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MOVEDと糸魚川のきっかけ。本気の人たちと企むのは大変だけど楽しくて、やりがいがあるよね、というお話。

こんにちわ!プロ雑用です。そして社長の右腕ですw
今回はMOVEDアドベントカレンダーの20日のnoteとして、新潟県の糸魚川市とのきっかけについて語っていきたいと思います。

糸魚川ってなんて読むの?

日本難読地名、ではないですが、知らない人にはきっと読めない糸魚川。
糸魚川の読み方は「いといがわ」です。

地名の由来というのは、世界を見渡してもはっきり判明していることが少ないのですが、糸魚川もご多分に漏れず、由来ははっきりしません。古文書の中での変遷を見ると、1387年〜1432年あたりでは糸井川(河)とあり、その後なると糸魚川に、それ以前は沼川と全く違う名前とのこと。

ま、それはともあれ、現在は糸魚川と書いて「いといがわ」ですので、今日は読み方がわかればおっけーですw

どこにあるの?

糸魚川は新潟県の端っこ、富山と長野の両県県境の市です。

糸魚川は新潟県だが、新潟市までは2時間以上かかる。富山、長野の隣県主要都市へのアクセスのほうが新潟市よりも遥かに近いという場所にある。

新潟県は、上越・中越・下越(+佐渡)に分けられます。この場合の上下は、上方(かみがた→京都のこと)に近い方からの順列なので、糸魚川は上越地方に属します。上越地方には現在の自治体区分では、糸魚川市のほかは、妙高市、上越市の三市で構成されています。

県境の長野県では北安曇(小谷村→白馬村)に、富山県では朝日町(その西隣は黒部市)に隣接しています。

歴史的には交通の要所ですが、特に富山県方向には、親不知子不知という絶壁が海から生えたような場所があり、古来より交通の難所として有名です。現在では景勝地として著名になっています。

一発で好きになった糸魚川

私は旅好きと皆さんには認知されています。
ですが、みなさんが思ってるより、あんまり日本全国どこでもいったわけではありません。47都道府県中、半分以下じゃないかな。なんなら沖縄は一度も訪れていません(これは本当に驚かれるw)。

どちらかというと私は、多くの場所を様々に訪れるタイプではなく、一度訪れて気に入ったら、その場所を何度も繰り返すような旅の仕方をします。
行くなら一泊ではなくできるだけ長く滞在し、公共交通機関と徒歩で隅々まで歩き回ることが好きです。歴史や地形が好きなので、あるき回ることでその痕跡を感じたいタイプ。もちろん、美味しいご飯とお酒は大好きですw

そんな私ですから、糸魚川は一度訪れてすぐ好きになりました。そこで個人的に糸魚川の好きなポイントを上げてみます。

地球規模の歴史があり、人の歴史もある

糸魚川を語る上で欠かせないのは、フォッサマグナと翡翠と塩の道です。
フォッサマグナと翡翠は地球規模の、翡翠と塩の道は人の歴史。

フォッサマグナ(中央地溝帯・大地溝帯)はいつかのブラタモリでも取り上げられたので、知ってる人も若干増えたかもしれませんが、詳しくは以下の記事を参照してください。

まぁ、簡単にいうと日本列島のブーメランの形になった原因、大陸から日本が離れるときにボキリと折れた場所です。そして、糸魚川というのは、そのフォッサマグナの東側の縁・糸魚川ー静岡構造線(通称・糸静線)の日本海側の起点になる場所。地質学的にとてもおもしろい場所なのです。

市内のフォッサマグナパークでは、隆起した地層で実際に地層断面を見ることができます。東と西で全く異なる地層なのがわかるでしょう?

