月を喰らう街の孤独
深い夜の底、主人公であるオルカは宙に浮かぶ廃墟の街「セラータ」の片隅で目を覚ます。
静寂が満ちる街には、かつて大勢の人々の息づかいがあったかもしれない痕跡が残されている。倒れた街灯、引き裂かれた幟、朽ちた柱。その廃墟の暗闇に、オルカはひとり取り残されていた。
絶望からの始まりと希望の萌芽
オルカは何も覚えていなかった。自分の名前が「オルカ」ということすら、胸元の名札が唯一の手がかりだった。廃墟の石畳には、どこからともなく風に乗って吹き寄せられた銀色の砂が薄く散らばっている。
足元を踏みしめれば、砂は淡い光を放っては消えた。それは小さく、けれど確かな希望のようにも見えた。オルカはその光を頼りに、静寂の街を歩き始める。
予期せぬ転換と新たな可能性
夜空に浮かぶ月が、不気味に細く欠けている。セラータの人々は「月の欠片を集める」ためにどこかへ去った――そんな噂めいた記憶が、オルカの頭に微かに蘇る。
歩みを進めるうちに、オルカは月光を反射する大きな水たまりを見つけた。近づいて覗き込むと、水の底に白い花が揺れている。あり得ない光景だが、花びらは確かに波打っていた。と、その下から人影が浮かび上がった。
「あなたも、月を探しているの……?」
静かで優しい声を持つ女性――名を“イラ”と名乗った。彼女は水たまりの底から現れたにもかかわらず、服も髪も一滴も濡れていない。
オルカは自分がなぜこの廃墟にいるのか知りたいと告げる。イラは微笑み、
「月が教えてくれるかもしれない」
と言った。その言葉に半信半疑ながら、オルカの胸には奇妙な期待が芽生える。
愛と出会い、そして喪失の繰り返し
オルカはイラとともに、月の欠片を見つければ真実へ近づけると信じ、廃墟の街を巡る。
やがて彼らは倒れた時計塔の中で一人の青年、リュトと出会う。リュトは
「この街が月の光を喰らい始めてから、皆がいなくなった」
と話す。原因は街に集まる“歪んだ祈り”かもしれない、と。
リュトは街の中央広場にある「大きな井戸」の奥底で、愛する家族を助けようとしていたらしい。だが彼の家族は既に月食の闇に呑み込まれ、行方知れずだという。絶望に打ちひしがれたリュトを、イラは優しく抱きしめた。
その瞬間、イラの瞳に涙が溢れ、次の瞬間には彼女の姿がふいに掻き消える。残されたのは、青い花弁だけ。リュトは後悔に顔を歪めながら、イラが身代わりとなってリュトを救ったのだ、と悟る。
オルカもまた、初めて感じた誰かへの安らぎを一瞬にして失う。その喪失は無力感をさらに募らせたが、同時に「イラが遺した花の意味を無駄にしたくない」という想いが、オルカの中で小さく灯り始めた。
繰り返される喪失と、仲間との絆
リュトとオルカは、イラが残した花弁から微かな光が立ち上るのを見つける。その光を辿り、二人はセラータの深部へ降りていく。そこには数多の扉があり、扉一つひとつに“誰かの愛”が封じ込められていた。
ある扉には親子が寄り添う暖かな記憶が映り、別の扉には命を賭して仲間を守った兵士の姿が映る。そしてほとんどの扉は、最後に真っ暗闇へと消えていく。
リュトは扉の奥に家族を見つけるものの、彼らの姿が映る瞬間はわずかで、手を伸ばせばあっという間に消えてしまう。オルカはその姿に痛みを覚えながらも、ふと、自分自身の扉を見つける。
そこには、かつてのオルカが家族らしき誰かに手を振る後ろ姿があった。そして扉の最後には、倒れ伏すオルカを抱きしめる人影が見え、その人の腕には青い花が…。
自己犠牲による昇華
オルカは「イラは自分の誰かだったのではないか」という確信めいた思いにかられる。もしそうなら、自分がまた彼女を救える方法はないか。
セラータを覆う“月を喰らう闇”の源へたどり着くと、それは巨大な鏡のように街の空を覆い尽くしていた。そこには無数の悲嘆と恨み、そして喪失を嘆く想いが凝縮されている。
リュトは最後の望みをかけ、家族の名を叫びながら鏡の中心部へと飛び込む。しかし闇に飲み込まれ、足を取られてしまう。オルカも駆け寄って手を伸ばすが、闇が二人を引き裂こうとする。
そのとき、オルカの胸元の名札が青白く輝き出す。そこから聞こえる微かな子守唄。それは、かつてのイラとの記憶の断片を呼び覚ます。イラがオルカに歌い続けてくれた、優しく切ない子守唄。
オルカは名札を鏡の闇へ差し出し、「この想いを取り戻してほしい」と願う。オルカの命と引き換えに、闇へ呑まれた人々を救うことができるのなら――オルカは迷わずそれを選んだ。
救いと安堵、そして静かな結末
光が爆ぜるように広がり、闇はゆっくりとほどけていく。リュトは地面に倒れ込みながらも、鏡の底から引き上げられる。そして目を開けば、家族の姿は見つからなかったが、彼のもとに青い花を携えたイラの幻影が一瞬だけ微笑んで消えるのが見えた。
闇が晴れた空には、かじり取られた月が再び丸みを帯びていた。だがそこにオルカの姿はない。名札だけが街の中心に落ちていて、青白い光の余韻を纏っている。
リュトはその名札を拾い上げ、じっと見つめる。すると名札に刻まれた「オルカ」の文字が淡く揺れ、次の瞬間、溶けるように消えてしまう。広がる静寂の中で、空から月の光が街を照らし出す。
瓦礫に覆われた廃墟の街も、わずかに明るさを取り戻す。その光の中、リュトは静かに微笑み、名札が消えた跡をそっと抱きしめた。そして、ふと気づく。
イラの残した花の青い輝きが、まだそこに在り続けていることを――。
風が吹き抜け、舞い上がる銀色の砂。そこに確かに残されているのは、オルカとイラ、そしてリュトが繋いだ“愛”の証かもしれない。痛みや哀しみのただ中に生まれた一筋の希望は、街を覆う月光とともに、そっと生き続けていた。