Black Country, New Road "For the first time"
イギリス・ロンドン出身のロックバンドによる初フルレンス。
これまでのシングルがすでに高評価を得ていたので、そのままアルバムの方も絶賛一色の状態になるかと思っていたが、案外そうでもなかった。かなり評価が割れている。海外の批評メディアでも、自分の Twitter のタイムラインでも。まあ肯定/否定の理由は人それぞれにあるだろうが、なんとなく思うのは…彼らの楽曲は様々なジャンルを混淆することで成立しているため、このアルバムはこういう音楽性だと一言でくくるのが難しく、それが今作の評価を割れさせている大きな要因になっているのではないかなと思う。
実際、今作に収められた楽曲を聴いていると様々なアクトの名前が脳裏をよぎる。Gang of Four 、Slint 、Godspeed You! Black Emperor 、Battles 、その他諸々…。長尺でアバンギャルドな構成がメインではあるが、ジャム的な即興性はさほど感じず、むしろシステマティック・カオスとでも言うべきか、クラシカルなプログレッシブロックにも通じる綿密な計画性があり、インテリジェントな印象をまず第一に受ける。なので基盤にあるのはマスロックなのだと思うが、その音の端々にはジャズがあり、パンクがあり、トラッドがある。それらのどの部分にフォーカスを当てるかで、このバンドの見え方は大きく変わってくるだろう。先日の NOT WONK の新譜もそうだったが、どのジャンルの枠に収めても違和感が残る作品は、どのジャンルに軸足を置いて聴くかで多様な捉え方が発生する、それだけ自由度の高い作品だということでもある。ただ NOT WONK にはすでにエモ/パンクバンドとしての経歴があったのでまだわかりやすかったが、彼らの場合はこれがデビュー作である。一定のバンド像を確立する前からすでに掴みどころのない軟体生物の様相なのだから、そりゃ他者からの見え方、評価も千差万別だろう、という。
では自分はどうなのかと言うと、かなり好意的な方ではある。ただ、彼らを最近の UK で流行しているポストパンク再リバイバルの一派と捉える向きもあるようだが、個人的な考えはそれとは微妙に違っていて、ここでの音楽性に最も近いバンドとして頭に浮かんだのは Sonic Youth だった。パンク、ノイズ、ニュー(ノー)ウェーブ、グランジ、オルタナティブ…それらすべての領域に足を踏み込みながら、最終的にそのいずれにも染まりきることがなかった、孤高にして無常のバンド、Sonic Youth 。
彼らの SY 性を確認するには先行シングル "Science Fair" が最もわかりやすいだろう。不穏極まりないギターノイズに始まり、ドラムはひたすらミニマルにいびつな律動を刻み続け、やがてキーボードやサックスも重なって緊張感が張り裂ける寸前にまで膨張し、最終的には爆発してヘッドバンギングを誘発するほどのダイナミックなうねりと化す。ただ、終盤に楽曲のオチとなるようなパートは設けられてはいるものの、それが抒情性だとかある種のカタルシスに結びつくことはなく、殺伐とした空気が殺伐としたままで霧消していく。伏線を回収する気がさらさらないままでミステリ小説が終わってしまうような、なんとも不条理でシュールな感覚。この聴き心地こそが SY を特に SY たらしめているものであり、同時に BC, NR の異形さを際立たせている重要なエッセンスでもある。もちろんノイズ成分を多く含んだフリーキーなギタープレイなど、物理的にも SY を連想させる部分は多く見られるが、そういった表層からさらに奥底の、作曲センスの中枢を成す部分にまで SY の遺伝子が根付いているように感じるのである。それは次曲 "Sunglasses" でも同様で、キナ臭い匂いを振り撒きながら9分以上に渡ってやり場のない熱を燻ぶらせ、しかし結局は着火にまで至らない、そんなモヤモヤとした落ち着かなさが独特のストレンジな味わいに転化している。これは自分が SY に対して覚える印象とほぼ同種のものなのだ。
