旅にでよう! オランダ・アムステルダム編
娘のオランダの大学院 in Maastricht
娘がドイツの大学を修了し、オランダのMaastrichtに留学していた。そこを終了する前に一度訪問しようと思っていたのでオランダへ出掛けて行った。
娘がミュンヘンで大学に行っていた頃パンデミックとなり、大学生活とは程遠い学生生活を送らなければならなかった。友人、交友、交遊といった類の経験がほぼない学生生活。私には想像できない。
パンデミックが過ぎ、大学生活が終了しようといた頃に「オランダの大学で、その上に進んでは?」と提案した。娘もオランダで諸外国から集まった留学生らと英語で学べるのは魅力的に思ったらしく、早速大学への留学申請や住まい探しに奔走した。住まいは学生4人が借りているシェアハウスでちょうど1人が出ると言うことで入れることになり、トントン拍子にことが運んだ。と、書くととても簡単そうだが実際は非常に手間がかかる。
何かをやろうと決めて現地に行き、住まいを探す。「絶対見つける!」と言っていた娘。見つけたのだ。「転んだ時に石ころを一個つかんで立ち上がれ」と私は母から聞かされていた。私も子供達にそう言っていた。その石ころが後で窮地を救ってくれたりもする。
今回は娘の「石ころの奇跡の話」は省くが、Maastrichtはヨーロッパではちょっと知られた学生の街なので学生が多い。その数に比して学生寮が足りない、娘はまず学生寮は空いていないと言われ、不動産巡りをしたがワンルームの学生向きアパートも空きがなく、残りの可能性は学生達が一緒に借りて住んでいるシェアハウスにアクセスできるか否かだった。石ころのお陰でシェアハウスの1室をゲットできたのだ。住まいが見つからず留学を断念や延期せざるを得ない学生が多い中、幸運の女神が彼女に微笑んだのだった。
要領がいい、ちゃっかりしている、ラッキーガール。彼女がよく人に言われる言葉だ。いつもニコニコしていてあたりが柔らかい。恵まれた環境の中で生まれ、何不自由なく育ち、、、?そんな訳はない。人が見ていないところでの努力は頭が下がる。3ヶ国語を自由に話せると言うのは並大抵のことではないのだ。言語だけに留まらず、彼女が得てきた学習成果も人よりどれだけ多く勉強したかである。地頭がいい?いや、彼女は地頭はよくない方かも。まず最初に失敗するタイプだ。そこから2つくらいは学びとる能力がある。そこが素晴らしい。
どうか好きに生きよ!つまずいたら反省なんかせず、環境を変えて仕切り直せばいい。なんとかなるものだ。
ドイツ・ミュンヘンから電車でMaastricht経由でアムステルダムへ
ヨーロッパで電車で移動するのは毎回とても苦労が多い。日本ではあり得ないことの一つに「電車が予定発車時刻前に発車してしまう」ということ。日本でノホホンと生活していると予定の時間よりも自分が駅に先に着いた場合、電車が来ると思い電車を待ってしまうのだ。ヨーロッパの場合、駅に到着したらまだその電車が来ていないか確かめる必要がある。
それと共に、その電車がやってくることが変更になっていないかどうか確認することが必須だ。昔ヨーロッパに住んでいた頃、私もこんな単純なことが「腑に落ちる」まで時間がかかった。しかし慣れてしまえば屁のカッパ、ヨーロッパの日本と異なる暮らしのほぼ全ての違いをアクセプトできたものだが、今現在、当時の屁のカッパの行方が不明となった。イラついた。日本に暮らしていると公共交通機関は時間通りに来るのが普通であると言う体質になる。
ありがたいことに昔との大きな違いは今はiPhoneがあることだ。
ミュンヘンから乗ったローカル電車が当初の到着駅までいかないと車中でアナウンスがあり、急いで娘に連絡した。「その2つ前の駅で降りて、準急に乗り換えて!その準急は本当はママの行き先の駅に停まらないけど、今乗ってる電車が変更になったからその準急がそこに停まる!」 こんなこと、、、どうやって知り得るのだ、一介の観光客が。娘がオランダの交通のサイトを見ながらサポートしてくれたお陰で2度の乗り換えを経て無事にMaastricht(マーストリヒト)に到着することができた。
「Maastrichtは小さい街よ」と娘は言っていたのだが、そうでもない。駅を出てMaas川に架かる橋を渡ると賑やかな市街地に入る。街の中央広場には午前中市が開かれる。八百屋、果物、チーズや肉なんでもある。曜日によっては生地や衣類の市の日もあると言っていた。ショップ巡りやカフェも多く、実に楽しい。「良かった、娘が大学の帰りに友達とこういうところでコーヒーを飲んでお喋りできて」そう心から思えた。大学や、終了後に証書が授与される会場となる教会などを案内され、娘のシェアハウスに到着。同居人の数名が在宅中で一緒にランチを食べながら話ができて嬉しかった。
その日はMaastrichtに宿泊して翌日また娘にサポートしてもらいながらローカル電車でアムステルダムに向かった。この電車の旅はオランダの首都行きなので簡単だった。
オランダはナンデモアリ
オランダで「Coffee Shop」というと合法の麻薬を売っているところ。日本で言うところのお洒落で美味しいコーヒーが飲める「café」とは一線を画す。
ある通りはsex shopがずらりと並ぶ。窓には妖艶なお姉さんがセクシーポーズを取りこちらを誘う。ダイナマイトボディのオネエサンがワタシを呼んでいる。目が合って一瞬戸惑う。(同性もありってことね?オールマイティのアピール?)