糸魚川-静岡構造線は、フォッサマグナの西端で、その長さは約250kmに及びます。日本列島を地質上、東西に二分する第一級の断層であることから、国の天然記念物に指定されている。
©フォッサマグナパーク

もう、これだけでも十分個人的には激アツなんですが、次は、糸魚川付近では翡翠(ヒスイ)が算出されるという点。鉱物としては硬玉と軟玉に分類され、硬玉はヒスイ輝石またはジェダイト、軟玉はネフライトと呼ばれており、糸魚川で産出されるほとんどはヒスイ輝石(ジェダイト)です。
(ダーク・キングダムの四天王じゃないよ!)
組成的にはネフライトもヒスイですが、一般的にネフライトがヒスイと呼ばれることはないので、ヒスイ=ジェダイトでも間違いではないです。

古代では世界各地の文明などでも装飾品として用いられましたが、日本のヒスイ文化は世界最古。その発祥は、約7000年前の縄文時代前期後葉までさかのぼることができるのだとか。これは同じくヒスイを利用したことで知られるメソアメリカのオルメカ文化(約3000年前)やマヤ文明(約2000年前)よりはるかに古い起源をもっているとされています。

が、なんと奈良時代にはすっかり衰退し(産出しなくなったわけではなく、理由はよくわかっていません)、平安になるころには完全に忘れ去られてしまいました。

教科書や資料館などで目にする緑色から青系の色の勾玉は、だいたいヒスイみたいですが、これは翡翠が”玉”と呼ばれ、金よりも重宝されていた証。
糸魚川産のヒスイは日本だけなく朝鮮半島までに交易品として重用されたのに、なんか突然、大和朝廷がヒスイを避け始めた…らしいです。なんでぇ?

歴史上から存在が忘れ去られてしまい、日本の研究者も「日本で見つかってるヒスイは全部大陸産」と長年勘違いしていたレベル。それを、糸魚川の文学者・相馬御風(そうま ぎょふう、1883生 - 1950没)の活動をきっかけとなって、約1,200年の時を経て、日本のヒスイは世界に再発見されました。
すごいぜ御風ちゃん!(ぉ
これにより、日本全国で見つかるヒスイは、すべて糸魚川由来のものであることが、あらためてわかりました。

糸魚川のヒスイは、前述のフォッサマグナとも関係が深くあります。糸魚川産のヒスイの組成を調べたところ、約5億2000万年前のオルドビス紀に生成されたということがわかり、これは他地域のヒスイと比べても発見されているものの中で最古だそうです。

この約5億2000万年前というのは、後に日本列島になる場所の海洋プレートの沈み込みが始まった時期だそうで、この時期から地中深くでヒスイは生成されました。このままだと地表に出てくることはないわけですが、そこに関わってくるのがフォッサマグナ!

約2000万年前から1500万年前から始まる地殻変動の影響で日本列島のもととなる島がボッキリ2つ割れて大陸から離れます。このボキリとわれた部分がフォッサマグナなことは前述しましたが、約300万年前くらいから沈んで折れた部分の沈んでたところが隆起し始めます。
このプレート運動に加えて、フィリピン海プレートが南から伊豆半島を乗っけて衝突してきたことで、富士山や日本アルプスが出来上がります。
このアルプスの一部・飛騨山脈の中にヒスイは含まれており、奇跡的な確率で5億2000万年前のヒスイが地上にでてきたわけですね。
つまり、糸魚川のヒスイは日本誕生によって誕生したということです。

スケールがやばいぞ糸魚川!
そして文字数もやばい!すでに5000文字を超えているw

海岸ではガチでヒスイ探ししてる人もちらほら…

この小節の最後は、塩の道。(短めにまとめますw)

長尾景虎(上杉謙信)が、ライバルの甲斐源氏・武田晴信信玄に塩を送ったという逸話をもとに生まれた「敵を塩をおくる」ということわざ。
この塩おくりのスタート地点が糸魚川なんですね。現在でも残る、糸魚川を起点とする諏訪湖までの道筋は、古い時代から「塩の道」という内陸部へ塩を運ぶための交易路であり、糸魚川はその重要な起点だったのです。

塩の道は他の場所でも見られますが、糸魚川起点の塩の道は「千国街道(ちくにかいどう)」と名付けられ、糸魚川→安曇野(小谷、白馬)→松本・塩尻まで続き、現在では国道147号・148号と、JR大糸線として、その道筋を現在に伝えています。

ちなみに塩尻という地名は、塩の道の終わり(尻)からだそう。
なお、塩の道もフォッサマグナ由来の場所を多く経由しているので、まさに塩の道も日本列島の誕生がもたらした道と言うことができるでしょう。


と、あと1万字は語れるんですが、本題がわかんなくなるんでここまでw
要するに考古学・歴史・地学好きにはたまんないところだってことデス!

