中島愛 "green diary"
茨城出身の声優/シンガーによる、3年ぶりフルレンス5作目。
まず、自分は坂本真綾をきっかけに声優シンガーの魅力を知り、それ以来なるべく積極的に声優界隈の作品をチェックするようにしているのだが、それはあくまでもシンガー、ミュージシャンとしての声優作品を好んでいるに過ぎず、そこから先のアニメ作品にまではほとんど食指が動いていない人間であることを白状しなければならない。生粋の声優ファンにしばかれても仕方がないなとは自覚している。だが少なくとも自分が観測してきた範囲では、他所の作家からの提供曲であったり、あるいはタイアップありきで作られた楽曲だったとしても、音楽以外の付加価値的なファクターばかりに依拠することなく、己のボーカルのみによって楽曲を自分の色に染め上げてしまう、それほどのハイレベルな歌唱力を持ち合わせているシンガーが声優界隈には多いし、そういった純粋な歌い手としての魅力、カリスマ性にこそ自分は惹かれているのだと思っている。
ただ、この中島愛の場合は少し勝手が違った。そもそも自分が彼女の名前を知ったきっかけは…おそらく彼女のファンの大多数がそうだと思うが…アニメ "マクロスF" のヒロインであるランカ・リーを通じて、なのだ。放送当時はネット上でもかなり話題沸騰だったし、作中の音楽を担当している菅野よう子がもともと好きだったのもあって、自分にしては珍しくアニメ本編を視聴するに至った。結果、ドンハマリである。もちろん本筋の物語や世界観、個性豊かなキャラクターの数々にも惹かれていたし、何より使用曲のインパクトがどれもこれも絶大だった。"トライアングラー" は坂本真綾が歌うにはアグレッシブすぎて違和感の方が強かったが、May'n が歌唱を務めた "射手座☆午後九時 Don't be late" や "ノーザンクロス" などのアクロバティックすぎる勢いには脳天を撃ち抜かれるような衝撃を受けたし、中島愛の "星間飛行" や "放課後オーバーフロウ" といった瑞々しいポップ曲では心に栄養が行き渡っていくのを実感した。歌がダメなわけでは当然ない。ただ、あまりアニメ関係なしに曲を聴いている他の声優シンガーとは違って、アニメの楽曲が自分にとっての中島愛の出発点であり、アニメキャラのイメージが彼女の歌う姿と密接にリンクしているという点で、自分の中で彼女は少し異質の存在なのである。
それでこのたびの新譜なのだが、オープナー "Over & Over" の時点でなかなか胸にこみ上げてくるものがある。歌詞には "19時5分過ぎ 誰もいない開演前のステージ わたしの声をみんなが待ってる" と綴られている。緩やかなエレクトロニカのトラックの上を跳ねていくようにしてラップ調のボーカルが乗るのだが、次第にテンポが心音の緊張を模しているかのごとくアッチェレランドし、サビで一気に音が開ける様はそれこそ舞台裏からステージに飛び込む瞬間をリアルにイメージさせる。詞曲ともに三浦康嗣(口ロロ)によるものながら、演者として表舞台に立つ中島愛本人の目線と綺麗にシンクロした内容になっており、そしてそれは同時に、歌姫シェリル・ノームに憧れてアイドルを志し、数奇な運命に巻き込まれながらシンデレラストーリーを歩んでいくランカ・リーの姿とも必然的にオーバーラップする。デビュー当初の彼女のミュージシャン名義が "ランカ・リー=中島愛" 、両者をイコールで結んだものであったのを思い出すとともに、その当時となんら変わらないフレッシュな鼓動がこの曲に生きていることを感じ取り、胸がジーンと熱くなる。
2曲目はアルバム表題曲 "GREEN DIARY" 。こちらは尾崎雄貴(BBHF)のペンによる楽曲である。ちょうど BBHF が昨年リリースした新譜にも通じる、艶やかな中に密かな熱さを感じさせる The 1975 風シンセポップ・ロック。早いものでデビューから10年以上が経った。途中に活動休止の期間を挟むこともあったが、振り返ってみれば過ぎた日々の断片すべてが愛おしい。そんな思いがごくナチュラルに、柔らかく、包容力も感じさせる声で歌われる。右も左もわからず戸惑ってばかり、それゆえに目に映る景色すべてが眩しく見えた "緑の日々" 。そしてランカ・リーの髪色もまた緑である。この一致はもちろん意図したものだろう。先の "Over & Over" では "変わらないもの" を確認できたが、こちらでは "変わってきたこと" への思いが "緑" のモチーフとともに込められている。
