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“無類の旅好き“が生んだ、地方創生のブースター。 「トラベルオーディオガイド」が塗り替える旅行体験

“ようこそ、私たち妖怪の世界へ。
私が何者かって? そのうちわかる。でも、今は見えないーー。”

香川県小豆島の人気スポットとなっている美術館へ足を踏み入れ、オーディオガイドの再生ボタンを押すと、妖怪たちが来場者へ話しかけてくる。展示を見終えてショップに足を運べば、“先ほどまで耳元で囁いて”いた妖怪のグッズがずらりと並び、夜には妖怪barもオープンする。

この妖怪美術館では、トラベルオーディオガイドを導入して以降、来場者数が3.6倍に、収益が11倍に伸びた。観光客増加や地方活性化の「ブースター」と言えるこのオーディオガイドを手がけているのは、「ON THE TRIP」という一風変わった企業だ。

妖怪美術館で提供されているトラベルオーディオガイド

今や、さして珍しくもなくなった美術館や観光地でのオーディオガイドだが、ON THE TRIPのつくるガイドは、まるで、その地を誰よりもよく知る熟練ガイドに導いてもらえるような没入感と安心感がある。

その秘訣の一端が、同社のユニークなビジネスモデルにある。

アプリを開けば、多種多様なオーディオガイドに出会うことができる

ON THE TRIPはトラベルオーディオガイドの多くを「無料で」制作し、施設に提供する。代わりに入場料や入館料を値上げし、増収分の一定割合を受け取る「レベニューシェア」のモデルで広く展開している。

初期費用を肩代わりするリスクをあえて取るのは、施設や自治体側と「同じ目線に立つ」ことを重視しているからだ。

SIIFの連載「インパクトエコノミーの扉」第4回では、ユニークなビジネスモデルで日本全国に新たな風を吹き込むON THE TRIPのトラベルオーディオガイドの秘密に迫る。

【連載「インパクトエコノミーの扉」について】
社会課題の解決と、経済的な利益の追求を同時に志す人々がつくる新しい経済圏(=インパクトエコノミー)の啓発や事例づくりに取り組むSIIF(社会変革推進財団)による連載企画。効率・経済性の追求から離れ、社会をより良くする手段の一つとしての消費・生産のあり方を考えます。
日々の買い物を通じて、少しだけ社会を良くできるとしたら、あなたはどんな未来を選びますか?

入場料を900円値上げし2900円に、その成果は…

ON THE TRIP創業者の成瀬勇輝さん

「3日前までは山形で、今は愛媛。明後日は静岡です」

取材の日、にこやかにそう語った成瀬さんは、文字通り全国各地を飛び回る日々を送っている。大学時代に留学先の米・バブソン大学で起業学を学び、帰国後は世界中の情報を発信するウェブメディア「TABI LABO」を創業。2017年に現在の「ON THE TRIP」を起業した。

ひとたび、ON THE TRIPが提供するアプリを開いてみると、東京タワーや浅草寺、平等院鳳凰堂、松本城などのオーディオガイドがずらりと並ぶ。オーディオガイドは日本語だけでなく、英語、中国語など5カ国語で展開している。中でも、特に大きな成果を挙げた事例として知られているのが、小豆島にある妖怪美術館だ。

妖怪美術館ではそれまで2000円に設定されていた入場料を、オーディオガイド導入後に2900円へ引き上げた。チャレンジングな価格設定にもかかわらず、冒頭でも紹介した通り、来場者数は導入前の3.67倍、収益は11.5倍にまで伸びた。

妖怪美術館では、企画も定期的に入れ替わっている

なぜ、これほどまで劇的な効果を上げることができるのか。

秘密はただ単にオーディオガイドを導入するだけでなく、訪れたお客さんの体験を総合的にプロデュースする点にある。

妖怪が直接話しかけるオーディオガイド。妖怪にまつわる日本文化の歴史について紹介する展示。ブランドロゴの変更やパンフレット・館内案内の刷新、ホームページの制作まで、「妖怪と触れ合ったような体験」を生み出すために、あらゆる手段を尽くし、世界観の徹底を目指した。

リニューアル以降、大人気の美術館になっている

こうしたリブランディングやクリエイティブの強化は、思わぬ結果も生んだ。

「クリエイティブが一新されることで、そこで働くスタッフたちも自分の仕事により一層、愛着が湧いたみたいでした。自慢したくなる職場になった、と思ってもらえたのは嬉しかったですね。結果的にビラ配りやSNS発信などそれまで以上に、自分ごと化して発信に注力していただくことにつながりました」

