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#022 スメラミシング/小川哲 を読んで、陰謀論にモヤモヤすること。

小川哲さんの短編小説「スメラミシング」を読んだ。

何かのWebの記事でこの作品が「陰謀論」を題材している、というようなことを知って、興味を持った。

図書館で文芸雑誌を借りて読んでみた。
小川哲さんの小説を読むのは初めてだった。

ざっと一気に読んで、感じた印象は…。

陰謀論について確かに書いてある。
主人公や、他の登場人物も皆、それぞれの陰謀論じみた世界観を持って生きている。

複数の別の世界観を持っている人たちが、ノーマスクデモに参加しようとして集合する。話の筋としてはそういう感じだ。

ただ、別に物語が何か終着点に到達するとか、何かカタルシス的なものに至る、というのでもない。

ただ、「ああ、こういう感じで皆んな、それぞれの陰謀論的な世界を生きているんだな」という感慨を得た、という印象だ。

そういう意味で、日々、SNSなどをみて感じる印象と似ている。
リアリティを感じる。
時代の雰囲気を捕まえたような感じがある。


理由がほしい。物語がほしい。正義のヒーローが現れて、黒幕の悪事を暴き、世界を変える、そんなお話であってほしい。自分はその物語の登場人物でありたい。

「スメラミシング」/小川哲

陰謀論について、僕は今どんなふうに考えたらいいのだろう。

最近、ぼんやりと思うけれど、それをはっきりと捕まえられない。

昔は、テレビなんかで有名な言論人が世界の読み方をかっこよく披露していたような気がする。

そういうテレビや新聞は、今や「オールドメディア」ということで、反発を喰らっている。

僕らがずっと慣れ親しんだマスな情報発信は、「大きな物語」として、僕らの社会的な基盤を作っていたのだろうけれど、SNSの普及と、匿名の不特定多数の個人による発信に取って代わられた。

結果として、真実らしさがどこにも無くなった。
全てが疑わしく思われるようになった。

陰謀論はとても興味深い。
そして陰謀論は怖い。

皆さんは、陰謀論にはまってしまわない自信がありますか。
あるいは何が陰謀で、何が陰謀ではないかを見分ける自信がありますか。

SNSでは、反ワクチンやディープステイト、人工地震とか、人身売買する小児性愛の富裕層、などのワードと共に、色々なエイジェンシー(裏組織)が暗躍している、という言説が増えた。

陰謀論やフェイクニュースに惑わされないように、エビデンスや科学的根拠などを重んじて情報リテラシーを高めましょう、と一方では言われるが、何せそれらを一般人に保証する役割だったはずのマスメディアが今や批判に晒されている。

だからと言って、匿名の個人の言説に信憑性があるわけでもない。すると、一体何を信じたらいいのか、どう検証したらいいのか、途方に暮れてしまう。


つまり、モヤモヤしてしまう。

半径100メートル以内の世界が平和で、心理的安全性が担保されており、ラブリーならば問題はない。

家庭の幸福。

でも、そういうのが揺らぐと一挙に恐ろしくなる。

この世界がオカシイのは誰かによる陰謀ということになる。
世界の中心で「誰がこんな世界にしたのか!」と叫ぶことになる。
その世界を救う、救世主、ヒーローが必要だということになる。

でも、そのヒーローなりメシアなりが本物だってどんなふうに見分けられるのか、ということになる。

それって難しいのでは。
難しいから、慎重になったほうがいい。

間違える可能性は常にあるから。
そもそも他力本願的にそんな存在を希求して大丈夫なのだろうか。

そういう局面において役にたつ能力が、人文知とかメタ認知とか、小説を読むことで経験的に培われる、物語的な知性の感覚なのかもしれない。

哲学でもいい。ソクラテスの「無知の知」の自覚とか。


…しかし、大変な世の中になったものだと思う。
マスメディアが権威を失うのは良い。
でも、市民の一人一人が高度な人文知を身につけなきゃいけないかも、となると骨が折れるものだ。


なんというか、もっとシンプルに、心身ともに健やかに生きたいものです。

そんなことを思うだけでモヤモヤしていたのだけれど、読んだ日の夜に、夢の中でその続きを考えていたらしい。

明け方に、ふと頭の中に「図」が浮かんできた。

起きてからまだ覚えていたので、ノートに描き出してみた。
こんな図だ。

夢の中で考えていて浮かんだ図

大きな円で囲まれた中心に「がわ(側)」と書いている。
これは、僕らが生活の中で目にして感覚する事実だ。

例えば、SNSのテキストだったり、動画や画像だったりする。
あるいは、知人や会社の同僚、恋人が発した言葉や態度だったりする。

表面的な物理的な、外側(がわ)だ。

でも、その本当の意図とか意味とか理由を知るためには、僕らの「内側」=心や思考で想像しないといけない。

その人が本当に言いたいことや、その現象が持っている文脈や意味を想像する。
想像して「なるほど、そういうことなんだろう」と思う。

でも、確証はない。
確証がないから、不安になる。
正直「わからないことだらけだ」と感じる。

それだと困るので、なんとか想像して物語を探す。
自分が納得できる物語を見出す。

その時には、結局、見えている「がわ(側)」の「向こう側」に僕らが見出すのは、僕ら自身の「内部」の構造の反映だということだ。

言葉を変えると、僕らの認知バイアスや欲望に基づいて、「向こう側」を見出すのだと思う。

これが陰謀の構造なんじゃないかな。
多分、僕は眠りながら、そのことを考えていたんだと思う。

そうだとしたら一番深いところで陰謀を巡らせているエイジェンシーとは、自分自身の深層心理なんだと思うのだけれど。
どうだろう。…












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