歩くこと、都心で生活すること
7月も半ば。今日も雨はしとしとと降り続く。まだ梅雨は明けていないのだ。テレビをつければ災害や感染症のニュースが連日報道されている。この雨でただでさえ鬱々としているのに、気持ちは更に下降線をたどっていきそうだ。
雨が降ると外に出ようという気持ちが皆無に等しくなることがある。必要があればもちろん出るのだが、出たくない日は極力出ない。昨今騒がれている感染症予防の観点からしても、外出しないという選択は悪いことではないように思えた。しかし外に出ないということは歩かないということとほぼ同義だ。都内で一人暮らしをしている平均的な20代であれば車を持っている人は少ないだろう。私も例に漏れず多数派だ。それゆえ都会の人々にとって歩くことは外出手段であるのだ。
実家は運転する人数分だけ車があるという地域だった。それゆえ実家では歩くことと外出手段はイコールではなかった。外出手段といえばもっぱら車である。徒歩で行くのは歩いて30秒のコンビニか、毎朝のゴミ捨てくらいのものだ。新卒で営業を仕事にしていた頃ーそれは実家から車通勤していた頃ー、1日に歩くのは2000歩を少し超える程度だった。家の中で歩く分も入れれば多少増えるかもしれないが、それを加えたところで微々たるものである。それが今はどうだ。日々通勤するだけで5000歩、6000歩は歩く。ただ何となく、必要に迫られて歩いているだけでもこの歩数だ。あなたが意識してウォーキングをしているならば、この2倍、3倍歩いているかもしれない。それくらい、都心の人々にとって歩くことは日常であり、生活を成り立たせているものなのだ。小さな子供から学生、サラリーマン、老夫婦、誰もが歩くことを日常としている。
だからなのだ。だからわたしは雨が降ると外に出ることに面倒くささを感じるのだ。雨降りの中、歩くこと。それが億劫で仕方ないのだ。車社会だった実家では経験したことがなかった。
7月に入って雨が降らなかった日はどれくらいあっただろう。正確には知らないが、体感では1日もなかったような気さえする。それゆえ私が外に出る機会は少なくなる。靴を履かない日もある。当然のように歩く機会も減っていくのだ。特にストレッチや筋トレをしている訳でもなく、明らかに運動不足、不健康である。恐らく一日の最低運動量にさえ達していない日もあるだろう。ただ、それが悪いことだとは思っていない。体は固まりかけているが、引きこもる暮らしもまた一興である。文章を紡いだり、一日中本を読んだり、料理をしてみたり、今まで目を背けていたところを掃除してみたり。かつて、こんなに家にいる日常を送ったことはなかった。丸々家にいるなんて日は余程体調が悪い日くらいだった。だが今はそうでは無い。そんな日々にできなかった生活を現在進行形で送っている。波が少なく落ち着いた内海のようだ。そこには穏やかな楽しみがある。
ストレッチと筋トレは興味があるので始めてみた。だがそれ以外は特に変えるつもりもない。もう少しばかり、この不健康な生活を楽しんでみようと思う。少なくとも、梅雨が明けるまでは。