2023年10月にはサウナのテーマパーク「Thermal Climb Studio FUJI」(静岡県裾野市)と提携し、サウナ(温浴)と音楽(音浴)をペアリングさせる新体験「Thermal Sound Trip」のサービス開発を手掛けた。

「Thermal Climb Studio FUJI」ではサウナの体験と音楽をペアリングする

体験の所要時間は4時間超。「山奥にあるフレンチレストランへフルコースを食べに行くように、サウナのフルコースを楽しみにきてほしい」との考えから、「新しいととのい体験」をゼロから作り直した。

日本中の地域や施設の魅力を伝えたいという思いを軸に、事業内容は単なるオーディオガイドづくりの域を超えている。

「人生を文字通り変える、道先案内人に」

ここで時計の針を少しだけ巻き戻す。

そもそも、なぜ成瀬さんはON THE TRIPを起業したのか。「無類の旅好き」がトラベルオーディオガイドづくりへ突き動かされた背景には、バルセロナのサグラダ・ファミリアで経験した「原体験」がある。

成瀬さんは大学在籍6年目の2012年〜2013年にかけて世界30カ国を旅し、その土地で活躍するアーティストやクリエイター、起業家など500人にインタビューをして回った。その旅の最中にバルセロナで出会ったのが、サグラダ・ファミリアの主任彫刻家を務める外尾悦郎さんだ。

バルセロナのサグラダ・ファミリア大聖堂(成瀬さん撮影)

外尾さんは25歳で日本を飛び出し、その後バルセロナに移住。結果が全ての石工の世界で、1年更新の契約を毎年勝ち取り続けることで、サグラダ・ファミリアの象徴とされる「生誕のファサード」の15体の天使像をはじめ、さまざまな作品を作り上げてきた人物だ。

「外尾さんに案内していただきながら、3〜4時間かけてサグラダ・ファミリアを回るという貴重な経験をさせてもらう中で、なぜガウディがこの建物を作ったのか、外尾さんがどのようなことを考えながら35年にわたって石を彫り続けてきたのかを伺い、涙が出るほど感動しました」

外尾さんの話を聞いた上で眺めるバルセロナの街の景色は、それ以前とは全く違って見えた。

「文化や歴史、精神性といったものは様々なところに根付きますが、その場所に秘められた物語を聞くことで、ここまで目に見える景色が大きく変わるということを、僕はその時、初めて知ったんです」

それ以来、その地域や場所に眠るオリジン(起源)を見つけ、物語として伝えることの価値を確信している。

「幸運なことに、僕は外尾さんにガイドをしてもらえました。けれど、誰もがそういう機会を得られるわけではない。だからこそ、僕たちは人生が文字通り変わってしまうような導きができる旅の道先案内人のような存在になっていきたい」

外尾さんが手がけた「生誕のファサード」の天使像(成瀬さん撮影)

負のスパイラル脱却へ、「同じ目線に立つ」ビジネスモデルを

東京への一極集中が強まる日本では、地方が抱える過疎化、極端な少子高齢化がますます深刻になっている。本来ならば観光客を呼べるような魅力的な文化財や観光資源があっても、その保全や補修に十分な資金を投じることができないケースもしばしばだ。収益を増やそうにも、コンテンツやクリエイティブに投資できるだけの予算もないため、八方塞がりの“ジリ貧”状態が続いている。

こうした文化財が抱える「負のスパイラル」を打破するため、ON THE TRIPはビジネスモデルそのものに自らの「思想」を詰め込んだ。

オーディオガイドを無料で提供し、リスクを一緒にとる。自社の利益最優先でなく、成功も失敗もともに分かち合う。そうすることで、地域と自社と観光客の三者が、目指すべき世界に向かうことができるのではないかーー。

「僕らは常に、クライアントと同じ目線に立つことを大事にしている」と成瀬さんは強調する。

「正直、値上げをすることに対する日本人の心理的ハードルはまだまだ高い。でも、そんな時こそ、僕らはまずはみずから“身銭を切る” ON THE TRIPのやり方を伝えて、最初の一歩を後押ししています」

トラベルオーディオガイドづくりの先に見据えるのは?

