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2024年振り返り 日常編

2024年の振り返り日常編です。
4月から自称予想屋になりましたが、世間的には無職の9か月間でした。


日常生活の振り返り

日常生活については、無職やFIREした人の生活と同カテゴリーになります。そんな生活で感じたことをまとめます。
  

時間があるから何でもできる

私は元来無精者ですが、4月以降は時間が有り余ったので自然と活動的になれました。
カラオケ、神社、温泉施設によく出かけましたし、乗馬も始めました。10年ぶりくらいに図書館に足しげく通う生活にもなりました。

競馬関係では、前の職場仲間と2回東京競馬場に行きました。
また、東京競馬場、小倉競馬場、新潟競馬場の馬主席で競馬を楽しむこともできました。ローカル競馬場の馬主席のお誘いは、仕事をしていた時だったら時間が取れずに流れていたはずです。
私は旅行が好きですが、ここ数年は仕事以外で外泊することのない生活を続けていました。しかし今年度は九州~京都と新潟、2回旅行ができました。

活動的になるかどうかは本人の性格だけでなく、時間の有無がやはり重要だと実感しました。趣味がないと嘆く社会人は、時間がないから趣味を見つける余裕がないという面が大きいと思います。
その意味で、今年の日常生活はとても満足したものでした。
  

積極的無職と消極的無職

無職は、積極的無職と消極的無職の2種類に大別されます。
自らの意思ですすんでなる無職が積極的無職、雇い止めや病気などで不本意ながらなる無職が消極的無職です。
ただし、自ら無職になると決めても、主たる理由が「仕事が嫌だから」などの逃避であれば、それは消極的無職です。

私は世間的には無職です。予想屋になるために仕事を辞めたので、種類としては積極的無職です。

私は、人間の本質は「怠け」だと考えています。放っておくと人間は怠けるということです。
実際、新生活の始まりは無職を存分に満喫して活動的でしたが、年末の今は生活に若干のマンネリ感が出てきました。社会人時代の外出しない日曜日のように、無為に過ごす日が当初より増えました。
無職生活の楽しさは若干減じたとはいえまだ十分感じておりますが、意識を高めに持たないと自分が腐っていく気がします。

積極的無職の私でさえこうなるのだから、消極的無職の人はより難しさが伴いがちだと推察します。noteの記事でも、あまり楽しそうでない人の方がよく見かけるので。
  

やれることをやるかサボるか

無職やFIRE生活は、忙しい人にとってしばしば憧れの対象になります。
そんな生活に身を置いてわかったことは、無職を楽しむためにも結局は自分を律する力が必要だということです。
無職生活を苦痛にせずに楽しむためには、何かしらの積み重ねをすべきです。積み重ねのない人間は自信を喪失します。

これは、積極的無職も消極的無職も関係ありません。たとえ調子が悪い人でも、早寝早起きをする、間食をせず3食しっかり食べるなど、積み重ねようと決めればできることがあります。
やれることをやるか、言い訳を述べてサボるかの違いです。

私は今年になって追い切り(ジョギング)でトータル688km走っています。また、読んだ本は図書館で借りたものだけで76冊になります。購入した競馬関連の本などを含めればもう少し増えます。
自分のプラスとなる積み重ねをそれなりにはできています。

無職なら時間があるのだから、この程度のことはやろうと思えば難しくありません。仕事をしながらこれくらい達成する人だっています。
ただ、やろうと思わないと無職でもできません。


無職には日々の過ごし方を決める自由があります。しかし、社会人ほど他人とのコミュニケーションを取らない場合が多いため、自分の行動を見張るのは自分自身です。だから簡単に堕落します。
何もせずにいることを「今は休んでいる」「自分を探している」などと正当化することも可能です。本当に休んでいるのか、それとも堕落しているのかは自分にしかわかりません。自分自身を知らない人は、それらの区別ができなさそうでとても大変だろうなと感じます。

私は幸いにも自身をそれなりに理解しているので、サボっている時はわかります。できることはやるという意識を保ち、来年も自己を向上させながら楽しく暮らしたいです。


2024年の総括

前回の記事と合わせてまとめますと、2024年は予想屋としてはあまりにUnkoであり、生活としてはFunnyで満足したということになります。
トータルで見るとよい1年でした!

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