
『わたしはあかねこ』をなんとなく社労士視点から読んだ【ネタバレあり】
サトシン作『わたしはあかねこ』をご存じの方も多いと思います。
絵本ナビでは、人気作品の証である「プラチナブック」に認定されているくらい。
ですが、子供を持たなかった私は絵本情報に触れる機会があまりなく、先日はじめてその存在を知り、興味を惹かれて読んでみました。
あらすじ:
黒い猫と白い猫の夫婦の子供たちのなかに、一匹だけうまれた赤い猫(あかねこ)。ほかのきょうだいは黒や白、ぶちなど黒×白の親から生まれた猫らしい色で、家族はあかねこを自分たちと同じ色にしようと働きかける。でもあかねこは自分の色を苦にしたことなどなく、ある夜黙って家を出る。さまざまな街で暮らしたあと、青い猫(あおねこ)と出会い、その街に落ち着いてあおねことの間に七色の子供たちをもうけ、家族となる。
さて、あかねこの家族の皆さん。毛の色が違ったところで、あかねこ本人や家族が生きていくうえでなにか支障はある?
国籍や体の色、性自認など、生まれ持ったものがその場所で少数派だからといって、自分たちと違うからかわいそう、と考え、なおかつ自分側に合うように変えさせるのは傲慢だなと思う。
多様であることは文化的に豊かであることだし、明らかな違いのある他者を受け入れることは、精神的な広がりを期待できる器を持っていること。
自分の色を否定され続けたあかねこが黙って出ていくのは、人間社会においてそうせざるを得ない方々の処し方に通じているようです。本当なら、多様な属性を持った方本人が居場所を探してさまようのではなく、今いるその場所が心地よく過ごせる場所であればいい。
で、社労士的な視点から少し。
あかねこはその事業所でのマイノリティーに属する労働者としましょう。
労働者本人や経営者から、その「違う」部分について何らかの声が上がったとき、やるべきことはきっと、職場内での相互理解の促進と、職場環境の改善。
あかねこの毛の色は変えようがない。あかねこ自身はこの色を苦にしていない。
毛の色が違うことで起こる仕事上の問題を炙り出し、たとえば毛を染めたり刈り込んだりとあかねこの身体や精神そのものに傷を残すようなこと以外での解決策を一緒に考える。
問題がないのなら、職場内での差別、ハラスメントをなくすための教育や研修などを提案し、あかねこも周囲も安心して過ごせる居場所にする。
そうすることで、多様な人材が活躍できるし、ひいては事業所そのものの運営も、上へ、前へと進んでいくんじゃないかな。
『わたしはあかねこ』の本文ではもとの家族とのその後は描かれていないけれど、まだ続きがある。
裏表紙であかねこは、カラフルな家族を連れて、うまれた家へ向かっている。
あかねこ家族の姿が、両親ときょうだいたちの心に幸福な変化をもたらすといいな。