地方創生の流れの中で、「一時的な『まちおこし』をして終わり」「キーパーソンがいなくなれば、また元通り」といった事例も少なくない。しかし、ON THE TRIPは地域の人たちと共に、入場料や入館料の値上げ幅に見合うだけの顧客体験づくりにコミットする。

背景にあるのは、その地域に住んでいる人ですら気付いていない土地の価値や歴史、魅力を探り当て、それらを外から訪れる人々へと伝えていきたい、という願いにも似た思いだ。

トラベルオーディオガイドをつくるため、その土地を誰よりもよく知る人の話に耳を傾け続ける

「結局のところ、何を志しているかというと、世界平和ということになるんだと思います」と成瀬さんはいたって真剣な表情で語る。

「様々な地域に伝わる文化や物語を観光客の人々に伝えていくことは、最終的には平和な世界づくりにつながっていくと僕は信じています。旅をすることの魅力は、自分が“怪物”だと思い込んでいた隣人は怪物ではないと知る、ということに尽きるのではないでしょうか。では、怪物はどこにいるのかと言うと…実は自分の内面に潜んでいるんですよね。外の世界を知ることで、自分の内面と向き合わざるを得ない。これこそが、旅が持つ力だと思います。僕はそれを最大化して、世界平和に貢献したいんです」

旅する起業家が漏らしたのは、壮大な青写真だ。

さまざまな地域にパートナーとして伴走することで、己を知り他者を知る「旅人」を増やしていくーー。ON THE TRIPの挑戦はこれからも続く。


SIIFの編集後記 (インパクト・カタリスト 古市奏文)

〜ON THE TRIPが開く、インパクトエコノミーの扉とは?〜

ON THE TRIPをはじめ、昨今、社会的企業含めたビジネスの領域において、企業と顧客のあり方に大きな変容が生まれつつあります。(※1)

ビジネスの中で社会的な役割の重要性が増す中で、これまでのように企業が顧客や消費者に製品を一方的に提供し、それにより対価を得るという関係性が崩れつつあるのです。そのような新しい企業と顧客との関係性を示すコンセプトとしてサービスドミナントロジックという考え方があります。

サービスドミナントロジック(以下SDL)とは、企業が提供する商品を、有形か無形か、モノかサービスかを区別せず、すべての経済・経営活動全体を「サービス」として包括的にとらえて構成する考え方です。

SDLでは企業も顧客も、サービスに対して同じ立場で関わる「アクター」として捉え、価値提供を協力と共有のプロセスと捉えます。企業や顧客は、価値を共同で創出し、共有することによって相互に利益を得るという考え方です。SDLはいわゆる「モノづくりからコトづくりへ」の考え方をマーケティングの観点から洗練させたものと言えますが、単にコトづくりを超えて、顧客や消費者(※厳密にはそれ以外も)が価値共創としての重要なパートナーとして捉えているところが革新的だと言えます。

本文でも触れている通り、今回のON THE TRIPでもインパクトの観点から最も注目したいのは彼ら独自の顧客の関わり方とマネタイズです。彼らが展開するレベニューシェア型のビジネスモデルは企業と顧客というだけの関係性を超えて地域の様々なステークホルダーと同じ目線を向き、関わり続けるためのきっかけを生み出します。実はこれこそが大きな価値なのです。

少し話が壮大になりますが、行き過ぎた資本主義はビジネスに市場性やプロフェッショナリズムを生むと同時に、企業と顧客の関係性に距離を作り、硬直化させてしまったと言えます。元々は「社会の公器」(※2)として存在していた企業が、現在ではもはや顧客を置き去りにして、自社利益の最大化に勤しむことも珍しくありません。これは地域の現場でも同様で、私自身もこれまで大して価値がないようなサービスやアプリケーションを高額で売り込み、導入後は放置されるようなケースを多く見てきました。そこに大きなインパクトの可能性があります。

ON THE TRIPの今回のケースはそういった企業と顧客の硬直化した関係性を解きほぐし、長い時間軸でしなやかなビジネスを生み出していくことに重要な示唆を与えてくれるのではないでしょうか。(※3)

(※1)例えば以前の記事で語った「プロセスエコノミー」も企業と顧客の関係性の変化の一つです。

(※2)「企業は社会の公器である」という言葉は、経営学者として知られるピーター・ドラッカー(Peter Drucker)の言葉です。今回のケースで特に重要なのは、価値の創造と分配に関わる部分で、 ドラッカーは、企業が社会に寄与する手段として、価値を創造し、それを適切に分配することが重要だと認識していました。彼はSDL的な考え方を当初から持っていたということが感じられます。

(※3)それではもう一つの重要な顧客である、オーディオガイドの利用者との間に関係性の変化はあるでしょうか?ON THE TRIPのビジネスは、そのビジネスモデルだけでなく、サービス自体にも大きくSDLの要素が組み込まれているところも大きなポイントです。ぜひ彼らのサービスのどこがSDL的なのかは、皆さんで考えてみて下さい。

◆連載「インパクトエコノミーの扉」はこちらから。

【デザイン:赤井田紗希/取材・編集:湯気】

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