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Fievel Is Glauque "Rong Weicknes"
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アメリカ・ニューヨーク出身のマルチ奏者 Zach Phillips と、ベルギー・ブリュッセル出身のシンガー Ma Clément によるユニットの、約2年ぶりフルレンス3作目。
1作目 "God's Trashmen Sent to Right the Mess" は2018年~2020年の間に収録した5つのセッション(それぞれ参加メンツも録音場所も異なる)をまとめたものだが、いずれも安物のカセットデッキで録音したのか?というローファイ全開な音質が、ジャズ/ボサノバポップな楽曲の魅力を明後日の方向へ捻じ曲げるアバンギャルドな怪作だった。2作目 "Flame Swords" は音質こそ真っ当に向上したものの、18曲中17曲が1~2分台のショートカットな速度でテクニカルに目まぐるしく展開する、さながらジャズの枠組みでグラインドコアを演っているかのような強烈な作風。"recorded 100% live" の謳い文句に畏怖の念を抱かせる、別のスタイルでの怪作だった。そして今作。情報によれば "recorded live in triplicate" とのことで、つまりはライブ演奏を3テイク録音し、それぞれをコラージュ的に緻密に繋ぎ合わせて一本の本チャンテイクに仕立て上げたということらしい。前2作とはさらに別種のマニアックな実験性。
しかしながら、実際に出来上がった楽曲は、むしろこれまでよりもフレンドリーな印象を抱かせるもので、それが彼らの技量を誇り高く示すとともに、ますます Fievel Is Glauque という存在が捉えどころのない謎めいたものに感じられる、なんとも奇妙な味わいなのだ。これにはもはや笑いすら込み上げてきてしまう。
音楽性は引き続きジャズやボサノバ、チェンバーポップなんかを基盤に、演奏者各自が持ち得るテクニックをフル活用し、プログレッシブにドライブしつつ、洒脱な落ち着きを忘れることなく展開する、というもの。前作との違いを挙げると、3~4分台の楽曲が増えてアルバム全体の尺も長くなり、そのぶんスピード感よりもじっくり練り込んだ構築性を重んじた作風にシフトしているのが最も大きい。1曲目 "Hover" を聴けば、独自の世界が仰々しく扉を開けてパノラミックに広がる、その凄みを分かりやすく味わえるはずだ。グッと速度を落としているが、アレンジ面の複雑で目まぐるしい情報量は変わらず、何ならマキシマリズムが加速して今までよりもさらに偏執的な印象すらある。続く "As Above So Below" や "Love Weapon" なども、聴き心地は童話世界のサウンドトラックかというほど至って流麗で牧歌的なものだが、細部に耳を凝らすほどに仕掛けの多さに圧倒されそうになる。この自然な演奏がコラージュの手法で作られたとは俄かに信じがたいし、自然なだけでは済まない音の入り組み方はなるほどコラージュの手法ならではか…と妙に納得してしまう。違和感と清涼感、愛らしさと毒っぽさの両立。
また、今作を含む彼らの活動が、常に「ライブ」、現場主義に貫かれたものであるのは興味深い話だ。互いの音を突き合わせ、そこからさらに高いレベルへと昇華する、そのマジックこそ彼らは最優先すべき事項だと信じているのだと思う。そこに編集や音響といった手が加わっていても、それはあくまでライブ感を助長し、聴き手の笑いを引き起こすまでに過剰で大袈裟なものとし、その場の空気すべてを飲み込むほどのエナジーを発生させるためのものだ。今作に収められている楽曲がライブではどのように再現されるのか、もしかすると完全なる再現を果たしてみせるのかもしれないが、それはそれで実際に目撃するとその場で笑い転げてしまいそうだ。人間の手による演奏は2024年の現代においてもまだ伸びしろがあるという衝撃を体感できる、それが本作である。