八王子市の大腸がん検診受診率を引き上げた、日本初のヘルスケアSIB。全国に拡大してくために必要なこととは?
日本初のヘルスケア分野SIB(ソーシャル・インパクト・ボンド)事業として注目を集めた、八王子市の大腸がん検診受診勧奨事業。3年の事業期間を終えて、早期がん発見者数と精密検査受診率は目標最大値には及ばなかったものの、大腸がん検診の受診率を大きく引き上げる成果が確認されました。事業を担った株式会社キャンサースキャンは、八王子市のほか、広島県でも広域連携のSIBを手掛けたパイオニアです。今回は、同社代表取締役社長の福吉潤さんに、キャンサースキャンがSIBに取り組む理由をお聞きし、これからのSIBの可能性について語り合います。
上左:株式会社キャンサースキャン 代表取締役社長 福吉潤氏
上右:社会変革推進財団 常務理事 工藤七子
下:社会変革推進財団 インパクト・オフィサー 田淵良敬
事業者にとって、SIBに取り組む3つの意義とは?
工藤 福吉さんは、今後も積極的にSIBを進めたいと語ってくださっています。手間が多くて大変でもあると思うんですが、これまでの経験を踏まえて、今、SIBにどんな意義を感じていらっしゃいますか。
福吉 ポイントは3つあります。一番大きいのは「国の置かれた状況にSIBはすごく適している」ということです。キャンサースキャンが手掛けているのはがん検診や特定健診(メタボ健診)の受診勧奨事業ですが、自治体の多くは国の補助金頼みで事業費を捻出している。国の財政状況から考えても、サステナブルとは言いにくい。PFSやSIBは将来の財政コスト削減を加味することで原資を生むことまで含んだスキームとして設計できますから、いずれ自治体の事業はSIBで実施されるようになる可能性が高いと思っています。
工藤 成果連動についてはいかがでしょう。
福吉 2つ目はまさにその点ですね。われわれの場合、成果指標に早期がんの発見者数を置くことで、事業の目的が明確になる。自分たちが何のために仕事をしているのか、モチベーションの源泉がはっきりするんです。チームのメンバーの意識も明らかに変わります。
工藤 なるほど。
福吉 3つ目は、自治体が作成した仕様書に基づく発注ではなく成果発注なので、われわれも腕まくりして、よっしゃ新しいことやるか、という意欲が湧くことです。仕様書通りにやれと言われるより、「一人でも多く早期がんの人を発見してくれ、手段は問わない」と言われたほうが、断然やる気になる。民間のイノベーションを行政に持ち込む手段として、SIBの意義はすごく大きいと思いますね。
全国の自治体に、SIBに関心を持ってもらうには?
田淵 ただ、自治体でのSIBの認知度はまだまだですよね。
福吉 だいぶ知られてきてはいます。ただ、現状確保している事業費の範囲内でやることを前提として検討しているケースが多いので、SIBというスキームを組成する業務量を考えるととても対応できないのが現状です。
田淵 すると、福吉さんが先に挙げた3つのポイントの1つ目が肝心ですね。この先、どの自治体も財政は苦しくなっていく。そのことはみんな頭では分かっている。ただ、自治体の現場はどうしても単年度予算に縛られてしまうので、将来への投資に意識が向かいづらいですよね。そこが一つのハードルだと思います。
工藤 自治体には成果志向になりにくい風土があるんでしょうか。
福吉 そんなことは無いと思います。けっこう誤解されていると思うのですが、自治体は成果の検証には関心が高いですよ。私たちが事業の成果をデータで示すととても喜んでもらえます。公金を使う以上、成果を挙げなくてはいけないという意識は強いです。成果を検証するためのデータの取り方や分析手法の研修を提案すれば、興味を持ってもらえるのではないでしょうか。
田淵 財源の問題もあるでしょうね。一つの自治体で、保健事業全体の予算は相応にあっても、一事業当たりの予算は限られる。
福吉 事業単位の話をすると、がん検診の予算は国民健康保険(以下、国保)ではなく、税金を財源とする一般会計から出ているんですよ。ほかの部署と予算を取り合っている。一方で、国保は保険料が財源の特別会計だから、単独で予算のやりくりができます。だから、国保ががん検診に協力してくれれば、お財布は大きくなるはずなんです。国保の重要なアジェンダは医療費削減ですから、受診率向上ではなく医療費削減を訴えれば、理解が得られるかもしれない。
田淵 そこが一つのブレークスルーポイントでしょうか。
福吉 そうですね。八王子のSIBでは、京都大学大学院医学研究科との共同研究で、大腸がんの早期発見による医療費削減効果を検証しました。大腸がんが進行してしまってから治療するのに比べて、早期に見付ければ患者1人当たりの医療費が約615万円も減らせることが分かったんです。がん検診が医療費削減に結び付くんだという理解が広がれば、山が動き出すんじゃないかと思っています。
工藤 さっきのポイントの2つ目も大事ですよね。共通のゴールを持つこと。数値は数値で重要だけれど、どちらかというと目的の共有。
福吉 とかく現場は受診率の数字を気にしがちですが、本来それは中間指標でしかなくて、本当に大事なのは、がん患者を早期に見付けて救うこと。この事業をやったおかげで、これだけの人が助かったんだね、というところに目を向けてほしい。その結果として医療費削減があるんです。
工藤 ゴールを共有することによって、みんなの力が目的に向かって駆動する。そういう装置として、SIBにはとても力があると思います。
福吉さんがSIBにかける想いとは?
