眠る前に思うこと
夜、全身を感じると、しんどい・痛い・しんどい。
今日の日中、偶然、昔行っていた高校の近くの町を通りかかった。
高校生の頃、毎日前を通っていたマクドで、ポテトとポテトパイを食べる。カウンター席で、晴れた空の下を行き交う人たちを眺め、高校生の頃はどんなふうに外を見ていたんだっけ?と思う。
あの頃みたいに、「好き・いい感じ」だけを頼りに、軽く動きたい。
色々あって辛かったこともあるけど、思い返すと、親しい人たちと笑いあった瞬間が楽しげによみがえってくる。
コロナ禍になってから、早起きして会社に行くのが本当に苦手になってしまった。
次もし外で働くなら、お昼からの仕事がいいな。
気楽にできて、優しい人がいて、楽しくできるところがいい。
あんまり考えないで、ふわっといれるような仕事がいいな。
(雇われでは無理?自分でお店したい)
そして、旅をしたい。
今、「お金」という意識の重圧に苦しめられている。これが高校生の頃と違うことか。
旅したい→お金ない→働きたくない(体がNOと言ってて働けない)
独自の私の感性で軽くふわっと仕事して、ちゃんと自分自身をまかないたい。
「こうでなければならない」「こうありたい」は、ほぼ、社会から褒められるため。そんなことに体を縛りつけて、体が痛くなっているようだ。
「本質」で人の役に立つ、山羊座でいこう。自分らしくありながら、経済的自立は、本当は自然なことなはずだ。