俺はいい・・・この子を・・・・・・》

 梓の脳裏にイメージが浮かぶ。そこには二才ぐらいの幼い男児が映っていた。

 恐怖心は自ずと掻き消えて、ゆっくりと樵音がした玄関先の扉を開けていく。
 頭だけを出して周囲をきょろきょろと見るが、やっぱりなにも無い。

《こっち・・・早く・・・意識が・・・・・・》

 右手にある竹林の方へと、声は頭の中から聞こえるが意識がそちらへと誘っていく。その方向へと弓を強く握りしめながら向かってみると、そこには先ほど見たイメージと同じ男児が寝かされていた。

《すまない・・・私は彼と成る・・・今、彼はもう彼に在らず・・・しかし、肉体に宿りし魂の残滓が、きっといずれは・・・・・・》

 梓の中に居たモノの気配が消えて、梓の緊張は搦め結ばれた紐を解く様に緩んだ。しかし、直ぐに屋敷の中へと戻らなければならないが、梓の足元に息を吹き返した幼子を放っても置けなかった。物事の分別が付き始めた頃の梓には少し重く重労働だったが、必死に健気に頑張って、男児を落とさない様に抱っこしながら屋敷内へと招き入れてあげた。


 玄関で、梓はひたすら寝ている男の子をじっ、と見ていた。初めてと言っていい、少なくとも梓の物心が付いてからは初めて見る、自分以外の自分とまだ年が近い人間の子供。只でさえ介抱の知識も無い梓もまだ子供だが、毎日来てくれる住職と霊体たち以外では初めてみる他者をどうすればいいかも分からずに、ただひたすら多数の幽体と共に見守り、そして住職の訪れを待っていた。
 


承諾


 毎晩、そして昼間に少しだけ、雲徳和尚は寺の行事が終わると梓が居る屋敷へと毎日欠かさず来てくれていた。梓の母が亡くなってからというもの、住職が「衣」「食」を工面してくれるようになり「住」と言えばマヨヒガ屋敷でしか住めないことは、梓も十分に痛いというほど理解している。

あっちゃん、もう大丈夫。この子の身体は掠り傷だけで、ただ眠っているだけのようです」

「・・・・・・」

「・・・ところで、この子はどこから?」

「テングさん」

「え??」

「テングさんが、おねがいって」

「ほぉ・・・天狗かぁ。・・・あっちゃんは、その天狗さん、悪い感じがしましたかな?」

「ううん、いい人だったよ。この子を助けてって。んで、この子になるって、ごめんねだって」

「この子、に成る?・・・あ、お熱あるかな?あっちゃん、おでこ触ってこの子のお熱を見てあげてみて?」

「・・・・・・」

 梓が住職に言われるがまま素直に目を綴り、男の子のおでこに手を当て温度を感じ取っていると、男の子の輪郭がほんのりとダブって見えた。手足の肌感がなんとなく木材のように木目を刻み、何かが憑りついているのが明確だった。が、梓が悪い霊の気を感じていないのと、今も触れた梓の身体へと移動し乗り移ろうとしない横たわる存在は、何か意味があってこの子の中に入っていると読み取った。住職はそっと、手にした数珠を懐へと戻す。

「おねつ、ないみたいだよ」

「じゃ、汚れたお身体をキレイ綺麗しましょう。手伝ってくれるかい?」

「うん!!」

 梓はまるで弟が出来たみたいに、どうなるかも分からない不思議な感覚で得も言えぬ好奇心と、これから一緒に遊んだりできるという今後の展望みたいなものをなんとなく見るような、なんとも言えない喜びを心の奥底に感じていた。


ヒミツの場所


ワンちゃん!こっちこっちぃ!!」

「はぁ、はぁ、まって、あーちゃん!!」

 梓と、何故か天の狗からワンちゃんと呼ばれるようになった例の男の子は、本当の姉弟の様にマヨヒガ屋敷で暮らすようになった。お互いまだ幼く子供故に、心を開くのも早かった。

 住職はその後もこの男の子の親を探しながらも、梓には良い遊び相手であり霊体ばかりとの関わりだけでなく、ちゃんとした人間・・・魂の半分以上は人間ではないが、ちゃんと物理的に肉体がある存在としての意思疎通が現世で行える者が、自分以外に出来たことに安心していた部分もあった。


