INORAN "想"
LUNA SEA のギタリストによる、1997年発表(2011年に一部を再レコーディング/ジャケットを新装して再リリース)の初ソロフルレンス。
日本史の復習。LUNA SEA は1994年リリースのシングル "TRUE BLUE" がノンタイアップにもかかわらず初のオリコンチャート1位に達し、その後のアルバム "MOTHER" で名実ともにトップバンドとしての地位を確立。翌年の東京ドーム公演はチケット即日完売、その後のシングルやアルバムも立て続けにチャート首位を奪取するなど、勢いはこれ以上ないほどに加速度を増していた。しかし1996年末の横浜スタジアム公演をもって LUNA SEA は活動を一時休止。バンド全体のポテンシャルをさらに引き上げるため、彼らは1997年の一年間をメンバー各自のソロ活動に充てることにした。そうして RYUICHI は本名の河村隆一名義でポップシンガーに転向し、本隊以上のメガセールスを記録。SUGIZO はロンドンレコーディングを敢行し、ドラムンベースやトリップホップといった当時の先鋭的な音楽要素を取り入れながら渾身のアート空間を披露。J は自身のルーツに立ち返ったシンプルかつ剛直なハード・ロックンロールに邁進。真矢は一番の武器であるドラムを放棄し、何故か秋元康プロデュースの元でいかにも当代的な歌謡曲を渋く歌い上げていた。
そして、この INORAN である。
当時の頃を振り返った興味深いインタビューがあった。そもそもソロ活動を積極的に提案していたのは RYUICHI と SUGIZO で、INORAN はソロ活動に対してさほど乗り気ではない…と言うよりも、初めはソロでやりたい具体的なアイディアが彼の中になかったとのこと。それで単純に「自分が聴きたいと思うものを自作しよう」というふわっとしたモチベーションから始まったのがこの "想" なのだと。そういった前提を踏まえることでようやくこのアルバムの実態を掴める気がする。というのも、今になって改めて聴いても思うのだが、DJ KRUSH を招聘してヒップホップ/エレクトロニカを全編に導入したという点では今作は SUGIZO のソロにも通じる部分が大きいが、ふたりが決定的に違うのはエゴの打ち出し方だ。SUGIZO が個々のギターの細かな音色、実験的なアルバム構成、また歌詞のメッセージ性の強さにおいても強烈な主張を感じさせるのに対し、今作で INORAN が自分の内面を明確に曝け出しているのはアルバム表題曲 "想" のみ。もちろん他の曲も INORAN 作曲であり、彼のギターが楽曲のカラーを決定付ける重要な役割を担っているのも確かだが、曲中ではむしろゲスト参加したボーカリスト/ラッパーの方がずっと存在感が強く、INORAN 自身は敢えてコンピレーション盤を監修するプロデューサー、裏方の立ち位置に徹している印象を受けるのだ。それはアルバム制作の出発点を考えれば当然の判断と言える。楽曲至上主義と言うべきか、曲が必要とするボーカル、ギター、トラックを用意するのが最優先事項であり、それ以外の「自分が聴きたくないもの」は必要ない。自分のソロ名義だから自分が歌わなければいけない、ギターソロを詰め込まなければいけないなどという固定観念は完全に無視している。その意味で今作は極めて職人気質な内容であり、SUGIZO とは真逆のベクトルで創作者としてのエゴが発露した作品だと言える。
それで自分がずっと気になっていたのは、どういう基準でこのゲスト陣を選出したのかだ。ノルウェー出身のオルタナティブロックバンド Bel Canto のメンバーであり、同郷の a-ha や Röyksopp 、Motorpsycho とも共演しているボーカリスト Anneli Drecker と、米国のヒップホップバンド The Roots のオリジナルメンバーであるラッパー Malik B. が最も有名なところか。その他は名前で検索してみても大した情報が出てこないし、国籍もジャンルもまちまちで何かしらの基準が見えてこない。それで1997年当時のインタビューを辿ったのだが、INORAN 自身から参加してほしいと希望した場合もあれば、知人から情報を得てオファーを出した場合もありで、パターンはまちまちだと。各ゲストに対する INORAN 本人の詳細な思いは残念ながら見つけられなかったが、アルバム制作の時点ではまだ正式デビュー前のはずな人選もあったりで、この辺も客観的なプロデューサー目線と言うか、歌い手のキャリアや思想などは関係なく、純粋にボーカルの技量のみで楽曲に合うかどうかを判断したということだろう。この辺のこだわりの無さもまた INORAN らしいと言うか何と言うか。
