SML "Small Medium Large"
アメリカ出身のジャズバンドによる初フルレンス。
没頭できるような音楽が聴きたい。目の前の風景を塗り替えるような音楽が聴きたい。それはこの四半世紀あまり、自分が音楽オタクの道に向かいだした中学生の頃から変わらない願いだ。社会人になった今でも、例えば平日の仕事終わりでくたびれた電車の中、iPhone にイヤホンを繋いで再生し、ふと窓の外に遠い目をやったとき、なんだかこの電車丸ごとがウルトラQ "あけてくれ!" よろしく、丸ごと宙に浮かんでこの世ならざる世界に突っ走っていくのではないか、そんな錯覚に陥るくらいの魔力を持った音楽を求むのである。この SML は現代のアメリカ西海岸のジャズシーンで気を吐く精鋭たちが集ったクインテット。正直、自分はこのメンバーのうち Jeremiah Chiu しか知らなかったのだが、Jeremiah の昨年のソロアルバム "In Electric Time" は個人的に年間ベストにも挙げるくらいのお気に入りだったし、自分が信頼を置くシカゴの先進的ジャズレーベル International Anthem からのリリースということもあって、これはきっと自分を遠く彼方へ連れていってくれるだろうと期待していた。結果は予想以上だった。電車の中でこの作品を聴いている間、自分が今見ている光景がひどくシュールで奇妙なものに捻じ曲がるような感覚を得たし、人目もはばからずにぎこちない痙攣で踊り出したい衝動にも駆られた。自制の効く大人なので耐えた。いっそ耐えなくてよかったかもしれない。
この "Small Medium Large" は、ロサンゼルスのジャズバー ETA (昨年末に閉店)に出演した際の即興演奏をライブレコーディングし、そこにメンバー各自のホームスタジオでの演奏、アレンジ、編集を追加して完成した代物だという。この手法自体は決して目新しいものではなく、遡れば60年代末の頃から Miles Davis がプロデューサー Teo Macero とともに試みてきた、何ならジャズの伝統に則ったとも言えるプロセスだ。しかし "In a Silent Way" が今の耳で聴いても未知の可能性、未来を感じさせてくれるのと同様に、この作品にも確実に未来がある。
冒頭 "Rubber Tree Dance" は浮遊感のあるシンセと、Sam Gendel を思わせるエフェクトのかかったサックスが交差するアンビエントトラック。キンと冷えた水のように自然に体へと浸透していく。先述の "In Electric Time" も同様に、ビンテージ機材を駆使して ASMR 的な心地良さを追求したアンビエントの目白押しだったため、今作もその延長線上にあるのかと1曲目の時点で推察する。だが次の "Industry" からは様相が変わり、と言うよりもここからが彼らの本領発揮と呼ぶべきだったが、ファンク/アフロビートの細やかな躍動感、またポストパンク風のガシャガシャした金属質なギタープレイも相まって、グルーヴの強靭さが一気に前に出てくる。そこに Jeremiah の不可思議なシンセサウンドが間隙を埋めていくように絡み、チルアウトと高揚が交互ではなく一緒くたに混ぜられた、なんとも絶妙な質感のアンサンブルとなって迫り来る。上に貼り付けた "Three Over Steel" などは理知的でありつつワイルドな演奏がヒップホップ方面からの影響を感じさせたりもするし、いやなんとも刺激的だ。筋肉と鼓膜をあちこちから同時にくすぐられる。
そもそもが即興演奏なので定型のフレーズを繰り返すことがほぼなく、ただでさえフリーフォームな演奏をさらに断片的に切り取って組み替えているため、コラージュ的な印象の強い内容ではある。尺は1分台から6分台までバラバラ、中には楽曲未満のインタールード的な役割のトラックもあったり。しかし元の演奏の熱量がスポイルされているとは感じない。むしろ迷宮のごとく入り組んだアルバム構成によってさらに先鋭性が研ぎ澄まされているし、現場でいかにマジカルなセッションが繰り広げられていたのか、ひどく想像をかきたてられるのだ。終盤 "Feed the Birds" ~ "Greg's Melody" ではクライマックスにふさわしい壮大で美麗な広がりを見せ、最後には観客の拍手と歓声が沸き起こる。自分が今まで聴いていたのは紛れもなく「ライブ」だったのだと、急速に現実へ引き戻される。だが最後の "Dolphin Language" は幻惑的なシンセがメインの完全なるアンビエント曲で、アンコール的な趣というよりは聴き手を煙に巻いて去っていくかのようで、あえて綺麗に着地せずにアルバムがふわっと畳まれる。今まで聴いていたのはライブだったのかフィクションだったのか、境目が曖昧になってくる。それこそ "あけてくれ!" の主人公が、日常の中に忍び込む怪奇によって夢と現実の判別がつかなくなってしまうのと、ちょうど同じような感覚になるのだ。
まあ自分はそこまで逃避願望が強いわけではないが、たまにはレールを逸れてみたくなる時もある。自分のすぐ隣にアンサンブルが存在しているかのようなリアルな聴覚的刺激と、現実世界とは薄いベールで隔たれたディープなムード、熱狂と陶酔のるつぼに放り込まれて翻弄され続け、終わったあとにはまたささやかな旅に出てみたいと、思わず1曲目をリピートしてしまうのだった。