「・・・ねぇ、手、かして」

 木漏れ日が燦々と差し込む草木の洞窟のような場所で、まるで天照大神が祀られていてもおかしくない程に陽光が平たく大きな冷たい岩を温めている。その上で、梓は住職にも秘密な特別の場所へと男の子を案内し、まるで儀式でもするように二人で向きあって両手を繋いだ。

「・・・なに?」

「目、瞑って」

 梓は両手を引き寄せて、お互いのおでこを合わせると、遠くから山びこが聞こえてくる。


 カーーーーン・・・カーーーーン・・・カーーーーン・・・・・・
 バリバリ・・・ドオォン・・・・・・


「・・・ねぇ、ワンちゃん、お空のおいぬさん、呼べないの?」

「なにそれ?そらに、ワンワン?」

「え?知らないんだ・・・なんだぁ」


 カーーーーン・・・カーーーーン・・・カーーーーン・・・・・・
 バリバリ・・・ドオォン・・・・・・


「・・・このおとはなぁに?」

「ワンちゃんは、この音から生まれたんだよ」

「おと、から?」

「うん!テングさんが、ワンちゃんをよろしくって」

「・・・テングさんって、だぁれ?」

「まぁ・・・またこんどねっ!」


拒絶反応


「・・・おっしょさん!きて!大変なの!ワンちゃんが!!」

 梓が泣きべそを搔きながら、お昼の見回りにきてくれた住職を玄関で待ち続けていた。急かす様に手を引っ張り、男の子が寝ている部屋へと誘う。

 はぁ、はぁ、と息が荒くなっている様子の男の子を見て、容態をチェックしていく。熱が高く、非常に危ない。

「あんね、朝おきたら汗いっぱいで、しんどそうで・・・お化けさんたちはなぜかみんな居なくなって・・・・・・」

 住職は男の子の胸に手を置いて、ぶつぶつと念仏を少し唱えた。

「・・・そっか・・・なるほど。あっちゃん、頑張ったね。もう大丈夫です。この子は私が一旦、預かるから安心して」

 住職は軽々と男の子を抱きかかえ、屋敷を出ようとする。

「・・・あ・・・・・・」

「・・・大丈夫。今、この子は頑張っているんだよ。この子と、ワンちゃん、そして、もう一つの存在のバランスを保とうとしている。私が責任を持って診ててあげるから、あっちゃんは応援してあげてて。きっと、この子にその想いは届くから。お母さんの時のように、ね」

「・・・うん!いっしょうけんめい、がんばれ!って、お祈りする!」

「ふふ、あっちゃんは良い子ですね。いつもと一緒です。あっちゃんが元気であれば、この子も元気。それに、これはあっちゃんの”所為”ではないし、この子の宿命、みたいなモノです。あっちゃんがいつも頑張っているのと同じみたいにね」

「そっか・・・じゃ、あのぶつぞうさんのお部屋にいくね」

「ああ、ありがとう。あ、でも、あっちゃんも無理はダメだよ。ご飯、ちゃんと食べてからにして」

「はーい。・・・ワンちゃん、がんばるんだよ」
 梓は男の子のほっぺにキスをして、住職が持ってきた昼食を持って奥へと小走りに向かった。


 ここ、マヨヒガ屋敷での『祈祷』はあまりにも危険過ぎた。梓への影響を懸念したのもあるが、まだ住職はこの男の子に憑りついているモノの正体が測りかねている。梓が気を許していることこそが他の何よりも信頼できることであることは分かっていはいた。しかし、善きモノだとしても気の迷いが生じることがあることを、住職は経験で知っていた。幽世に近いこの狭間の場所で、何者でも荒ぶることは現世か幽世で起きること以上の大惨事になることを、住職は過去に経験していたのだった。

「負の共鳴現象だけは、二度と起きてはならない・・・・・・」


劣等感


「どうして、私だけはダメなの・・・?」

「あっちゃん・・・分かっていますよね?」

「・・・・・・」

「あの子は、均等を、そして『共存』が出来たからこそ、今があります。あっちゃんだって、いつかきっと出来ます。絶対に。私は信じていますし、約束も出来ます。必ず・・・いや、しかもあっちゃんならこの能力を『掌握』できるんじゃあないか、とまで感じています」