いい感じに発展から取り残された町並みと、災害から復興した町並みの競演

好きなポイント2つ目、町並み!(え、まだ2つ目)

糸魚川、いわゆるイオンモール的なところがありません。正確にはちょっとあるんだけど、街の経済のすべてを飲み込むような巨大モールが存在してません。

これはほんとに地方都市あるあるなんですけど、もうね、イオンモール多すぎ。正直「見飽きた風景」になんですよね。全部、町田のコピーみたく見えるの。旅してて一番がっかりするポイント。いや、住むには便利だろうことは想像に難くないわけですが、やっぱりつまんないんですよ。

糸魚川は、不便というほどでもないレベルの、いい感じでのちょうど良さがあります。結構個人的に熱いポイントです。街歩いてても、いい感じのふるさがたくさん残ってますからね。
最近流行りの昭和レトロ、レトロポップ的な部分が残ってる。

文房具店の店頭にならんだ数々のレトロな品々。お店の中もいいかんじで、一緒に見に行ったメンバーと一緒にウホウホ♡喜んでましたが、店員さんは一切こちらに関与せず、かといってヨソモノを見るといった感じではなく、なんか絶妙な距離感でした。どの店もそんな感じw

2016年に糸魚川市は大火に見舞われました。
全国ニュースにもなったので、覚えている人も多いかもしれません。

後述しますが私は日本酒が好きなので、よく知っているお酒の酒蔵が、この災禍に巻き込まれたということでショックを受けた記憶があります。

詳しくは上記に譲りますが、糸魚川は背にする山脈からの風により度々大火に見舞われてきた地。フォッサマグナは豊かな資源だけではなく、時には人々に災禍をもたらすのですね。それが自然というものですが。

しかし糸魚川は、この災禍で消失した場所の一部を、ただ復興するだけではなく、さまざまな仕掛けを施した施設を作りました。

このキターレは、市内のさまざまな人がイベントスペースとして活用しているだけでなく、ちょっとした仕事もできるシェアスペースでもあります。
また調理場もあって、日替わりでさまざまなお店が運営されています。平日は最近コーヒーが飲めるみたいですよ。

キターレ外観

そしてこのキターレの地下には、貯水槽があり、いつかまた起こるかもしれない火災のための備えとしての役割もあります。

糸魚川には、災害もチャンスに変えていく姿勢があるんだと感じました。

そんな災害復興の町並みと、レトロな昭和が入り混じった町並みは散策にはピッタリ。歩いていて他とも違う面白い景色が見られます。

それに、町が全体的にコンパクトなんですよ。

市全体図。白い部分が平地。当然ながらこの小さな部分に人口は集中している。

見てほら、市内全域の平地部分の少なさ。生活は、ほぼこの範囲で完結できるんですね。だからイオンモールとかできる隙間がなかったんでしょうね。

5つもある酒蔵と豊富な海産物

糸魚川は全国でも珍しく、市内に5つの酒蔵があります。酒蔵の多い新潟県でも珍しい街です。

五蔵の日本酒ラベル。左から加賀の井酒造、田原酒造、池田屋酒造、渡辺酒造、猪又酒造。

あまり全国区で有名なお酒はありませんが、どれも美味しいお酒を作られています。前述の災禍にあわれた酒造は、加賀の井酒造さん。
個人的に好きなのは、猪又酒造さんの「月不見(つきみず)の池」です。最近お気に入り「奴奈姫」もこの酒造さんのお酒です。

なぜ糸魚川のような小さな街に5つも酒蔵があるのか?調べてみないとわかりませんが、個人的な直感では、やはり地形にヒントがありそうです。とりわけ水の影響は大いにありそう。海から市街部の平地を抜けるとすぐに険しい山になります。その山々はどれも豪雪で知られており、大地は雪解け水を豊富に含んでいます。ちょっと調べて確認した限りでは、

