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Dean Blunt "Black Metal 2"

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イギリス・ロンドン出身のプロデューサー/シンガーソングライターによる新作。

聴いた後、何か書いてみたいなという欲求のみが立ち上がり、それでは何を書こうかと考えた時に、さて困ったなといった気持ちに今なっている。彼の作品はいつもそうだが、どう捉えればいいのか反応に困る内容であることが常だからだ。数々の名義を使い分けながら正規のフルレンス、EP 、ミックステープ、コンピレーションなど様々な形態の作品をリリースし続け、もはやこれが何作目なのか数えるのも馬鹿らしくなるほどのディスコグラフィーになっている彼。しかもその作品のほとんどが、果たしてどういう意図を込めてこうなったのか不可解なものばかりで、自分が Dean Blunt という名前を認知した時にはすでに、彼はテン年代アンダーグラウンドのカルトアイコンと化していた。なので彼の作品について感想を述べる際には、何だか力量を試されているような、やけに居心地の悪い気分になってしまうのである。まあともかく、頑張って書くぞ。

それで、この前作にあたる2014年作 "Black Metal" は、巷ではクラシックだとか最高傑作だとか熱狂的に受け入れられただとかの煽り文句で宣伝されているのを見かける。ほんまかいや。この代物に熱狂的になっている層はよほどの風変わりなごく一部の好事家だろうし、その好事家たちも受け入れたというよりは、いったいこれをどう解釈するべきか考えあぐねていたというのが実際のところではないだろうか?その "Black Metal" を振り返ってみると、北欧に端を発するブラックメタルとはもちろん何の関係もなく、古き良き牧歌的なロックやフォークのざっくりしたサンプリングの上に Dean Blunt 本人の調子はずれの歌が乗ったり、対照的に緊張感の迸るダブ/アンビエントトラックが延々と続いたりで、音楽的な一貫性はほとんどない。そして歌の内容はポリティカルで辛辣なものや、怒り、悲しみを題材としたエモーショナルなものが目立つが、レイドバックを通り越して無気力・無気味なテンションの歌声、また曲構成の先の見えなさも相まって、エモーショナルな題材からエモーションをとことん排除しているようにも見え、結局はどこにも着地しようとしない不可解さばかりが聴き手に残される。何かがあるようで何も見えない。そういう意味では確かに "Black" の名に偽りはないと言えるが、多くの批評メディアはその見えないものを何とかして見ようとする気概を滾らせ、中でも Tiny Mix Tapes などは一際リキの入った特濃レビューを上梓していた。TMT の見解が本当に的を射ているのかは正直わからない。ただとにかくリキは感じる。例えば TMT がテン年代の間に総力を上げてレコメンドし続けていた Daniel Lopatin (Oneohtrix Point Never) 、またそれと同時期にネットの海を跋扈していたヴェイパーウェーブの有象無象にも近しい形で、この Dean Blunt もまた、アングラ好事家の捻れた情熱にガソリンを注ぐ存在だったということだろう。

それで7年ぶりの続編となる今作。ジャケットにはそのまま「2」とあるが、これは Dr. Dre "2001" が元ネタとのこと。オマージュと呼べるほどの敬意はさほど感じられない、「2」の部分だけ雑に切り貼りしたシュールさからしていかにも Dean Blunt らしさ全開と言える。しかし実際の中身は少々意外な仕上がりだったりする。ブラックメタルと何の関係もないのは相変わらずだが、13曲54分だった前 "Black Metal" に対し、今回は10曲24分と半分以下のコンパクトな尺にシェイプアップ。曲調もあからさまにやりたい放題だった前回とは打って変わって、生演奏のサンプリングを駆使しながら、浮遊感のあるアブストラクト・ヒップホップ、あるいはオルタナティブ R&B の要素が全体に通底した内容となっている。その中での Dean Blunt のボーカルはやはり一貫して力なくダウナーで、深い溜め息のように「きっと大丈夫さ」と繰り返す "DASH SNOW" などは特に内省的な憂いを湛えており、その表情は何とも痛切だ。多くの曲でフィーチャーされている Joanne Robertson の清涼感ある歌声も純粋に心地良い響きで、曲の持つ渋味を自然な形で深めている。アルバム全体の統一感と、トラックと歌の親和性の強化。言ってみれば歌モノ作品として真っ当な進化を遂げており、前回と比べれば逆に面食らうほどまともな作りなのである。

ただ、それでもだ。穿ちすぎかもしれないが、やはり自分は疑念を完全には拭いきれずにいる。そもそも自分は Dean Blunt という人物を初めて知った時から、それこそ Daniel Lopatin と同種の、悪意にも似た奇怪なオーラを強烈に嗅ぎ取ってしまうのである。Dean Blunt 自体はヴェイパーウェーブやプランダーフォニックスといったジャンルに括られることはあまりないかもしれないが、アートワークや歌詞、またはサンプリングした素材の組み合わせの妙により、音の響き自体が持つ印象を明後日の方向に捻じ曲げてしまっている点で、自分は Dean Blunt からヴェイパーウェーブ性をかなり強く感じている。"Black Metal" というアルバムに "Punk" という曲があり、その曲調がダブ/レゲエで、歌詞がどこか倒錯した内容だった時に、それらの要素の狭間に何が見えるだろうか?自分にはわからない。わからないが故の恐怖感のみがある。Twitter のバズツイートに TUBE の映像と Brian Eno の音楽を合わせたものがあったが、あれを見た時の気持ち悪さとほぼ同種のものだ。空疎な感覚と言ってもいいかもしれない。全ての事象に何も意味がないように思える、底の知れない虚無感だ。

この "Black Metal 2" ではそういったあからさまな悪ふざけが減っただけに、今作こそが彼の本当のエモーション、仮面を外した素の部分を確認できる作品だと信じてしまいそうになる。だが、本当にそうだろうか?取り留めのない言葉を呟きながら、憂鬱に、不穏に迫ってくる彼の姿は、その丸ごと全てが一枚の大きな仮面なのかもしれない。ピントのズレまくった画像の奥で中指を立てているアーティスト写真も何やら示唆的だ。内面など簡単にわかられてたまるかとでも言いたげな。それとも、本当に表現したい内面などは彼は持ち合わせていないのかもしれない。ここにある全ては示唆であり、きちんとした意味があるのかもしれないし、ないのかもしれない。そしてこのアルバムに対しての一個人の思いをつらつら書いた文章にも、大した意味などはないのかもしれない。頑張って書いた末の結論がそれか。何となくの心地良さだけがゆるゆると流れる、真っ暗な空洞の中で、自分は無様に転がされ続けている。

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