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一遍踊って死んでみな
白蔵盈太(https://shirokuraeita.com)さんの「一遍踊って死んでみな」。たまたま子供の本を買いに行って目に留まり、迫力ある扉絵とタイトルで即買い。2025年への年越しのお供をしてもらいました。大変面白かったので、少し長くなるが特に気に入ったポイントを記したい。
タイトル&題材
この小説のモチーフは一遍。箱根駅伝でもよく出てくる「遊行寺」を本山とする時宗の開祖であり、「踊り念仏」で知られる。歴史の教科書には出てくるので聞いたことはある人は多いが、詳しく知っている人は少ない…そういう絶妙な存在感の人を選んでいると思う。
タイトルがとにかく秀逸。この本の主題となる踊り念仏は、現代から見たらほぼ娯楽がない時代に、「踊り」と「念仏」を組み合わせるというイノベーションを成し遂げた一遍上人の生き様を描いている。書き手を、現代からタイムスリップしてしまった音楽マニアの高校生にしている、と言うのが大きな特徴である。その描写には当然、現代音楽の影響が入ってくる。
このタイトルは、最初に見ると「ん?どういうこと?」と言う疑問として潜在的購買者を誘い込む。そして本を読んでいるうち、このフレーズは一遍やその門戸達が目指す世界観をよく表していることに気づく。タイトルを何回か口ずさんでいるうちに、気がつくと現代のラップみたいなリズムになり、やがて世界観にどっぷり誘われている。
一遍上人の生きざま
作品の前半は、現代からタイムスリップした高校生に語らせた「踊り念仏」の魅力が語られている。当然のことながらCDやDVDが残っているわけではなくで、絵の様子や当時の人が残した記述を頼りに作者が想像したものなので、どこまで正確かは分からない。ただ、「当時こんな娯楽があったら面白いだろうな」と引き込まれ、興味深い。
「捨聖」の凄み
しかし物語の中盤から終盤、門徒が増える中で葛藤を抱えた一遍上人が下す決断がすごい。一言で言えば「捨ててしまう」。
踊り念仏の「踊り」を捨てるくらいの勢いで、念仏以外何もかも捨ててしまう。思い切りよく何もかも。これは、現代人にはなかなか真似の出来ないことかもしれない。しかしそうする事で、自分が本当に必要とする大事なものが浮き彫りになる。一遍の場合は、結局それが念仏だったと言うわけだ。
ただ、葛藤の末に結局今までと同じ結論に辿り着いたのだとしても、その最中に新しい価値観に晒した分、得られた結論への覚悟はパワーアップしている。実際、この決断の後、一遍の僧侶としての格はさらに上がったように描かれる。ちなみに、一遍は「捨聖」とも称されているそうである。
全ての人に向き合う
作中、一遍は多くの人に救いをもたらしていく。その中に、時の最高権力者北条時宗も含まれる。
この両者の「対決」も見ものだ。時宗は間違いなく時代を左右した英雄であり、最高権力者である。従って周りの人は「北条時宗」という強烈なフィルタ越しにしか、北条時宗を見ようとしない。北条時宗もそれに無意識のうちに気づいており、気がつくと「北条時宗」を演じている。ところが、一遍だけは等身大の北条時宗を見、南無阿弥陀仏で救おうとする。それに気づいた時宗が、わずかに心を許す場面がある。圧巻である。一遍は念仏で、貧しい人も最高権力者も救おうとしたのである。
2025年へのヒント
今、我々は「風の時代」にいると言われる。その前の「土の時代」は経済力がものを言ったが、風の時代は「知性・知力」が重視される時代らしい。こう言う時は、一遍のように思い切り良く余計なものは捨て、本当に大事なものを見定め、臨機応変にその実現を図って行くのが良いかもしれない。そんな生き方の羅針盤となりそうな一遍上人。興味を持った方にはぜひ本書を読んで頂きたい。
最後に
白蔵さんは他にも、「義経じゃないほうの源平合戦」など、重要なのに評価が低く名前の知られていない人物を見つけ、秀逸なタイトルをつけた作品が多い。ストーリーも練られていて、親しみやすく読みやすく、素晴らしい。
歴史は決して、著名な主人公の肉厚なストーリーだけでできているわけではない。その周りに絡みついた色々な人たちが、各々の立場で必死に流した血・涙・汗の結晶の上にできている。世の多くの人たちは(もちろん自分もそうだが)、どちらかと言うとこちらの立場だろう。そんな等身大の歴史に時に思いを馳せてみるのも、迫り来る乱世を迎えるにあたり参考になるのではないか。