福吉 行政はやはり前例重視のところがあって、新しい事業やスキームが受け入れられるには時間がかかります。公金を扱うのだから、当然のことですよね。それでもわれわれが自治体に働きかけ続けるのは、日本の予防医療の重要な担い手が自治体だからです。私はずっとマーケティングをやってきて、石川善樹という予防医療の研究者と一緒にキャンサースキャンを創業しました。予防医療がなかなか進まない原因は、医学がひとびとの行動を変えるノウハウを持たない点にある。マーケティングのノウハウを医療に持ち込むことで、予防医療を推進したいという想いが原点でした。
工藤 そこからさらにSIBに取り組むようになったのは、何かきっかけがあったんですか。
福吉 会社を立ち上げてから2〜3年は、実績不足でなかなか自治体に受け入れてもらえませんでした。そんな中、ハーバードビジネススクール時代の恩師が来日して「ニューヨークでこんな案件が始まっているよ」とSIBを教えてくれたんです。そのとき「これだ!」って思いましたね。それまでは、ビジネス畑出身の自分がなぜ保健事業に取り組むのか、周囲を納得させられる理由が見付からなかった。SIBではファイナンスのスキームの組み方や、多くのステークホルダーをマネージする複雑さなど、ビジネスのスキルが求められます。自分は適任だと思ったし、これをやるために自分は会社を立ち上げたんだ、と運命的なものさえ感じましたね。
工藤 そのときから、八王子で初めてのSIBに取り組むまでには...。
福吉 3年ぐらいかかりました。
田淵 でも今は、600もの自治体とお仕事をなさっているんですよね。
福吉 多くはSIBではありませんけれども。取引先が50自治体を数えるようになるまではきつかったですね。起業から7年かかりましたから。でも、一昨年200になって、今年は550で、来年は700が見えている。ある臨界点を超えたら倍々で増えていったんです。
工藤 臨界点を超えるポイントはなんだったんですか。
福吉 一つの県内で一つの自治体が成果を出すと、ほかの自治体が刺激を受けるんです。たとえばある県では、自治体の特定健診受診率ランキングを公表しているんですね。その中で、去年20位以下だった自治体が、いきなりトップ10に躍り出れば、俄然注目を集めます。そうすると、ほかの自治体から問い合わせが行くんですよ。「どんなことをやったの?」って。
田淵 なるほど。でもその例はSIBではないんですよね。
福吉 この例はそうですね。だから、大規模なSIBでまず受診率を上げてみせて「どんな事業をやったの? えっ、そんな大規模に? よく予算があったね」「いやいや実はSIBなんですよ」って流れになるといいですね。少しずつ実績を積み上げていくと、どこかの段階でオセロがひっくり返るようになる。キャンサースキャンでさえ、軌道に乗るまで7年かかって、でもそこからは倍々ゲームになっているわけですから。焦っても仕方がないし、腰を据えてやっていこうという気持ちですね、今は。
工藤 ぜひ一緒に頑張っていきましょう。
【参考情報】
・八王子市における SIB を活用した大腸がん検診・精密検査受診率向上事業の最終評価および総括レポート公表(SIIFプレスリリース)
・八王子市における大腸がん検診・精密検査受診率向上事業 最終評価結果を踏まえた事業総括(レポート)
・八王子市:「ソーシャル・インパクト・ボンド(SIB)導入モデル事業の最終報告書を公開