 梓は泣きじゃくったり喚いたりもせずに、ただ一筋の涙を流し悲しんだ。

「それにあの子もそれだけじゃ無いよ。共存の結果、あっちゃんたちと同じ『能力』を持ってしまった・・・あっちゃんが今まで頑張ってきた修行を、これからあの子はしなくてはならないのです。だから、少しだけ時間を上げて下さい」

 梓は頭では理解をすでにしていたが、気持ちがそこまで追い付いてきていなかった。まだ、言っても子供だ。

中のモノとの共存が出来たから、外に出られる。良いことじゃないですか。でも、外と言っても私と寺での修行の日々で、どっちみち、一緒に遊んだりしてはいられない」

 梓は黙ってはいるが、ただお別れが寂しかった。初めての弟が出来たのに、初めて人間のお友達が出来たのに、もう離れてしまう。父と母とも離れてしまった悲しさと、今リンクしてしまっていた。

「あっちゃんは、霊魂たちと『繋がれる』。だからここでもそんなに寂しくはないはずです。勿論、それだけじゃ不満なのも分かりますよ・・・でもこの子はね・・・あっちゃんほど繋がれないんだよ。先に心と魂からの理解をしないと、誤解と恐怖だけが刻まれていってしまう。あっちゃんなら、その辛さが誰よりも分かるよね?そんなの、可哀そうでしょ?」

「・・・・・・うん」

「あっちゃんは強くて、とても頭も良くていい子だ。あっちゃんの中のモノにもきっと勝てる。そしたら、一緒にいくらでも外の世界でも遊べる。私も、そしてこの子も、一生懸命、頑張るからね。そしてすぐに戻ってこれるようにもね。だから、あっちゃんも頑張って!どっちが早いか、勝負だ」

 住職は精一杯の笑顔を梓の目線になって振舞い、梓の頭を撫でる。
 梓は必死に泣くのを我慢した。頑張っているのは自分だけじゃない。寂しいのは自分だけじゃあない。一緒に頑張っている仲間が居る。そのことだけを考えるように必死に誤魔化そうとするが、抱きしめる住職の胸の中で、震えるぐらいに悲嘆を露わにしてしまっていた。


書籍


「・・・ワンちゃん、またここに居たの?」

 そこはまるで図書館のように、多くの焼かれて処分された書物が作者の込めたその使命を果たせず、燻った残滓の如くこの国の隠された歴史を記す本などが沢山並べられている。その部屋に、十才前後となった男の子が寡黙に勉強していた。

「・・・うん。あーちゃんは気にならないの?ここや、僕たちのこの『能力』ことを」

「・・・そんなの、なんとなくで分かってるわよ。ただ、言語化できないだけ」

「そんなフワっとした感覚なことだけでなく、僕は知りたいんだ。何のために、そして何をするべきか・・・・・・」

「・・・今日、夜、暇?」

「え?なんで??」

「いいから」

「・・・分かった」

 梓のその真剣な眼差しに、ちょっと面倒くさいとは言えなかった。
 二人ともがまだ十代だが、甘えれる親が居なく由緒正しい寺の住職や御弟子さん等が唯一の知っている生身の人間であり、皆が落ち着き、悟った大人の環境での世界しか知らない二人にとって「子供らしさ」とは何かすら認識することは無かった。

 梓は多くの霊体と接触し、毎年の盆には母とも繋がれるが、肉体的なスキンシップも無く死者だという認識がハッキリとした今では、虚しさすら感じてしまっていた。生と死の狭間すら分からなくなり、自分自身が生きている意味が見出せずに、逆に、自分も死ねば母と同じ世界で繋がれる。そんな気すらしてしまう。

 同じ「時の流れに‘‘漂える”」かどうかも分からない。そんなことぐらい梓には理解していたが、このマヨヒガ屋敷という鳥籠に軟禁されてるままの状態に、今の「時の流れ」に意味は持てないでいた。

