38年前に初めてサイクリングをしたときの話
1986年5月3日土曜日,この日は3連休の初日で,13歳の僕は初めてのサイクリングに行くつもりをしていた.準備は前日のうちに済ませてありバッチリだ.
ところが,その日は朝から雨が降っていた.僕はリビングの窓から外を覗き込みながら,「いつやむのかなぁ?,走りにいきたいなぁ 」とソワソワしていた.
サイクリングをしてみたくなった理由
サイクリングをしてみたいと強く思ったのは,その年の1月頃だったと思う,もともと小学生の頃から鉄道旅行が好きで(といっても,東北地方に住む祖父母の家に行くくらいだが),特急列車に乗って車窓を眺めるのが好きだった.
鉄道に乗っていて山に近づくと「あの山の麓や山の向こうには何があるのだろう?」と思い,海沿いの路線では「この景色をもっとゆっくりと眺められたらいいのに」といつも思っていた.
テレビでNHKのツール・ド・フランス 総集編を見たのも,ちょうどその頃だった.前年8月に放送されたものの再放送であったと思う.
それを見て「ロードレーサーってかっこいいなぁ,あんな自転車に乗って,いろんな山や海の景色を見にいけたらなぁ...」と思うようになった.
人生最大の奇跡的な出来事
そんなある日,自転車を買ってもらえそうなチャンスが訪れた.
僕は小学生の頃からずっとそろばん塾に通っていた.8級から3級までは順調に合格してきたが,2級の検定試験が不合格続きで,もう1年以上ずっと2級の練習に取り組んでいた.中学生になるとそろばん塾を辞める人も多く,自分もなかなか合格できないので,そろそろ諦めようかと思っていた.
そんある日,母から「次の検定試験で2級に合格をしたら自転車を買ってあげるよ」と言われた.当時,僕は自分の自転車を持っておらず,出かけるときには,いつも親のママチャリに乗っていた.そろそろ,自分用の自転車があってもよいだろう...と考えてくれたのだ.
しかし,僕は2級の合格にはまったく自信がなかった.なぜなら,300点満点のうち240点以上の獲得で合格となるところ,普段の練習問題での自己採点はいつも200点程度で,一度も合格点に達したことがなかったからである.
2月に2級の検定試験を受けた.自転車を買ってくれると言われていたものの,今回もどうせダメだろうと半ば諦めていた.
ところが奇跡が起こった.
「2級に合格してしまったのである」
練習で1度も合格点に達せず,全く自信の無かった僕が...なぜか本番で...
本当に,これは僕の中で,いまだに人生最大の謎であると思っている.
そして,これはその後の僕の人生を大きく変えることになる出来事でもあった.
はじめてのドロップハンドル車
2級の検定試験に合格したので,約束通り,自転車を買ってもらうことになった.近所の自転車屋がブリジストンとセキネサイクルの取り扱い店となっており,早速カタログをもらってきて検討した.
僕が一番欲しかったのは,セキネのカナディアンロード.
細いタイヤで,余計なものが一切付いていないフォルムが,カッコよかった
ところが,カナディアンロードは一番安いものでも7万円もする.
親は予算は5万円までだと言う.
これではロードレーサーは買えない.
予算内に収まるのはブリジストンのロードマン コルモくらいである.
「カナディアンロード」と「ロードマン」
親から見れば,27インチのドロップハンドル車ということで,同じようなものだと思うのだろうが,僕にはまったく別のものに見えた.
ロードレーサー,スポルティーフ,ランドナーなどの,本格的スポーツ車には,スタンド,ディレーラーガード,セーフティーレバーが無く,そしてクランクには余計な装飾が付いておらず,ハブにはクイックレバーが付いていた.
逆に,ロードマンには,スポーツ車に付いているべきでないそれらの部品が付いており,クイックレバーは付いていなかった.
だから,僕はロードマンは純粋なスポーツ車ではなく,スポーツ車風のドロップハンドル車,今風に言えば「ルック車」なのだと認識していた.
