能登半島地震の復興で、私たちに何ができるのか。SIIFなりの支援のあり方とは。
2024年1月1日に最大震度7を記録した能登半島地震。発生から3ヶ月を経ても広範囲で断水が続くなど、甚大な被害をもたらしています。SIIFでは1月9日に人的支援を決め、1月15日には東日本大震災の復興支援にも携わった専務理事・青柳光昌が現地に入りました。災害時に求められる支援とは何か、私たちに何ができるのか。青柳からご報告申し上げます。
被災地に心を寄せ、現地に赴き、声を届ける
今回の能登半島地震の被害は、2016年4月の熊本地震に匹敵します。しかし、その規模に比べて報道の沈静化が早いことに、大きな危惧を感じています。自然災害(特に地震)からの復旧・復興は長期戦ですから、被災地の外からも関心を寄せ続けることが肝心です。過去の災害支援経験に照らしても、被災した方々にとって「心を寄せていますよ」「なんでも言ってね」という声は、何より心の拠りどころになるものだと思います。
SIIFのミッションは、自助・公助・共助の枠組みを超えて、社会問題の解決を目指すことです。そのことを踏まえれば、この災害時に私たち自ら、本業の一部として支援に取り組むことは必然でした。現状では資金的な支援は難しいものの、まず現地に駆けつけて「なんでも言ってね」と伝える。そして、そこにある課題としっかり向き合い、自分で考え、経験し、やるべきことをやる。そのことは、SIIFのメンバーにとっても、将来の社会課題解決に役立つ、貴重な経験になるでしょう。
七尾のまちづくり会社・御祓川を通じて3つの支援を行う
SIIFは2019年度の休眠預金活用事業で石川県七尾市のまちづくり会社・御祓川(みそぎがわ)と協働したご縁があります。御祓川は地域金融機関と一緒に地元企業の経営支援を行っており、事業者とのネットワークを築いています。また、能登の商品を発信するWebショップ「能登スタイルストア」の運営も手掛けています。そこで私たちは、御祓川を通じて、以下の3つの支援を行うことにしました。
1つめは「能登スタイルストア」のバックアップです。このWebショップは、被災当初こそ休止したものの、1月11日には再開していました。けれども、災害の応援消費も相まって、運営の手が足りなくなることは必至でした。そこで、SIIFのメンバーがスタッフとして入り、オペレーションのフローを構築してマニュアルにまとめました。そうすれば、その後は誰が入ってもすぐに運営できるようになりますし、御祓川のメンバーは、ほかの復旧・復興作業にリソースを割けます。
もう1つは経営支援です。休眠預金活用事業で実施したアクセラレーション・プログラム「TANOMOSHI」を引き継いで、被災した企業の事業再建をお手伝いできないかと考えました。SIIFで「はたらくFUND」を手掛けているチームは中小企業やベンチャー企業を数多く見てきていますから、事業計画を一緒に考えることができるはずです。
3つめは御祓川が中心になって立ち上げた「NRN 能登復興ネットワーク いやさか」のお手伝いです。ここは避難者のアセスメントや支援物資の調整、ボランティアの派遣やマッチングなどに取り組んでいます。SIIFのメンバーもここに参加し、ボランティアのニーズを聞き取ったり、避難所を回って生活再建の課題を調査したりしました。
当初からの目論見として、これらの支援は3月末まで続ける予定でした。発災から3ヶ月経てば現地のニーズも変わるので、その後は、また新たな見直しが必要だと考えたからです。これら3つの支援を行うために、毎週途切れなく、SIIFの役職員複数名が現地にて活動をしました。
「能登スタイルストア」に関しては、運用マニュアルが完成しましたし、御祓川も専任スタッフを雇用できたそうなので、SIIFの支援は必要なくなりました。一方で、経営支援については各社から聞き取りを行い、継続のご要望がある会社について、今後の支援体制を検討しているところです。
地域のために奮闘する企業と向き合い、課題解決を考える
東日本大震災のときもそうでしたが、大きな災害が起きると、地域が抱えていた潜在的な課題が一気に表面化します。人口流出も起きますし、損なわれた社会的資源の回復も容易ではありません。しかも、能登は、東日本大震災を経験した当時の東北地域よりさらに高齢化率が高い。この震災をきっかけに、休業したり、地域を離れられる方は少なくないでしょうし、それを無理にとめることはできません。地域の産業や文化を引き継ぐには、地元の中堅や若い人を育て、引き上げていくしかありません。それに加えて、課題が噴出している被災地だからこそ、ここで挑戦をする地元外からの新しい人材が入っていることが望ましいです。
御祓川が伴走支援する地域企業には、自らの事業のみならず、地域全体の再生・再建のために奮闘する経営者たちがいます。私たちのような財団にできることは、自ら現場に足を運び、彼らとともに真摯に課題に向き合い、考え抜くことしかありません。そして、こうした実践を踏まえてこそ、インパクトエコノミーやシステムチェンジへの道筋を開くことができるのではないでしょうか。
1月15日に能登を訪ねたとき、御祓川社長の森山奈美さんが、地元のお好み焼き屋さんに連れて行ってくれました。発災から2週間が経ち、すでにコンビニやドラッグストアなどのチェーン店は営業を再開していましたが、地元店ではそのお好み焼き屋さんが最初だったそうです。断水が続く中、紙皿に紙コップ、割り箸を使い、最小限の水でお好み焼きを焼いてくれました。通りまで拡がるその匂いにつられて近所の人が集まり、ビールを呑みながら涙ぐむ姿が印象的でした。地元の馴染みの店が以前と同じように営業している、ただそれだけのことが、涙が出るほど嬉しいんですね。地域の生業の灯を消してはいけないと、しみじみ思わされるできごとでした。