頭の中の整理。

仲のいい店長が
「れいちゃんは真面目で優しい」
「わしの愚痴とか相談をよく聞いてくれる」って最近よく言ってくれる。
でも、俺はこんなじゃない。

店長が思うほど俺は真面目じゃない。
「真面目」という言葉の意味は、「いい加減なところがなく誠実なさま」。 嘘がなく、真心があり、真剣な気持ちで活動をする様子のことを言うらしい。

俺はこれには当てはまらない。
そんなに良い人格じゃない。
怒られたら嫌だから、迷惑かけたくないから、言われた通りに教わった通りにしていれば安全、ただ自分を守るためだけにやっている。
いわば自己防衛ってやつだ。

優しくもない。
店長をたまに気づかったり、声掛けたりするだけ。

理由はちょっとしたミスをしても、相手に優しいと思われるかもしれないこと(愚痴を聞いたり、相談に乗ったり)をしていれば怒られないかもとかいう下心。

それなのに、真面目とか優しいとか言われても困る。
本当に真面目な人、優しい人の格が下がるじゃないか。

勝手な俺の憶測だけど、店長には俺と同い年くらいの息子さんがいるらしくて、俺のことも自分の子供みたいに大事に思ってくれてるのかもしれない。
だからやけに声をかけてきたり、真面目とか言って来るんだと思う。

正直、いい気はしない、というか申し訳ない。
騙しているような気分になるから。

さて、前置きはこれくらいにして。
かねてから俺は、死にたいと言っていると思うけど、具体的には30歳くらいになったら自殺しようと思っている。

これにはいくつか理由がある。
・人に世話をされるようになってまで生きたくない。
・生きていても楽しくない、意味を見いだせない。
・今すぐ死んでもいいけど、弟が大学に行っている間は面倒みないといけない。
(親に金銭的余裕がないため)
・人間関係、家族関係を完全に失敗している。

などなど。

こういうことを言うとすぐ「人生これから」とか「趣味を見つけたら」とか言う人がいるけど、そういうのじゃないんだよ。

例えば朝起きて1番最初に「あぁ、なんか死にたいな」って思うし、家を出て会社に出勤して活き活きしている人を見ると「俺なんかいても意味ないな」って思うんだ。

ずっと思考に「死ぬこと」が浮かんでくるんだ。
毎日ずっと。

心が健康な人はそもそも「死にたい」とは思わないらしいよ。
その時点で、お互いに理解し合うことは難しい、俺はそう思う。

だから、ある程度生きたらいいかなと思って、キリのいい30歳で死ぬことにした。

場所は山、真冬の山。
正月休みとかかな、山に行って、眠りにつく。そのうち、動物とかが来て食ってくれれば1番だけどそんなに上手くはいかないと思う。

遺書はちゃんと書いておかないと、事件性があるとか言われたくないし。
貯金は全部弟へ。
両親には感謝しているが、精神疾患持ちの母と暴力癖のある父の元には産まれたくなかった。
幼稚園からの幼なじみと小学校からの幼なじみには、よくしてくれて本当に感謝している、先に逝ってごめん。

とか?

まあいいや。
今日はこの辺で。

それじゃ、またいつか。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?