しかしながら、この SY 性は彼らのキモではあるが、あくまでも彼らの一部分でしかなく、非 SY 的な要素も見つけようと思えばそこかしこに見つけられる。例えば冒頭を飾る "Instrumental" ではジャズやアフロファンクをマスロックの枠内に注ぎ込み、トライバルで野蛮な、それでいてトランシーな躍動に満ちた人力ダンスミュージックを展開したり、最後の "Opus" では東欧トラッドからまさかのスカパンクにまで発展し、ストレートなロック的昂揚感で体をガツンと突き上げてくる。極めてライブ的だし、なんならポップ、キャッチーですらある。しかもそういった要素がある種の飛び道具としてではなく、マスロックあるいは SY 的な感性の中に必須ファクターとして組み込まれているのだ。そもそも今作の収録曲は彼らが結成以来ずっとライブで演奏してきたものがほとんどで、なるべく現場での感覚に近づけるためにレコーディングもさながらスタジオライブのスタイルで、わずか7日という短期間で集中的に済ませたのだそう。鼓膜から筋肉に訴えかける音楽を、彼らは基本的には志向しているわけだ。
ただ、彼らの志向する "ライブ感" は、例えばパンクロックのライブのそれとは全く質が異なる。彼らが目指しているのは一転突破的な爆発力、明確なカタルシスに頼ることなく、聴き手をイマジネーションに浸らせもせず、音を音のまま、狂騒を狂騒のまま体感させるというものである。最もライブ向きと言える "Instrumental" と "Opus" にしても、そこで発生させた熱量をどこかしらに綺麗に着地させることを彼らはしない。過ぎ去ったあとに何も残さない台風のようなものだ。彼らが演奏している間、聴き手は音の発する不穏さ、ささくれた刺々しさ、神経を逆撫でるような騒々しさをありのままに受け止め、困惑しながら体を揺り動かせるしかなくなる。また、今作の音処理には空間的な奥行きがほとんど活用されておらず、フィードバックノイズを用いる場面でも、全体の質感はソリッドで平面的。サックスやバイオリンといった楽器にしても、普通ならもっと艶やかさや情感豊かな色味が宿りそうなものだが、それらの音が加わっても楽曲自体の印象は異様なほどにドライなのだ。メンバーの多くは BC, NR 結成前に Nervous Conditions というパンク/ハードコアバンドをやっていたそうだが、このドライで鋭角的な音像もハードコアの名残かもしれないし、もしくは初期の Gang of Four あたりへの憧憬、そして楽曲から余計な文脈をとにかく剥ぎ取ろうとするメンバーの強い意志の表れとも受け取れる。曲中のボーカルがほぼスポークンワードに徹し、内容はどうにも不可解というのも、アンサンブルの無機質さを助長してばかりだ。
だいたい、イギリスの主要道路の名前を適当に拝借したバンド名にしろ、どこぞの大学のテニスサークルのような朗らかな風貌のアーティスト写真にしろ、著作権フリーの素材を使用したユニクロの広告みたいなジャケットにしろ、これら音以外の情報から実際の音を予測できた人間が果たしてどれだけいただろうか。徹底した楽曲原理主義と言うか、音に音以外の要素がつけ入る隙を、彼らはしらみつぶしに除去しているように見える。音の持つ質感や輪郭といったフェティッシュな要素のみを抽出し、それ以上にもそれ以下にもせず、実験を実験のままで終わらせる。これこそが彼らのアティテュードなのだと。今作では結果的に SY 経由のマスロック風といった体裁になったが、きっとそれも次作では別の姿と化していることだろう。彼らが行っているのは手段も目的も実験であり、実験は未開拓の荒野を切り拓くことに意義があるからだ。どう転んでいくかわからない未知数の部分も含め、神経を蝕む毒素のように聴き手をチリチリと刺激する、挑戦的な一枚である。