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金剛・榛名によるガ島飛行場砲撃による米軍飛行場の損害

昭和17年10月13日、巡洋戦艦(当時は高速戦艦と呼称)金剛・榛名を主力とする第二挺身攻撃隊は、ガ島より烽火による誘導を受けヘンダーソン飛行場を測定、午後11時37分より1時間20分の砲撃を行いました。

ヘンダーソン飛行場を焼払った「三式弾」の活躍する場面ですが、米軍の記録の方はどうであったのでしょうか。

ガ島に駐留する海兵第一師団航空隊の航空機は、砲撃による損害が約20機。残存機数は42機。B17は8機中2機破壊されたが、炎上しなかったため後に燃料を抜取った。
航空用ガソリンは爆撃で炎上した5,000ガロン以外はなく、艦砲射撃時に炎上したガソリンは自動車用と思われる。
スチールマット敷の主飛行場は、21ヶ所の大穴が生じ、修復に午後までかかった。

主飛行場が使用できない間、東南1マイルにある緊急飛行場(芝生張り)が使用され、ここから攻撃機が飛び立ち、仙台第二師団を輸送する陸軍輸送船団を攻撃した。
この間B17は使用できなかった。

挺身隊は、僅かな時間で米飛行場に対して大損害を与えましたが、次に来る輸送船に対しても配慮してもらいたかった。生き残った輸送船は6隻中2隻。佐渡丸と埼戸丸です。


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