それでも,予算の制約からロードマンにせざるを得ず,しぶしぶスーパーコルモのシルバーを注文した.セーフティーレバーは「有り」と「無し」が選択できて,価格は変わらなかったが,もちろん「無し」を選んだ.
3月に注文をして,納期が3週間くらいかかって,4月中旬に届いた.
届いたその日のうちに泥除けとスタンドとディレーラーガードを取り外した.少しでもロードレーサーっぽく見えるようにしたかったからである.
はじめてのサイクリング
ここで,冒頭の1986年5月3日に戻る.
自転車を買ってもらうに際して,親とはひとつの約束があった.
僕はその頃,神奈川県の綾瀬市に住んでいた.サイクリングで出かける際には,少なくとも中学生の間は,綾瀬と隣接する市,つまり,大和市,藤沢市,海老名市,座間市から外に出ないという約束である.
だから,5月3日のはじめてのサイクリングも「ちょっと海老名の方まで行ってくる」とだけ言ってあった.
雨が降り続く窓の外を,リビングから何度も眺めていた.
よっぽど悲しい顔をしていたのだろう...
「そんなに走りに行きたいなら,行ってきたら? 」と母が言ってくれた.
OKが出た!
着替え,タオル,地図のコピー,水筒,カメラの入ったリュックを背負い,自分が持っている服の中で,一番サイクリストっぽく見える青の半袖シャツを着用し,その上からカッパを着て,意気揚々と出発した.
実は「海老名に行く」というのは嘘で,僕は最初から清川村にある半原越に行くつもりをしていた.
家から一番近くて,一番林道っぽい山道がそこだったからである.地図で距離を測ると往復55kmで,5時間くらいで行って帰ってこれると見込んでいた.
何日も前から,地図を眺めながら「どんなところなんだろう? どんな景色なんだろう?」とワクワクしていた.
厚木に出て,国道412号を山に向かって進んだ.
走っているうちに雨は止んだが,路面は水浸しである.泥除けが付いていないと背中に水が勢いよく跳ねて,たいへんなことになることを初めて知った.
これから登ることになる山の方向を見ると,そこだけ靄っていて雲がかかっているのが見えた.
国道から山道に入ると,車の走らない静かな道になった.
一番軽いギヤにして,すこしづつ進んでいく.
沢に水が勢いよくながれる音が聞こえてきた.
途中で急傾斜が100m以上続く直線があり,ここで自転車を漕げなくなって降りてしまった.この急傾斜部分だけコンクリート舗装になっており,「道路にはアスファルトではない舗装もあるのか」と思った.
ここから先は自転車を押して歩いた.
しばらくすると,「清川村」と書かれた標識が見えた.ここが愛川町と清川村の境界なのだ.地図と照らし合わせて,自分の位置がわかった.
半原越まではもうすぐだ.
ずっと押しながら歩いて,ようやく半原越に到着した.
三脚を立てて,カメラのセルフタイマーで記念写真を1枚だけ撮った.
ちゃんと写っているかどうかは,わからないが...
半原越は切り通しのようになっていて,反対側の景色が見えた.
「峠ってこんな感じなんだ」と思った.
少し休憩をしてから,清川村側へと坂道を下った.
こちらは登りと違って,舗装されていない砂利道であった.
転ばないように,ゆっくりと下った.
法論堂の集落に近づくと舗装路となり,快適に下ることができた.舗装道路のありがたみがよく分かった.
しばらくすると,県道「伊勢原・津久井線」に出て道が広くなり,清川村役場前を通過して快調に下った.
途中でロードレーサに乗ったひとりのサイクリストが反対側から登ってくるのが見えた.
すれ違う直前に向こうが右手を挙げてきた.
わけもわからず,僕もとっさに右手を挙げた.
自分もサイクリストの仲間入りができたような気がして,とても嬉しくなった.
雨はすっかり上がって道路も乾き,空には晴れ間が広がっていた.
僕のサイクリストとしての第一歩はこうして始まったのでした.
終わり
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