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リアル80年代のロードレーサー: 高校生の時に出会ったスゴイ人の思い出
こんにちは
自転車が大好きなSilicate meltと申します。
インターネットでロードバイクのことを検索すると、
「世の中、いろんな人がいるもんだなぁ」
って思います。
例えば、
ロード、シクロ、トライアスロン、MTBの全方位に詳しい人とか…
歴50年で、これまでに新車を何十台も買った人とか…
自分でカーボンフレームを作っちゃう人とか…
でも僕は、「新車の購入」という観点では高校生の時に出会った "彼" 以上にスゴイ人は、いまだにネット上でも見たことがありません。
このnoteではそんな "彼" の思い出について書いてみました。
中学生の時、H君という友達がいた。
H君はサッカー部に所属するヤンチャ系の陽気で明るい奴だった。
僕はH君と同じクラスになったことはなかったが、友達の友達繋がりでH君と知り合い、お互いの家に遊びに行く仲になった。
H君は兄貴のお下がりの赤いロードレーサーを持っていたので、それで一緒に裏ヤビツにツーリングに行ったこともあった。
高校に入学してすぐのある日、H君から電話が掛かってきた。
「君に会わせたい奴がいる。明日午後4時に来てくれ」
とのことであった。
僕とH君は別々の高校に進学したのだが、なんでもH君が入学した高校にロードレーサーで通学してくる奴がいて、声を掛けてみたというのだ。
なお、H君は自転車そのものには詳しくないので、声をかけた彼が乗っているロードのメーカーはよくわからないとのことであった。
「ロードバイク」は今でこそ比較的多くの人が楽しむメジャーなスポーツ&趣味となったが、「ロードレーサー」と呼ばれていた当時はマイナーでオタクでネクラな趣味で、ロードに乗る人がとても珍しい時代であった。
(ちなみに、私が通っていた某高校には全校で約1500名の生徒がいたが、チューブラータイヤで通学していたのはワタクシひとりだけでした(笑))
翌日、僕は学校が終わると、待ち合わせ場所であるH君の通う高校の正門近くの〇〇商店に向かった。
初対面だし、こちらも正装で行かなきゃということで、僕は通学用のサブのレーサーではなく、その日はメインのRALEIGHに乗って行った。
当時最新の7速SIS仕様のシマノSanteとLOOKペダルにカンパのリム
自分でアセンブルした自慢のレーサーであった。
「さて、相手はどんなレーサーで来るのかな?」とワクワクしていた。
僕が先に着いて、しばらくしてからH君が "彼" とともにやってきた。
H君が連れてきた "彼" は名をY君といった。
Y君が乗ってきたのは、
カンパ C-RECORD仕様の青のDE DOSA
なのであった。
大体こんな感じ↓
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相手が何に乗っているのかも知らずに「走り屋同士でオフ会しようよ!」 と行ってみたら、自分はヤリスGRなのに、相手がフェラーリに乗ってきた。
要するに、そんな感じである。
僕:「えっ、これで通学してんの?? 」
Y君:「そうだよ」
これには、とにかく驚いてしまった。
当時、生産中止になっていたC-RECORDのデルタブレーキの改良版が出たばかりの頃で、本物を見たのはこれが初めてであった。
そして、コロンバスSLXのパイプで組まれた青のDE ROSAがうっとりするほど美しかった。
自分のレーサーの自慢も紹介もする気が失せてしまった僕は、Y君のDE ROSAに完全に見惚れてしまったのであった。
Y君と初めて出会ってから3ヶ月経った頃のある日
H君、Y君、僕の3人で湘南海岸にツーリング行くことになった。
僕は、またY君のDE ROSAを見ることができると思い、ワクワクしていた。
ところがその日、Y君が乗ってきたのはDE ROSAではなかった。
彼が乗ってきたのは、
カンパ C-RECORD仕様のBottecchia
なのであった。
大体こんな感じ↓
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出典:https://vintageveloberlin.de/shop/Bottecchia_Equipe_SLX_SHOP.php
