90年代名盤100選に入っていたアルバムの一つ、それを高校の遠足で行った上野で手に入れた。my bloody valenmtineのloveless。それは今後どんな音楽に出会おうと私が生涯でいちばん聴いたアルバムになると思う。 部屋で聴いているとクラシックファンの父に「これは音楽じゃない」と言われた。そうかもしれない。私にとってそれは音楽ではなく一つの思想だった。 30代でボディーワークに触れ、気というものの実感を得たときに、「これはシューゲイザーだ」と思った。パートの間
認識するために作っている 作品は認識するための道具
物が動くと音が作られる くらやみの中 音の存在を よろこびとして受け取ることがある
台湾にいるといつも、優しさが人間にとって必要な栄養なのだと、知らされます。 そして、それと同じく創意も、人間にとって必要な栄養だと、確信が持てます。 それは私にとってとても安心できることです。。 なかなか自分の感情をすっぽりと包める言葉が見つからず、これからもずっと、この経験と向き合っていくと思います。 素晴らしい祝祭とたくさんのお力添えをありがとうございました。
材を分け、重ね、固定することで像を呼ぶ。 その像は役割に呼ばれる。
図の柄という新しいシリーズです。模様はなぜ絵ではないのか、ということを考えてつくりました。
絵の具で遊んでいると、いつも出来上がりよりも水を含んだ艶やかさや絵が湧き立つ過程がぞくぞくするので、自分しか一番いい時を知らないのが悲しいなと思ってしまいます。
快楽的な行為の積み重ねで結果が素晴らしくなればそれも良いんだけど、自分の場合はそうならない 美しいものは大概黙っている気がしている 芽が出るように同じ形が一時に反復として生まれることを望んでいる 土と種は理想
模様を入れることで悪いものを寄せつけないという昔の人の気持ちよくわかる 縫も絵も自分にとってはそんな感じ特にノートやカバンには自分の手を加えないといけないと思ってしまう
いくつかの風化したかたちの景が 道行きのおともとなりますように。
いつも作為のないものに力をもらう 作為なしの力加減がずっと知りたい秘密
絵の具のふたのあそび 紙の上でなにもしていないがかたちはあらわれる。 作品とは呼ばないもの。 かたちにしてみたいものははなれている。 理想がすでにあらわれていると何もできない。 近づいておなじ息を吸うくらい。 相手は息をしていない場合もある。
いただいたはぎれなどで思うままを縫い合わせる。 布をはぎ合わせること。 ちいさな断片からすでにはじまっている。
知らないうちにたくさんのみえないものたちを媒介してきた そしてこれからも
すこし昔の絵 暗い中を手が探す なんて暗さ
度重なる災害に対して自分は通常運転なのですが、ほんとにこれでいいのか、と揺れる。。 不安と失われたものが穏やかに癒えますようにと祈ります。