Flora Purim "If You Will"
ブラジル・リオデジャネイロ出身のシンガーによる、約17年ぶりフルレンス新作。
昨年の Rodrigo Amarante の新譜レビューの中でも書いたのだが、自分はもう長いこと日・英・米のロックバンドばかりを中心に聴き続けてきたものだから、その他の領域の情報にはとんと疎く、それこそ Rodrigo Amarante を擁し、本国ブラジルではスタジアムクラスの人気を誇る Los Hermanos であったり、今年で御年80歳、キャリア50年以上に及ぶ大ベテランであるところの今回の Flora Purim にしても、自分は完全に無知だった。なのでまあいつものごとく、聴きながら、調べながら、書きながら、今作についての理解を深めていきたいという狙いで、実際には半分以上が自分自身のために、他者向けのレビューの体裁を成そうと思う。
情報の整理。Flora Purim は1942年にクラシックのミュージシャン夫婦の間に生まれ、家で母親がレコードを流していた Frank Sinatra や Billy Holiday といったシンガー、あるいは Bill Evans などのピアニストの影響を受け、自然とジャズへの道を志すようになる。1967年にドラマー/パーカッショニストの Airto Moreira と結婚し、抑圧的な軍事政権が続いていたブラジルを離れてニューヨークに移住。70年代には Flora 自身の名義で楽曲リリースを重ねるのと併行し、Carlos Santana や Chick Corea といった、いわゆるフュージョンの旗手たちの作品にゲスト参加するなどで、プログレッシブに変容する新時代のジャズシーンを果敢に突き進んで行く。その後も何十年にも渡って精力的に活動を展開し続け、単独/客演/コラボレーションを含めたディスコグラフィはもはや把握しきれないほど膨大なものとなっている。また私生活では、1971年に長女 Diana を出産。その Diana もまた後にジャズシンガーを志向し、1998年には Krishna Booker(ジャズベーシスト Walter Booker の息子)と結婚。そうして見事なまでに音楽の才人ばかりの家系が出来上がるわけだが、Airto 、Diana 、そして Krishna はこのたびの新譜 "If You Will" にも共作者/プレイヤーとして参加している。今作はこれら家族から制作を後押しされ、気心の知れた仲間たちとセッションを繰り返す中でインスピレーションを受けた末に完成したものなのだと。
オープナーはアルバム表題曲 "If You Will" 。これは米国出身のキーボーディスト George Duke が2000年に発表した楽曲のカヴァー。George と Flora は70年代の頃からのミュージシャン仲間で、互いの楽曲に繰り返し客演を果たしており、この原曲にも Flora がボーカルで参加しているのだが、今回のカヴァー版でメインボーカルを務めるのは Flora ではなく娘の Diana 。元々はエレクトロニックな音作りが基調で、アーバンに洗練された印象の強いジャズファンクだったのが、ここではパーカッションの生音による細やかな躍動感を軸とし、ラテン/ボサノバ/アフロポップのテイストを強調して、ブラジル出身の彼女ならではと言える涼やかな異国情緒を前面に打ち出した、何とも聴き心地の良い秀逸カヴァーだ。そして次曲 "This Is Me" からはいよいよ Flora 本人によるボーカルで、アジテーションにも似た力強さの歌声が曲開始から即座に飛び込んできて圧倒される。Diana が流麗に徹した歌だったのに対し、Flora はもっとダイナミックな起伏を見せ、ベテランの渋味と言うよりもむしろフレッシュで活気に満ちた勢いを感じさせる。天高くどこまでも伸びていくかのごとくパワフルで、80歳という高齢、しかも17年のインターバルがあったとは思えないほどだ。
3曲目 "500 Miles High" はまたもカヴァー曲。こちらは Chick Corea 率いるフュージョンバンド Light as a Feather が1974年に発表したもので、原曲にはやはり Flora がボーカルでゲスト参加していた。bandcamp のインタビューによれば、アルバムのレコーディング中だった2021年に Chick Corea の訃報を聞いた彼女は、もちろん多大なショックを受けたが、あえて追悼の声明などは出さず、この曲をカヴァーすることで Chick との経験の数々を記憶の中に留めようとしたのだという。サックスは省かれて上モノはキーボードのみのシンプルなアンサンブルだが、性急なスピード感はさらに際立ち、その中で繰り広げられるソロプレイはひどくスリリングで、悲しみと慈しみがない交ぜになったような Flora の歌唱も含め、内なる熱が少しずつ膨れ上がって表出してくるのを感じる名カヴァーである。
驚きはまだ終わらない。"A Flor Da Vida" ではいきなりコズミックなシンセが広がって 4hero のような音世界に突入し、"Dandara" では正統派と言えるボサノバポップの洒脱なハーモニーに陶然とさせられ、"Zahuroo" では一転してアフロビートと UK ガラージを接続したようなグルーヴの高揚感が身体を突き動かし、"Dois+Dois=Tres" ではまた大胆に変貌しての、思いきり泥臭いブルースソングを披露。おそらくセッションミュージシャンとの多様な相互反応も影響しているのだろうが、長年に渡るキャリアで培われた音楽性の引き出しを総ざらいしていくかのごとく、実にバラエティ豊かな楽曲が並んでいるのだ。ジャズを起点としてラテン、ファンク、フュージョン、さらにはもっと近代的なエレクトロニックの質感など、様々なジャンルの要素を彼女自身の歌声の下に統合してみせる様は、さすがの貫禄と言うほかない。そしてその音像の中には家族の深い絆があり、George Duke や Chick Corea といった、今は亡き仲間たちの存在も刻まれている。これまで歩んできた道程の一歩一歩を再確認しながら、広大なジャズのフィールドを自在に飛び回り、今なお前進の姿勢を見せている今作は、正しく彼女の生き様をリアルに投影した、深い説得力のある内容だと言える。