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資本主義の問題点

若い人と『人新世の「資本論」』(斉藤幸平著)の話になった。脱成長の話になったが、そもそも資本主義がなんたるか知らないようだった。

そこで私なりにだか、説明したことをここで述べる。

資本主義は正確に言えば〈商品〉資本制社会である。大航海時代を経て、ヨーロッパで地主によって囲い込み、包摂が起こり、それまでの共同体が一度解体され、労働商品としての賃金労働者になる。つまり人がコストになることである。労働商品者による商品の生産と消費の社会が、商品資本制社会である。無論、資本家もこの商品社会の産物でしかない。誰もが商品であり商品コストとして存在しているのです。

何をもって包摂するのか、時代によって変節するが、基本的には、産業資本主義社会のグッズ(車、冷蔵庫とか)、これが1972年まで続き、成長の限界(ローマクラブ)が出版され、レーガン・サッチャーの新自由主義の金融商品に包摂され、2008年にふっとんで、今データ資本主義に移行しようとしてます。

今の主要商品はデータです。私たちも日々デバイスを通じてデータ商品化されています。つまり包摂されているのです。

一番の問題点は、この人間のコスト化ではないでしょうか。マルクスやプルードンはこの問題と戦いました。このコスト化の強制から自由になり、もっと人間自然らしい存在として生きること。

自身を労働商品として売って買ってもらい、コスト・対価としてお金を受け取る。すべてが、生存に必要な水すら商品となり、お金がなければ生存の自然権すら脅かされている状態です。商品社会とは金がなければ生存できなくなる社会のことです。だから成功イメージが金持ちになる。すべてが金に依存することになるのです。

資本家も賃労働者も商品に飼い慣らされているだけです。

しかし、一方、では人間らしい生活とはどのような生活なのか。若い人も私も答えられませんでした。著者の斉藤幸平さんも、コモンの社会を表現しきれてるわけではありません。

しかし、方向性には同意します。この本がベストセラーになったのは驚きであると同時に、期待を抱かせてくれます。

人間は商品ではない。では何なのか。これにどう答えていくのか。脱成長は、これに答えられるかどうかにかかってるのではないでしょうか。


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