Yu Su "Yellow River Blue"
中国・開封出身、カナダ・バンクーバー在住のプロデューサーによる初フルレンス。
自分の話。自分は良くも悪くも大きく羽目を外さないまま、割と平々凡々とした人生を歩んでいる。意識的に音楽を聴き始めたのが90年代後半あたりなので、それ以前の音楽を取り巻く状況については人づてでしか知らない。海外へはごくごくたまに観光目的で行くくらいで、人生の九割九分九厘を日本で過ごしている。なのでまあ、見たことのない世界が山ほどあるわけだ。しかしながら、音楽を聴いている間だけはどんな世界でもこの目で見ることができる。音楽に限らず映画や絵画やその他なんでもいいが、創作物には生まれた時代や土地の空気が多かれ少なかれ含有されており、受け手はその空気を嗅ぎ取って、まだ見ぬ世界へと思いを馳せ、情景を脳内に沸き立たせる。その情景は作品にまつわる情報を収集していけばより立体化する。現実はひとつであり、自分が生きる道もひとつしかあり得ないが、創作物に触れれば触れるだけ、その道に様々な彩りや分岐が加わってくる。仮にそれが現実から遠く離れた見当違いの妄想であり、後に何も残さない空虚な体験であったとしても、想像を巡らせること自体がまったく無意味な行為だと、いったい誰に言えるだろうか?
そこで、この Yu Su である。
ひとまず、彼女に関する情報をまとめておく。彼女は2019年の冬に、中国の東端に位置する青島からチベット高原の最大都市である西寧まで、中国全土をがっつり横断する大規模なツアーを敢行。その中で触れ合った多くのプロデューサーや熱狂的なオーディエンスに触発され、自分もこの中国のエレクトロニック・シーンの発展に貢献したいという思いが強まり、今作を完成させるに至ったとのこと。アルバム表題にある Yellow River とはそのまま黄河であり、東と西を結ぶ一本の大きな道筋である。つまり2019年のツアーの経験、影響が今作の内容にダイレクトに反映されているわけだ。
オープナーは先行シングル曲 "Xiu" 。どことなく Grimes "Oblivion" を彷彿とさせるシンセポップなのだが、上モノのシンセには琵琶のような音色を採用し、なおかつ非常にわかりやすい形で中国風のエキゾチックな音階が用いられている。それも冒頭からすかさず、面食らうほど唐突に。例えば日本人が作ったエレクトロニカの楽曲で、いかにも演歌風のこってりしたメロディを積極的に取り入れている例は、国内でもむしろ少数派だろう。よほど演歌らしさ、日本らしさというものを意識しなければそうはならないはずだ。ここにあるのは自然さと言うよりも、彼女にとってのある種の遊び心、もしくはあえて中国出身というアイデンティティを強調することで、"黄河" なるアルバム全体のコンセプトを聴き手に明確に提示する狙いなのだと思う。メインのフレーズだけ抜き出せばなかなか濃いめの味わいだが、軽やかな浮遊感のある上モノと引き締まったベース音を合わせた奥行きのある音像や、アブストラクトで幻想的なボーカルには洗練された印象もあり、総じて良い意味で掴みどころのない、ストレンジなポップ感を生み出している。
だが、2曲目 "Futuro" ではガラリと曲調が変わる。まさかのダブ/レゲエである。それもレゲエ特有のレイドバックした心地良さよりも、ダブの深い音響が醸し出す不穏な緊張感の方に重きが置かれており、底の方でブンブンと唸りを上げているベースラインも含め、まったりした BPM とは裏腹にかなりアグレッシブな印象を受ける。そして次の "Touch-Me-Not" や "Gleam" は柔らかく幽玄な雰囲気を湛えたアンビエント。Boards of Canada を連想させるチルアウト感ですっかり心地良くなっていたら、続く "Melaleuca" ではまた一転してのアッパーなダンストラック。粘りの効いたビートが体を強く突き上げつつ、やはり東洋風のポップなメロディセンスが生かされ、なんだか初期 YMO から胡散臭さを抜いたような感触。さらにはノイジーなスネアが強烈に頭に響いてくる呪術的なトリップホップ "Klein" 、そこから緩やかなダウンテンポでますます内省へと向かう "Dusty" と、とにかく手を変え品を変えでバラエティの豊富さがアピールされている。
自分は中国に行ったことは一度もない。ないが、今作における曲調の多彩さを目の当たりにしていると、中国のアンダーグラウンドなクラブシーンがいかに個性豊かな才能ばかりで、多様性に満ちていて活気があり、なおかつリスナーが新しい刺激に貪欲であるかをひしひしと実感させられる。曲の向こう側に現場の熱狂を幻視する。また山あり谷ありの起伏に富んだアルバム構成は、どこまでも永遠のように続く大河の流れ、そしてそれに沿った長旅の過酷さと高揚感をあからさまにイメージさせる。トラックが切り替わるごとに目の前の景色もスライドしていくようで、彼女の旅をまるごと追体験している心地になれるのだ。たった8曲40分の内容を聴き通しただけでそんな気になっているのはいささか失礼な話かもしれないが、まあどうせ今はコロナ禍でどこにも行けないし、そんなわがままもいいじゃないか。
今作には中国という悠久の大地、その様々な場所に根付くレフトフィールドのカルチャーの鏡像がある。それらすべてが彼女にとっての重要なルーツであり、これから先の未来を照らすための原動力でもあるだろう。そして受け手である自分はここにイマジネーションの荒野を見出し、未知なる場所への憧憬をぼんやりと浮かべている。その体験が自分にとっても、日々の生活を豊かにする糧となるのだ。
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