からかっているのかぁ? ハハハハハハ
オランダはナンデモアリだ。
映画「プラン75」を観た。 安楽死(消極的尊厳死)を法律的に認めている国々
その国々とはどこか、ネットでサーチした。私は以前オランダの安楽死の記事を読んでいたからオランダにはその法律があると知っていた。その後も合法的に認める国々が増えていった。ご興味のある方はサーチしてみると良い。今回アムステルダムを訪問するに当たって少しでもクリニック情報を得たかった。
それは、なぜか
ここからはあくまで私が思うこと。
もし歩けなくなったら?自分で自分の事が出来なくなったら?私は何を思うのだろうかと想像してみたが何も思い浮かばないのだ。それをアクセプトしている自分はいない。
だとしたらその時を以て私の人生の終わりにしたい。
しかし、どうやって?自死する際に家族を周りに置くことはできない。それが合法である必要がどうしてもある。
私の理想はベッドの周りに家族がいることだ。最後にみんなに会える。皆んなにとっても再会のチャンスになるといいから素敵なホテルをとっておこう。荼毘に付して灰になるまで2日で済むように予約しておけば皆んなにもあまりお邪魔にならないか?などと考えたり。灰などもそこで廃棄してもらえば手間要らず。灰に何の意味もない。
皆んなが解散する前の晩のためにスペシャルディナーなども予約しておきたい。
著書「DIE WITH ZERO」には何が書かれているだろうか?まだ読んでいない。おそらくいくらお金があっても死ぬ時に持っていけないから、生きている時に経験に遣え、、、的なかな?
もし死ぬ日が分かったらこの著書のタイトル通りゼロにできるだろう。
60歳を過ぎたある日ふと死について考えたのだ。自分の人生はどのように続くのか考えてみたのだ。「何が不必要で何が必要か」このこと自体は常に考えて来たことだが、人生の終盤に至っては美しさがより重要だと思った。そうでなければ子供達の記憶に私は残らないだろう。
166cm・50kg 今のわたしだ。日本にいれば週に3日はジムでトレーニングするからデータでは30歳と出る。なにがどうでても時は戻ってくれない。近年は食事をより分析して料理して食べている。タンパク質が重要だと言うことはトレーニングしてみて実感する。
自分で可能な限り努力して「歩ける期間」をのばす。
私は今でいうミニマリストだ。娘がそう言っていた。今に始まったことではなく最初からそうだ。物など持たない。最近はネットバンク、ネット証券、ワン・パスワードなどと言うものができて全てオンラインで管理ができる。紙の書類などほんの僅かだ。余計な保険の類もない。あ、あった。ネットで傷害保険がある。その名もugokuだったかな?私っぽい。
自分でいくら自分の死ぬ日を決めても、事故とかで突然逝くこともあるだろうから子供達が即座に処理できるようにしてある。
突然逝くとホテルもスペシャルディナーも用意できないが、家の中はいつも伽藍と片付けてある。コップ1つでも使ったら洗って拭いて棚に戻す。自分が帰宅する時もとても気持ちが良いものだ。道や買い物途中で会った知人に「うちでコーヒーなどいかが?」といつでも誘えるし。
私が死んだ後に、私の残したガラクタの後始末を子供達に遺したくない。その手間を掛けない時間分、私を思い出してもらえたら幸せだ。
映画「プラン75」の終盤を私がどのようにみたか。
酷だと思った。孤独な者たちが申請した日にたまたま居合わせて、死に際に独りぼっちじゃなくなったと言うのに、一体どんな貧乏くじを引かせてくれたのか、これ以上彼女に何を強いるのか?
なんとも言えない後味の悪さだった。
「人は生まれてから死に向かっている」と表現されるが、こう言う表現は私の胸をつっかえさせる。「時間の経過」としたら生物皆そうなのだから。
一見、文学的に思える表現で実は中身がない表現を人々はよく口にするがそれよりも、子供がある年頃になったら「死ぬ時にどうでありたいのか?なぜそう考えるのか?そうなるにはそこまで何を成したらいいのか?」話すべきである。賢い子供なら逆に「え?そう聞くお母さんの最後の時は?」と聞き返すであろう。聞いている方に自分自身のビジョンがないと会話にならない。
ましてや、「私の老後の面倒はあなたがみるのよ。そのために産んだんだから」などと聞きたい人間はゼロ。さて現実はどうであろうか?