ただ、そうした制作プロセスが功を奏し、各楽曲のクオリティは申し分ない仕上がりだ。ダークかつヘヴィにうねる低音が初期 Massive Attack を思わせる "Resolution" 、対照的にスケール豊かな幽玄の広がりを見せるエキゾチックポップ "Monsoon Baby" 、今作では数少ない生演奏主体でどっぷり夜を深めるジャズチューン "FAITH" 、牧歌的で素直な日本語歌唱がこの中では逆に異色な "人魚" と、INORAN のコンポーザーとしての実力をアピールするには十分な秀曲ばかり。そして、リリース当時の自分はどうしてもこれらの流麗な歌モノにばかり意識が向きがちだっのだが、"Obscenity" や "Rat Race" といったラップ曲は90年代らしいバウンシーなビートの小気味良さと、耽美で抒情的なアルペジオの対比が今聴くとかなり新鮮に感じられるし、シリアスなスポークンワードとジャズ・ヒップホップの実験的な取り合わせは20年以上先の Moor Mother にも通じるのでは?という気もする "Have You Read" など、エレクトロニカやヒップホップにある程度慣れた今の耳で聴いた方が、今作はずっと発見が多くて面白い。また上でも少し触れたが、曲調はバラエティに富みつつも全体にはどことなく共通した空気感があるため、違和感のない流れで聴き通せる…その空気感を醸成するのに重要な役割を果たしているのが、他ならぬ INORAN のギタープレイだろう。先にエゴが少ないと書いたのと矛盾するようだが、彼のギターが入ることで躍動するビートにも湿度が加わり、世界観の陽光は雲で翳り、INORAN という確かな判が押された状態になる。奏でるフレーズ自体は至ってシンプルなものなのに、このセンスの鋭さはやはり見逃せない。
しかしながら…これは前々から思っていたことだが、表題曲 "想" は確実に最初のボーカルテイクの方が良かった。このたびストリーミング解禁したのは上の MV と同じく、ボーカルを再録した2011年バージョン。LUNA SEA 終幕後の10年ほどのソロ活動を経て、確かに歌唱力は格段にレベルアップした。バンドメイトが絶対的な基準として存在している彼にとって、以前のテイクに納得がいっていないという気持ちもよく分かる。ただここではどうにか我慢してほしかった。上手ければ良いというわけではない。ダウナーで淀んだ雰囲気の中、手探りで霧をかき分けるようにして未来にとぼとぼと歩いていく、その逡巡や葛藤を生々しく表現するには、粗削りな上に歪みがかった元テイクの方がむしろ説得力があったと思う。再録の歌はえらく流暢で、しかもうっすらオートチューンで加工された艶やかさがあり、トラックとの相性は微妙で、アルバム全体の中でも妙に浮いてしまっている。
そこだけは難点ではあるが、それを差し引いても今作が他にはない奇妙な魅力を持った作品であることには間違いない。ヴィジュアル系とヒップホップのクロスオーバーという音楽性もそうだし、積極的に我を出さないというバンドマンシップ(?)に真っ向から反するようなアティテュードにしても、今作はあまり類を見ないもので、どのジャンル、どの地平からも隔離された場所でひっそりと孤立している印象がある。そもそも資本的な意味でも、こんな構成のアルバムは LUNA SEA の人気絶頂期でありヴィジュアル系バブルが巻き起こっていた1997年という時代でなければ成し得なかっただろう。そんなこんなでこの "想" はやはり、LUNA SEA ソロワークの中でも特別異彩を放つ問題作なのだった。