3. 俺の大学生活

 また1か月空いてしまいました.書きたいことはあるものの上手くまとめられず,だらだらと時間が経っていました.
 前回が卒論ひと段落したところでしたが,今回は無事,大学を卒業することができ,最後の長期休暇を非生産的堕落した日々を過ごしています.
 前置きはこんなところで,今回は大学生活が終わるということで,そのまんま大学生活であったことを書きました.大分ゴミ一部鬱なので注意.その分,反面教師にはなるかな?

まず,

 4年間過ごしてきて,勉強したものは少ないものの経験として多く学ぶことができました.大半は自堕落に過ごしていましたが,それに行きつくまでや行きついてからの苦労もありました.
 ※前提として,私は理系の情報学部にいました.

不安と慣れ

 大学に入学して,初めて東京で”一人暮らし”ってものをし始めました.正直,自分の部屋に置くものを買っているときは,非常に楽しかったです.「無印良品で揃えよう」とか理想な部屋をイメージしていました.
 しかし,実際に引っ越してみると,驚くことに”寂しさ”というもの知りました.いや,その時はそれが”寂しさ”という事にすら気が付くことすらできず,謎のストレスという認識でした.何しても落ちつかず,自堕落な生活とは正反対でした.当時の趣味はYoutubeで配信を見る程度しかなく,パソコンもなかったのでストレスしかたまりませんでした.2~3日後に,入学式の為再び両親と会うことができ,そこでストレスの原因は寂しさだったのだと知ることができました.さらに,それから数日経つと,PCとネットの環境が手に入り,満足しました.
 しかし,実際に学校が始まると,知り合い誰もいないのに,大学となると能動的に動かなければ取り残されてしまうので,何時に何処へ行けばいいのか確かめるが,見ている情報が正しいかどうかすら判断できないので,そこでもまたストレスがたまりました.くだらないことかもしれませんが,それですら自分はなかなか堪えました.
 また,授業が始まっても周りには専門学校へ通っていた人や趣味としてプログラミングをしていた人も多く,開始0秒で取り残されました.何も考えず「PCを日常的に使っているから」という理由で学部選択した自分を憎みました.
 まあ,それでも世界とは残酷で優しいもので,意味が分からないが,なぜか課題ができ,なぜか単位をとれるものです.当時は,エラーが起こればTA・SAに質問という名の委託をしていました.評価は阿保みたいに低いですが.
 それからずっとプログラミングについては,完全な付け焼き刃で乗り切っていました.でも,関係のない教養やビジネスについての授業は真面目に取り組みましたよ?

 その調子で,勉学はある意味安定していたので,プライベートの環境をよりよくするために,ノートパソコンのほかに高性能なデスクトップを自作()し,高性能なデバイス一式集め,自堕落な生活へとなだれ落ちました.
 休みがあればゲーム,時間があればゲームをする日々.気が付けば二十歳を越し,酒とゲームに溺れていました.

就活

 気が付けば3年の春休み.誰もが抱えるであろう,就活をしなければならない重荷とやりたくない自分.それでもやろうと,思い立つが”コロナ”の影響で,延期によって完全に出鼻を挫かれました.こんなことで出鼻を挫かれる自分も悪いですが,時期的に就活スタートしているのにもかかわらず,ピンとこず,だらだらと過ごしてしまいました.
 結局,本格的自分が活動を始めたのは6月くらいになってからでした.でも,どこかですぐ就活終わるだろうと思っていましたが,志望していた企業からのお祈りメールが次々届き,夏休み少し前,絶望しながら無料の就活相談を利用しながら,9月にどうにか地元企業へ内定をいただくことができました.


 この時点で4年の後期,なにか足りないと思わないだろうか?


卒業論文・研究である


卒論

 テーマ決めはこの時は決まっていたものの,最終日に強制決定のため,穴だらけであり,付け焼き刃で通してきた自分には到底できるような代物でないため,何をしていいか全くわかっていなかった.
 たとえば,カレーを作るとして材料として野菜,カレールー.器具として鍋,包丁を使うってのは分かっているが,それ以外が分からない状態である.なんの野菜?切り方は?時間は?順番は?といった感じである.
 ふんわりとしか知らないまま,まあ部分的にテキトーに作っちゃえっと思いネットに乗っているサンプルをコピペしていた,週一の定期報告も「できた部分」や「部分的なエラー」を報告し,言い逃れてきた.


 気が付けば,1月.
卒論の修正を周りの人らが余裕かましてしているなか,研究室に一人.
           確実に迫りくる卒論提出.
   まだ2割も届かぬ制作物.
              相談すら怖く何も言えない自分.
       焦っているのに,何をすればいいかわからない自分.
止まらぬ吐き気.
   検索欄に「卒論 留年 死にたい」.
                   止まらぬ絶望の涙.
親からの連絡も返信すらできない申し訳なさ.
        留年したとしても,卒論からは逃れられない絶望.
留年内定取り消し.
   再び就活の絶望.
          大学4年まで教育費を払ってくれた親への顔向け.



 帰りのバスのなか,ふと電話が鳴った.母親からだった.バスの中だったため,出ることができなかったが帰宅後,電話をかけなおした.
 最初は,割と普通に話すことができていた.健康のことや,ご飯を食べているかの確認や,実家の話をした.そのあと,とうとう卒論の話題に移った.
 ちゃんと喋り説明しなければならないのに,必死に感情を抑える分,もう,返事しかできなくなっていた.それ以上口を開けたら,決壊してしまいそうになるのが分かっていた.しかし,時間の無駄だった.
 22の男が親の前で情けなく泣いた.止めようにも止まらなかった.励ましの言葉をもらい,先生に相談することを約束した.

 次の日,先生に素直に打ち明けた.「は?」と言われ,私自身の思慮の浅さについて散々指摘された「考えるということをしていない」と.そのあと,それでも手を差し伸べて頂いた.
 残り1週間と3日くらいだったと思う.あれやこれや相談し,技術的な面でもサポートをもらい,残り一週間.
 それでも間に合わないため,テーマ変更を言い渡された.意味が分からないが,従う以外選択肢がなかった.そこから1週間はもう,光速だった.
 大枠を理解し,プログラミング,実験を行った.残り4日.
 2日で論文を書き,提出,修正を繰り返し,どうにか提出までこぎつけることができ,発表を終え,無事学位をいただけました.

最後に

 考えてないんだなーって思い知らされました.はい.考えていません.学部選択も,プログラミングも,卒論も.もしかしたら内定先も...
 読んでいる学生や自分から自分への反面教師になるんじゃないかと思いました.



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