  • 田原酒造…頸城駒ケ岳の湧き水を仕込みに利用。頸城駒ケ岳(くびきこまがたけ)は、頸城三山(焼山、火打山、妙高山)の系列に類する山岳で、酒造近くを流れる海川の源流域。

  • 猪又酒造…早川谷の伏流水を仕込みに利用。早川谷は、酒造近くをながれる早川の源流域。焼山ー火打山の谷川。

  • 渡辺酒造…根知谷の雪解け水を酒米栽培に利用。根知谷の上流部は駒ケ岳と雨飾山があり豪雪地帯。渡辺酒造の近くを流れる根知川は、姫川の支流で根知谷が源流域。

といった感じで酒米の栽培と仕込みの水が、それぞれの水系で成り立っていることがわかります。ミネラル分が豊富な山の水は、フォッサマグナの影響でできた地形の恩恵を受けているのは間違いなく、日本酒の産地になったのも頷けますね。全部推測ですけどw


糸魚川は、この狭い地域に7箇所の漁港を抱えています。深海の富山湾を抱えた漁場は陸からも近く、西浜七谷と呼ばれる高い山から注がれる水は栄養豊富なため、糸魚川は海産物も非常に豊富です。

あのね、どこで魚食べてもむちゃくちゃうまいんですよ。素材の味が最上。富山は以前から好きでよく訪れているので魚介の旨さは知っていますが、海が近いからか漁船直営の飲食店などの新鮮さは群を抜いてると思います。
新鮮魚介はやっぱり海の近くですよねぇ。
特にやはり栄養が豊富かつ、厳しい環境なので味がはっきりしてるのが糸魚川の魚介の特徴かもしれません。

ガスエビ、ニギス、げんげ(幻魚)なんかは、関東ではほぼ食べれないので最高。ほぼっていうか、見たことないよな…

そしてもちろんカニ、特に香箱蟹が現地ならではの価格で食べられるのは最高of最高です。

アマエビも普段東京で食べるものとは全く味も大きさも違うので驚きますね。北陸のマダコ食べると東京でタコ食べる気にならないです…

お通しであんこうの肝が出てきたときは、驚愕しかありませんでしたw

個人的には、もずくなどの海藻類がおすすめ。
日本海の荒波に揉まれているせいか、歯ごたえと味が濃いのなんのって…
糸魚川のもずくを食べて、いままで食べてきたもずくは一体なんだったのだ…と思いましたよ…w
一部には世界一とも呼ばれているそうで…w

日本酒好き魚介好きには大変たまらんのです。

あじさい定食はボリューム満点です。

豪雪の山から海を望める地形

山が海に迫っている風景というのは、日本ではよくある風景です。フォッサマグナの東起点である糸魚川は、隆起した南アルプスの北側に位置し、糸魚川の市内の大部分は、姫川を始めとした河川の扇状地によって成り立っています。南アルプスの山々や、その東側に位置する頸城山塊は、かなり谷の深い地形で、海側から10分ほど走るとかなり山深くなります。

冬は海側の街に雪がなくとも、山側には壁のような雪がつもっており、10分程度で別世界にきたかのような風景になります。
その切り立った地形を生かしてか、市内にはなんとゲレンデが2つもあります。シャルマン火打スキー場と糸魚川シーサイドバレースキー場です。

どちらも、日本海を望む雄大な景色を目にすることができます。

3月で天気が良かったので見晴らしは最高でした。

昨年の3月、シーズン終わりにシャルマン火打スキー場に初めて訪れましたが、一言でいって最高でした。ここは、豪雪ゲレンデとして有名なロッテアライリゾート(妙高市)の、頸城三山を挟んだ日本海側に位置しており、雪質良好かつ豊富で、個人的にはロッテアライリゾートと比較しても遜色ない高レベルなゲレンデです。その上、知名度がないからめっちゃ空いてる…

まぁお客が少ないのは経営的にはアレですが、スペックは高いのでプロモーションと運営を改善すれば、ロッテアライリゾートに匹敵するゲレンデになるはずです。なんでここに誰も注目しないのかマジで謎です。

ゲレンデ降りたら温泉もあるし、海まで降りれば(わずか15分程度)日本海のカニが食えます。そんなスキー場、日本だと小樽くらいしか知らん…
とんでもないポテンシャルです。

シーサイドバレーは、火打よりも海が近くに見えるので晴れてると最高の景色のようですね。まだいけてないので今シーズンは絶対行きます!