1989年、不慮の事故で大怪我を負い引退の危機にあった Greg Lemond が3年ぶりにプロロードレース界に復帰し、ツール・ド・フランスで伝説の8秒差の逆転優勝を遂げた。
この時ADRチームの Lemond が乗っていたのが、コロンバスSLXのパイプで組まれたBottecchia(ボテッキア)
Y君は、その Greg Lemond が乗っていたのと全く同じ Bottecchia に乗ってきたのであった。
DE ROSAを組み替えた訳ではなく、完全な新車だそうである。
ちなみに、このBottecchiaの印象が強烈すぎて、湘南海岸のツーリングのことは全く覚えていない(笑)
湘南海岸に行ってから、さらに三ヶ月くらい経ったある日、
H君、Y君、僕の3人で再びツーリングをすることになった。
僕は、Y君のC-RECORDが見られることを楽しみにしていた。
なにしろ、C-RECORDは雑誌やプロショップの展示車くらいでしか見たことがなく、実車のデルタブレーキやレコードの縦型リヤメカが動いている様子なんて滅多に見られなかったからである。
ところがその日、Y君が乗ってきたのはDE ROSAでもBottecchiaでもなかった。
彼が乗ってきたのは、
74デュラのLOOK KG76 KEVLAR HINAULT
なのであった。
大体こんな感じ↓
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カーボンフレームは70年代から存在していたが、ロードレースの世界でその性能が認められるようになったのは80年代中頃からであった。
1986年、まだクロモリフレーム全盛期の頃
LOOKが最初に市販したカーボンフレーム、KG86に乗った La Vie Claire チームの Hinault と Lemond がツールの山岳ステージでワンツーフィニッシュを成し遂げ、Lemond が総合優勝した。
カーボンフレームの時代はここから始まった。
これをきっかけにして僕はLOOKの大ファンになった。
高校生の頃、「いつか僕もお金を貯めてLOOKのカーボンに乗るんだ!」
と思いつつLOOKのカタログを眺め、あれこれ想像をしながら楽しむ日々を過ごしていた。
Y君は、その憧れのLOOKのカーボン
しかもグレーのラグで組まれた超カッコいい KG76 の実物に乗ってきたのであった。
これにはDE ROSAとBottecchia以上に驚いてしまった。
もちろん僕は、細部までじっくりと拝見させてもらった。
もう美しすぎて、ため息しか出なかった。
ちなみに、この KG76 の印象が強烈すぎて、そのときどこに走りに行って、どんなツーリングであったのかは全く覚えていない(笑)
Y君は元々レースに出たり、あちこちサイクリングをするタイプではなく、ロードレーサーそのものが好きなので所有しているという感じであった。
またH君はその後、家の前に無施錠で置いていたロードを盗まれてしまっていた。そのためそれ以後、僕がH君、Y君と走りに行くことはなかった。
今となっては「ビンテージ」と呼ばれる古いモデルばかりなので、
若い人には伝わりにくいかもしれない
Y君が乗っていた DE ROSA, Bottecchia, LOOK を現代に例えると、
カンパ Sレコの PINARELLO DOGMA で高校に通学して
カンパ Sレコの TREK Madone と R9200デュラのLOOK 795
でポタリングをする感じだ。
H君から聞いた話によると、Y君の家は自営業だか会社を経営するだかしていて、相当なお金持ちらしかった。
当時の僕には、羨ましさとか、妬みみたいな感情は全く生じなかった。
Y君に素晴らしいロードレーサーを見せてもらった、楽しい思い出しか記憶に残っていない。
あの時のY君は今でも乗っているのだろうか?
僕は多分、ビンテージと化した昔のレーサーに
今でも乗っているんじゃないかなと思っている。
人間は誰でも25歳を過ぎれば筋力・持久力は落ちるし、経年劣化する。
しかし、ロードレーサーの美しさは永遠だ
いつまでも変わらないところに大きな価値がある
レーサーに乗れば高校生の頃の自分に戻ることができる
元々ビンテージにはあまり興味が無かったけれども、最近80年代のロードレーサーに乗るようになって、そんなふうに感じている。
(終わり)