それで、この "GREEN DIARY" は中島愛サイドが尾崎雄貴に曲タイトルを提案し、その上でこの曲が完成したのだという。他の楽曲についてもほぼ同じ要領で、彼女の中にこういった曲調がほしい、こういった内容の歌詞がほしいといった明確な狙いがあり、それを外部作家にオーダーすることで制作を進めていったのだと。インタビューの中で "本人が書いているという価値しかないものは作りたくない" とまで明言しているように、彼女は今作においてプロセスよりも最終的な成果を充実させるのが最優先事項だと考え、そのために作家陣とのコミュニケーションを深めることを重視した。そういった経緯があるだけに、今作は彼女自身が手掛けた詞や曲は全くないにもかかわらず、もしかするとこれまでのキャリアの中で最も、彼女の内面がダイレクトに投影された作品だと言えるかもしれない。自分はあえてアイディアの発信源に留まり、他者から自分を描いてもらって、あとはボーカルに専念。そうすることで結果的に、中島愛というパーソナリティーをくっきりと説得力ある形で浮かび上がらせているのである。またその後には "メロンソーダ・フロート" や "ハイブリッド♡スターチス" といったストレートなアイドルソングが来るのだが、それらも決して軽薄なばかりの響きにはならず、彼女にとって最もオープンな部分、すなわち "アイドル" たる表向きの顔を象徴するものであり、このアルバム、ひいてはシンガー中島愛を構成する重要なピースのひとつとして機能している。
そしてアルバム後半部。今作はざっくり言うと前半は陽サイド、後半は陰サイドの楽曲が主となっている。ドラマチックな曲調で内なる逡巡を歌った先行シングル "水槽" が後半の一番の盛り上がりを担っているが、ここで個人的に最も惹かれたのは "ドライブ" だった。詞曲は tofubeats 。tofubeats と言えばかつて dj newtown 名義で "星間飛行" を大胆にカットアップしたダンストラックを発表し、ネットの好事家を騒がせたこともあった。あれから10数年が経ち、今回初めて中島愛にオリジナル曲を提供するに至ったということで、きっと tofubeats にも感慨深い気持ちがあったことかと思う。ただここでは "星間飛行" 路線ではなく、逆にアンビエント風の曲調でしっとりとした憂いを湛えている。"B面の曲はなんでいつもせつないの おしえて" といったラインがレコードコレクターである彼女へのリスペクトを匂わせつつ、ぼんやり遠い目をしながら終わってしまった恋に思いを馳せる、そんな大人びた感傷が聴き手にも冷たい水のように浸透してくる。当たり前だが、誰だっていつまでも青い若者のままではいられない。デビューしたての10代の頃の彼女(=ランカ・リー)と照らし合わせてみると、この楽曲はあれから10数年が経ったという事実、長い時間の流れを特に深く実感させられる。これがエモでなくてなんだと言うのか。
アルバム最後を飾るのは "All Green" 。曲名は "すべて異常なし" の意。もちろん異常がない世界などはない。今など無茶苦茶に異常だらけだ。しかしそんな世界と向き合う自分の中に曇りはない。あったとしても晴らしてみせると。言わば決意表明の歌である。その目は現在を、そして未来を確かに向いている。彼女の原点に始まり、この10年あまりを彩った数々の出来事、そしてその先に至るまでの時間軸すべてを "緑" というキーワードで繋いだ、実に噛み締めがいのあるコンセプト。そういった内容の厚みがありつつ、澄み渡った声とメロディが衒いなくストレートに響いてくる、普遍的な魅力も備えた上質のポップアルバム。それが今作。充実の傑作である。