なんでJR東日本でツアーないんだろう、新幹線止まるのに…と思いましたが、そうか、糸魚川って西日本なんだよな…だからか…。
だって上越妙高側はたくさんツアーあるんだもの…

平日だったこと、シーズン終わりだったことを含めても人がいなさすぎる!
こんなにいいゲレンデなのに!!ポテンシャルありすぎる!

人が暖かい

最後の5つ目(ようやく!)は、人が暖かいというところ。
どの飲食店行ってもヨソモノ扱いはされないです。結局、旅行先で嫌な思いするのってだいたい人なんですよね。お店はいって邪険にされるとか、誰だおまえっていう感じでジロジロ見られるとか。どんなに景色がよくても食べ物美味しくても、まぁそういうところには再訪することはあんまりないですよね。

特に北国はヨソモノを嫌う傾向というか文化があるのは間違いないので、そういう中では、観光地としてはそれほど著名ではない地域にも関わらず、ヨソモノに対して寛容なのはなぜだろうか?と思いました。

これまた推測ですが、おそらくヒスイと塩の道が関係してるじゃないかと思います。新潟ー金沢と諏訪地方への街道の交差地として、古代はヒスイを、その後は塩を運ぶ重要な宿場だったのは歴史に書かれている通り。

近代においても、糸魚川駅は貨物取扱の大きな駅で近くの明星セメント糸魚川工場へ、隣の青海駅からはデンカ青海工場と明星セメント田海鉱業所へ、それぞれ専用線が伸びていたようです(現在はすべて廃線)。

そんな感じで糸魚川周辺も貨物取扱が多い頃があり、おそらくその頃は各工場などへの来訪者などが街を訪れることは多かったのではないかと推察されます。交通交易の要所だったため、交流人口は平成初期まではそれなりに多かったのではないかと。

そのような場所なので、ある意味では観光地としては開発されては居なくとも、商業での交流が過去を通して多かったため、ある意味ではヨソモノ慣れしているのでは?というのが私見です。
ホントのところはわかりませんがw

あと、ワカモノが少ないせいもあるのか、よくあるやんちゃな落書きとか見当たらないんですよね。治安も良いのではないかと感じます。


はい、ここまでで約8,000字。
我ながら長い…すいません、ほんとにw

糸魚川✕MOVED

ここからが終章です!もう少しお付き合いの程を!!

現在、MOVEDには糸魚川出身のメンバーは居ません。ではそんなMOVEDと糸魚川は、何がどうしてつながったのか?きっかけはkintoneでした。

糸魚川とのつながったきっかけ

2018年の終わり頃のある日、弊社のお客様から渋谷は相談されました。
「糸魚川の企業同士が協力するプラットフォームを作りたい。
 そのDBとしてkintoneを使いたいんだけど、渋谷さん協力してほしい」
この時点で渋谷は「糸魚川」がなんと読むのかも知りませんし、場所もよくわかりませんでした。そこで19年の初め頃に、渋谷がkintoneの提案プレゼンを糸魚川に行ったのが、最初のきっかけです。ここで糸魚川市・商工観光課の山﨑さんと出会います。渋谷のプレゼンになにかを感じた山﨑さんは、その日の懇親会で「副市長やりませんか?」と渋谷にお声がけいただいたそうです!
どういうこと…?w
初っ端からとんでもないきっかけが飛んできましたよw
(なお、現時点で渋谷は副市長ではないし、予定もありませんw)