 唯一、この連続空間の後ろ髪を引かれているのは、梓にとっての姉弟と言えるワンちゃんと呼んでいる男の子の存在だけだった。

「夕食、何が食べたい?」

「・・・じゃ、パスタ」

「いつもの?」

「うん、ナポリタンで」


時空連続体(ミンコフスキー時空)


 今、現在、現世、そして、この世という世界とは同じ「時空間」に存在し続けて居られているモノ同士が認識し合っている。

 時間という概念は、人類が自分達同士の認識をしやすくしたモノであり、実際に「時間」というモノの存在はしない。
 そもそも「秒」「分」「時間」とは、この地球と月の自転、公転、宇宙規模からの『逆算』からでしかなく、それ以上でも以下でも無い。それですら、閏年うるうどしという調整が必要な0,24219日のズレがある不確かなモノであり、1という数字そのものに確実性なんてのも正確性なんてものすら無い。ただ人間たちの勝手な図り事の範疇である。

 まるでそれらは実体の無い幽霊、霊魂や不確かなに等しい。

 数学者とは、天文学という教えによる宗教家と等しく、科学に盲目となるとは過去の歴史的な盲信者たちとも等しいものだ。

 私たちのこの時空間に絶対的に等しいモノとは「光」「光速度」である。
 光の速度=時間の速度、が正しいとすれば、コンピューター内部、半導体がこの宇宙の真髄だと仮定し、そこに流れるエネルギー、電流速度が全ての世界基準となりそのアンペアが下がると世界は終焉を迎え、適正をオーバーすればヒートしてしまう。

 機械にとっての魂とは、流れる電流そのものを指して言うのか、電源のスイッチを入れた私たちにあるのか。

 ならば、脳内に流れる微粒のニューロンとシナプスを行き来する、インパルス自体を魂として見るのか、心と連動する心臓にあるのか。

 太古からのこの論争に終止符が打たれるのは、いつの日か・・・・・・


「・・・だから『死』とは、現在における私たちが把握できる連続した時間の世界から『外れる』ってだけであって、死者とは過去の残骸。私が話してきている霊たちってのも、それらは『過去の思念』であり、悪い言い方をすれば藁をも掴んだ現在って時間の流れにしがみ掴んで、それに引きずられているようなものなのよ」

「へぇ、その話も誰かの霊に聞いたの?それとも、あーちゃんの考え??」

「なんかの学者さんって人から聞いた。私たちが夜空に見る星の光も、実際は何億年、何兆年も前の光がやっと地球に届いて見えているだけのように、歴史とか過去、死者たちも、過去からの光、希望のような思念が現在も続いちゃっている。その元にはもう、存在なんてしてないかもしれない、それはもうただの発光体・・・日本の昔の人が言っていた『死んだら星と成る』って例え、ただ天に上ることだけを指していたんじゃないのかもしれないね。そう考えると、凄くない?そんな昔に計算機も無い時代で、そんなことまで解っていたのかな??」

「そんなの、分かんないよ。・・・ってか、で、何が言いたいの?」

「・・・私たちのこの能力って、様するに時間か何かがズレた感覚、霊魂たちが現在へと掴んだ藁のように、過去のナニカに引き寄せられてしまった・・・そう、正に掴まれた藁そのものがきっと、私たちなんだよ」

「・・・・・・」

「えっとね・・・だから、まぁ過去も大事なんだけど、これから続く現在からの連続していく未来の方が、百倍は大事ってこと、かな?」

「そんなの・・・分かっているよ」


樵音


 ・・・痛い・・・助けて・・・・・・

 いやぁ!お願い、やめてぇ!!

 こんなことって・・・そんなつもりじゃあ・・・・・・

 殺す、殺す、ぶっ殺す。

 ごめんよ・・・父さんをゆるしてくれ・・・・・・

 お前が、死ねばよかったのに・・・・・・


「・・・はあぁ!!」
 勢いよく、男の子は起き上がる。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ・・・・・・」

 汗だくで全身の筋肉に力が入ったまま起こされ、また眠りの邪魔をされた。ずっと聞きたくない声を聞かされては、夢でイメージを増長され悪夢しか映らない。脅迫的なナニカ達に接触したくないだけに、ずっと眠ることが嫌で仕方が無かった。
 年中、睡眠不足に晒され無意識化では色んな声が聴こえてくる。その殆どが苦痛と無念、怨念と恨み、懇願と哀願に押し寄せられ、実害の無い圧に押しつぶされそうになっていく。