その後kintoneは糸魚川市に導入され、同年の7月にはクラウドユニバーシティのkintone研修が開始されます。

糸魚川に少しずつ気になってきた渋谷は、同年8月に、弊社メンバー数名を連れて、糸魚川に廃校の活用や、ワーケーションなどの視察として、糸魚川市へ伺います。その後も糸魚川市主催のプレゼンセミナーの講師を務めるなど、徐々にですが糸魚川市に訪れる回数が増えていきました。

糸魚川の良さに惚れ込んできた渋谷、ついには、家族旅行の行き先に糸魚川を選択してしまいw、しかも縄文キャンプという、一風かわったイベントに参加するなど、すっかり糸魚川が気に入ったようです。

→余談ですが縄文キャンプとは?
糸魚川市内には、教科書にも載っている縄文時代の遺跡「長者ヶ原遺跡」があります。この竪穴式住居(再現)に泊まれるイベントを定期的開催しているのです。私の知る限り、遺跡に泊まれるのは糸魚川しかないんじゃないでしょうか?歴史好き縄文好きの自分としても興奮するイベントです!

そんなふうに関わりが深まり糸魚川いいところだな、なんか関われないかな、と渋谷が考えていたところ、2021年になると糸魚川市が内閣府テレワーク交付金の対象に内定しました。そこで一緒にプロジェクトを立ち上げることになったのです。その名は「糸と魚と川」

糸と魚と川、糸魚川を3つにわけてそれぞれに意味を込めたこの名前。イベントはリアル開催WEB開催、ハイブリットとさまざまな方法を試しながら、隔月ペースで行っています。2021年12月から始まり、今年の11月には、第8回目まで行われました。この先もすでに第10回までは開催が予定されており、開催ごとに徐々に参加者が増加。
リピート参加者が新しい人を連れてきてくれたり、興味本位で飛び込んでくれる人もいたりさまざまなのですが、特に最近は地元の方が年齢とわず来てくださるようになり、糸魚川市の中でも認知が広がりつつあることを感じます。

みんな、やっぱりお祭り好きなんですよね。明かりがついててワイワイやってるところには興味を惹かれるものなのです。糸と魚と川をリアルな町にお祭りになるくらいに育ていけるといいなぁ。

MOVEDが糸魚川に関わる意義

縁もゆかりもない糸魚川に、MOVEDが関わることの意義はなんなのか?と問われれば、それこそがMOVEDの掲げるミッション「きっかけ」です。

きっかけとは、手始めや機会の意味。われわれMOVEDが関わることで、人や地域に新しいきっかけをもたらし、そこから様々な科学反応を生み出したい、というのがMOVEDのきっかけというミッションです。

よく、何かを変えるのはヨソモノ・バカモノ・ワカモノと言われますが、MOVEDはこの全てに該当し、我々が糸魚川と関わることで、さまざまなきっかけをもたらしたいと考えています。

それはこれまでのような経済優先や箱物優先のような考えではなく、とうぜん経済発展も選択肢の一つとした、より多くの可能性のきっかけです。
それは教育かもしれませんし、生産性かもしれないし、コミュニティかもしれないし、観光かもしれない。
これまで見えていなかった多くの選択肢に気づくきかっけを我々が提供し、そして進化してっくきっかけを作る。これがMOVEDの提供する価値です。

主役は、糸魚川

きっかけというミッションを同じくらい大事にしているのが「糸魚川とそこにいる人達が主役」です。近江商人の三方良しという考え方が私は好きなのですが、糸魚川の人々、我々MOVED、糸魚川に訪れる人々のすべてが、Win-Win-Winになるような取り組みをするためには、我々は介添え役であり、主役は糸魚川そのものであると考えます。

これまでのように、わからんことは外にお金をはらうからやってくれ、ではダメなんです。一瞬のドーピングにしか過ぎず、継続していかない。。。
我々ではなく、糸魚川自身に力がつき、自らの頭で考え、足で立たなければならない。これは業務改善やプレゼンと同じです。

幸い、糸魚川には地元にもすでに熱い思いを持った方々がたくさんいます。そういった方をつなぎ合わせて、一つの大きなうねりにしていくのが、我々MOVEDが糸魚川で仕掛けていきたいことの一つです。

糸魚川を盛り上げようという動きは、糸と魚と川を中心に点と点をつなげて面にし、大きな円にしていきたいです。

ここまでの話は、渋谷と山﨑さんが、語ってくれている動画がありますので、よかったらこちらもご覧ください。

MOVEDの糸魚川での新しいきっかけ

これだけ関わりが深まる糸魚川。もっとMOVEDとして関われることを増やしたい、もっと糸魚川を盛り上げたい…!その気持は糸魚川に関わるメンバーみんなが感じており、新しいきっかけが誕生することになりました。

それは、糸魚川の拠点開設!

MOVEDはオフィスを持っていません。ですがサテライトオフィスとして、現在は東京・大岡山の配信スタジオ、京都の古民家オフィスの2つがあります。
特に京都の古民家オフィスは住居として利用できるので、私が頻繁に利用させてもらっていますw

そして糸魚川に3つめの拠点を解説する運びになりました!ヨッ!!
拠点といっても、やはり空き家をお借りするかたちなので、京都と同様長期滞在が可能です。ご縁があって素敵なお家を借りることができたので、ここを拠点として糸魚川にさらなる「きっかけ」を提供できるように活動していきたいと思います!!

最後に、すごい重要なこと

そうそう、重要なことを一つわすれてました。

それは、なんと、糸魚川は北陸新幹線が停まるんですよ!!
東京駅から片道2時間!やった!案外ちかい!

なんやかんやいって、公共交通機関が、それも新幹線が停まるということの意味はすごく大きいと思います。ただ、やはり観光地として発展してきていない糸魚川には下車する人は少ないのが現状です。

しかし、東京から片道2時間って、実はすごい絶妙なんですよ。
観光における人口動態を調査すると、居住地から移動時間2〜2.5時間というのが一つの境界線になります。2.5時間を超えた先には、よほど強い理由がなければ行かないんですね。3時間を超えるとほぼ移動が無くなります。一番多いのは1.5〜2時間の間で、移動人口の7割はここに集中しています。
北陸新幹線・北陸方面の速達列車はかがやき号ですが、これが富山までやはり2時間、金沢まで2.5時間です。糸魚川は速達列車は通過しますが、長野以北の各停列車・はくたか号が停車します。現状一時間に一本なので多いとは言えませんが十分な本数は糸魚川に停車するんですね。

新幹線で二時間というと、

  • 上越新幹線・とき号の東京→新潟間

  • 東北新幹線・はやぶさ号の東京→仙台

  • 東海道新幹線・のぞみ号の東京→京都、大阪

  • 北陸新幹線・かがやき号の東京→富山

と言った具合に、錚々たる都市と糸魚川は並んでいるんです。
糸魚川のポテンシャルを感じませんか?
それだけに、とてももったいないんです!

先に貨物取扱の話を出しましたが、そういうこともあって新幹線開業前の貴重な鉄道の遺構が残されていたり、駅施設には巨大な鉄道模型やプラレールを常設しているなど、鉄道好きにもなかなか熱いところです。

アルプス口に移設されたレンガ車庫の一部。奥に見える車両は、かつて大糸線を走っていた国鉄キハ52形気動車。静態保存だがたまに外に出されることがある。

私は常々おもってるんですけど、グローカルとか地域創生みたいなこと、その本質は、関わる人全員が「本気」かどうかだと思うんですよね。これは業務改善でも同じなんですが、結局本気じゃない人は動かないし、動かせないんです。そして動かない人にかまっている余裕は、ないんです。
そういう意味でも、糸魚川の人たちは自分たちが変わろう、という本気の意思を持っています。だから我々も支援したいと思うんですね。

拠点開設を機に、さらに糸魚川に多くのきっかけを作りたいと思います。


と、いうわけで
今回はMOVEDアドベントカレンダーの20日のnoteとして、新潟県の糸魚川市とのきっかけについて語ってまいりました。ここでだいたい11,000字です。
長くてすいません!これでもだいぶ端折ったんです!w

MOVEDアドベントカレンダーは、まだまだ続きます!
過去の記事もよかったら見てくださいね!それじゃ、また!

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