 そんな時はいつも住職から頂いた数珠を握りしめ、教わった念仏を心の中で唱える。いつも左手に巻いてある数珠を触って探ると、在るはずの物がそこに無かった。焦って周囲を暗闇の中、手探りで当たると布団の外へと数珠が自身から離れた場所に落ちていた。

《そうだ・・・部屋の掃除をしていて・・・・・・》

 眠りたくないだけに、常に寝る気なんてない生活を繰りかえしている。しかし、気絶するかのように寝てしまっていた。そんなことがどうしても日常的に、頻繁に起こってしまう。

《・・・あれ?でも、どうやって布団の中へ??》

 それ以上そのことは考えない様にした。無心に、ただ数珠を両手に印を組み、念仏を唱えていく。


 カーーーーン・・・カーーーーン・・・カーーーーン・・・・・・
 カーーーーン・・・カーーーーン・・・カーーーーン・・・・・・

 遠くで樵が木を切っていく音が木霊する。

 カーーーーン・・・・・・カーーーーン・・・・・・

 どんどんとその音が、ドップラー効果のように遠ざかっていく。

 ・・・・・・

 樵の音が消えると同時に、それに追随し付き添うように邪念の声たちが消えて心も落ち着いてくる。

 これを一日に何度と繰り返さなければならないのか。
 常に意識を強く持たなければならなかった。

 住職と毎朝、毎晩、座禅を組む修行をする。だが、その度に無心の境地へと踏み込むと途端に邪念が聴こえてくる。冷や汗を流しながらまた念仏を唱え、そして樵音が鳴り響き共に消えていく。
 ・・・これになんの意味があるのだろうか。


「それはね、古杣ふるそまという音の妖怪なんですよ。別に何らかの危害を加えたり、危ないモノとかではありませんので安心しなさい。あなたの場合、古杣が守り神としての役割を担っています。だからもっと古杣に心を開き、そしてお互いが尊重し合った存在として、敬意を払えるように修行しなさい」

「・・・フル、ソマ?・・・・・・」

「妖怪だから悪、神様だから善、とは限りません。全ては適材適所、因果応報、好きこそモノの上手なれ・・・あれ?これはちょっと違いますね」

 男の子は住職のそんな言葉ですら、何故か救われていた。それは悪意が一切ない人の言葉だということに、この時はまだ気が付いていなかった。


蛍道


 特に悪気も無く単純な好奇心が多感に芽生えだし、良く言えば冒険心とでもいえる、誰しもが通る思春期へと差しかかるだろう時期。一匹のホタルが少年の目の前を横切った。
 庭先の掃除をしていた、黄昏が長くとばりを落とす季節。先ほどまで地平線上に居た暑い熱の根源は身を潜め、溢れ出ている陽だけを周囲に名残惜しむように照らしていた。

 どこから来たのか、その一匹のホタルは太陽とは反対側へと飛んで行く。
 寺の横道、森へと向かうその上にはもう、八分咲きの十三夜が顔を出していた。月読の世界へと入る時間だったが、少年はホタルが光る姿を一目見たく、後を追った。
 それと
 何かの声がホタルが飛んで行く方向から聞こえたような気もした。

 森の中へと入ると、そこはもう殆どが夜の世界だった。枝葉の間にはちらほらと白む空が見えはするが、数メートル先は殆ど見えはしない。追うホタルのお尻がほんのり光っているのが見えてきた。

 絵本でしか見た事が無かった、無数のホタルが川沿いを飛び交う地上の天の川。少年の心は少しだけ高ぶってくる。

 もはや目の前には一匹のホタルの光しか見えなくなっていた。ただ一点の光が道しるべのように、少年の足は前へと進む。

 一点が二点、三点と増えて行き、いつの間にか数えきれないほどの光が目の前を支配していった。

 ピチャッ・・・・・・

 足元から水が跳ねる音がした。それと同時に川のせせらぐ音がザーザー、チロチロ、バシャバシャと一気に聞こえ、驚きながらもじんわりと靴の中へと冷たい水が入り込み、靴下をも浸食していく。

 空はもう陽光は月が反射しているだけで、星空がホタルの光には負けないぞと言わんばかりに輝いている。ホタルたちも川の水面に自分達の光を反射させ、まるで光の点の応酬を少年は受けていた。

 川のせせらぎがまるでBGMかのように、光の乱舞が繰り広げられている最中

 やめて・・・お願い・・・助けて、いやだ・・・・・・

 懇願と哀願する声が明確に聞こえてきた。感動するシーンとは裏腹に、少年は恐怖で周囲を警戒しながらも、怯えてその場に蹲ることしか出来なかった。

 いやだ・・・死にたくない・・・どうして・・・・・・

 声が聞こえる方へと、少し進んでみた。川沿いとは少し奥ばった場所に、ホタルや月といった自然の柔らかな光とは全く違う煌々と一筋の閃光が見えてくる。少年はこのような神聖とも思えた場所で、こんな声が聞こえてはいけない。そんな正義感からか、この元凶は何かを確かめたくなってしまっていた。


 閃光が右へ、左へと忙しなく動く元が見える場所まで身を潜めながら進むと、そこには男性が大きなブルーシートに包まれたモノを抱えながら歩いている。直ぐに適当な場所でそのブルーシートを重そうに降ろし、その隣をスコップで穴を掘り始めた。少年の鼓動が激しくなる。男の声が、女の声に交じって聞こえてくるからだ。

 やめて・・・お願い・・・≪お前が悪いんだ≫
 どうして・・・≪俺の気持ちは分かっていたはずだ≫
 なんで・・・≪お前は俺のモノなんだ≫
 痛い・・・苦しい・・・≪くそっ・・・くそくそくそぉ≫
 助けて・・・≪ふふ・・・はははは≫
 死にたくない・・・≪なんだ?これ・・・気持ちいい・・・・・・≫

 ≪好きだ、ムカツク、興奮するぅ、俺なんて・・・、どうして、みんな俺を嫌っていく・・・俺は悪くない。世界が腐っている。ああ、俺の手の中で命が消えて行く。今は俺が支配している。気持ちいい。俺が、俺が、俺が、俺は・・・?≫

 少年は怒涛のような感情の声の波に襲われ、気を失った。



四十九日


「・・・おや。もう『失われた本棚』たちの処へ、『魂の図書室』へは行かれませぬか?」

 肉体的にはもう、大人と言っていいほどに成長した男が、蝶やリスなどの小動物に囲まれて、共に日向ぼっこでもしてるかのように岩の上で横たわっていた。

「・・・ああ、どうも。ええ、はい。最近は僕も梓さんに見習って、耳を傾けることにしました。あの時は、僕にそう言いたかったのでしょう?それが最近、分かってきたのです。歴史や過去というのは、どの立ち位置として、そしてどう受け取るかですら、結局、逆転すらしてしまう程に変動する。片方だけの情報をいくら知ったとしても、その本質は全く見えてこない・・・だからこうやって、色んなモノの声に焦点を定めて、梓さんの真似をして耳を傾け聴いてみることにしました。梓さん程、霊体や精霊たちに意志と意識を繋ぎ本心までは解読は出来ませんが、じっくり、噛み締めながら、自分なりの解釈でもいいから語りかけられてくる言葉を理解していこうと思います」

「良いことですね。その調子ですよ『古杣さん』。もう、能力についての畏怖や嫌悪は拭え払えたように見受けられますが?」

「・・・ええ。なんとか制御できてます。これも住職と梓さんのおかげで。本当に感謝してます」

 梓は目を瞑り、意識を別へと移動させ集中した。

「・・・和尚も、喜んで居られます」

「そうですか・・・これからは、僕が梓さんを守ります。雲徳先生とも、そう約束をしましたから。約束は、絶対に守ります。そうお伝え頂けますか?」

「頼もしい限りです。改め伝えなくとも、とうの昔にご承知みたいですよ」

 二人は目に涙を溜めながら四十九日を迎えて、石碑に架けられた数珠と空を見上げて微笑んだ。


『心霊カンパニア』
第一部
END

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