汚い過去を捨てる方法
求めている方が居たので書きました。
少しでも手助けになるのなら幸いです。
気持ちのいい話ではありません。
重たい話に引きずられやすい人は読まない方がいいかもしれません。
ここが私の核であり、
私自身を作り上げているところです。
今回は、「過去の捨てる」
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捨てたい過去
皆さん「捨てたい過去」ってありますか?
私は、ありました。
なぜ過去形なのかと言うと、もう捨ててしまった後だからです。
もちろん。思い出そうと思えば思い出せます。
「記憶から消し去った」のでは無く、
「記憶の箱の中にしまい込んだ」にすぎません。
自分の記憶
普段話しませし見せませんが、私は中々の経歴の持ち主です。
というか、外の世界なんて見た事が無かったので 中々 だと気がついたのは結構最近だったりします。
まぁ。俗に言う「虐待家庭」で育ちました。
面倒臭い話になるので大分割愛しますが、
自分の子供を可愛がり、私達父の連れ子を言葉と暴力のサンドバッグにする母親と、
私を喰いものにする母親の子と、
それを見て見ぬふりをする事を選んだ血の繋がった父親と。
そんな所で10年生きてきました。
これが、どうやら 中々 らしい経歴の触りです。
如何にも 捨てたい記憶 の宝庫っぽいですよね。
えぇ。宝庫でした。
なので捨てました。
その 過去 は、突発性難聴を発症させ、統合失調症 を患わせた原因でした。
そんな自分に疲れた私は私を保つため、場所を離れ、過去を整理し、その記憶を封印しました。
おかげでもう あの当時をあまり覚えていません。
捨てない方々
ただ、この世の中には、意図的にしまい込まない人が一定数居るような気がしています。
その記憶に縋る為に。
その記憶の 可哀想な自分 に染まる為に。
私には到底理解できない感情ではありますが一定数いるのも事実。
そんな方々にとって「過去」とは「道具」に過ぎないのでしょう。
自分をかわいがってもらうための。
都合のいい道具。
それを否定はしません。
私には理解できない。それだけです
過去のしまい込み方
初めのほうにも書いた通り、
私は過去を捨て去る方法を知っているわけではありません。
タイトル詐欺ですね。すみません。
ただ、「しまい込み方」はわかります。
今回はそちらを。
「過去」の保管場所、そこから一旦取り出して一度丁寧に味わうのです。
もちろん、
痛いです。とても。
見たくない過去を自らの手で開放して静かに向き合う時間が心地いいわけない。
それでも、この先過去に囚われ続ける方がキツイと思ったのでやりました。
泣きながら痛みを味わい、
吐きそうになりながら。
そんな環境に生き、耐え続けた自分を慰め、褒めながら。
今でも、「よくやったな」と思います。
荒療治すぎる。
でも後悔はありません。
あの時やらなければその先もやらなかった。
そして、過去に囚われたまま。私は私を見失い、
今出逢っている誰ともすれ違うこと無く人生を終わらせていたことでしょう。
そうして、過去を味わいつくし、頭の中で整理整頓が出来てようやくしまい込める形になってくれます。
そのタイミングで初めて 過去と現在 を切り離せるのです。
諦めるということ
そしてもう一つ大切なのが、
諦める
ということです。
私の場合は、
こうなりたかった。
こんな経験したくなかった。
自分はもっと 普通 を生きたかった。
人並みに両親からの愛情を感じてみたかった。
そんな些細な望みまで捨てないといけないことにやるせない気持ちを抱えながらも、諦めました。
この願いが叶うことはありません。
この先も。ずっと。
どんなに望んだところで過去は変えられない。
どれだけ 過去 を願っても、
その環境で生きた事実と、
その環境が今の自分を作り上げているという現実が
覆ることはありません。
なので、諦めました。
進むために。
ここじゃない何処かに行けるように。
こうなってほしかった過去を追いかけても、
欲しかったものを追いかけても、
残念だけど何も変わらない。
進むためには
諦めなければ成らない事も多いのだと学びました。
諦めない事
ここまで
諦める大切さを力説してきましたが、
もちろん諦めない大切さもあります。
それは、生きる ということ。
ベタですが、読者の皆さんに一番諦めてほしくない事です。
散々大口を叩いていますが、
生きるのを諦めた時期が私にもあります。
あっけらかんとした性格の私ですが、そうじゃなかった時期のほうが長いです。
今でこそ冷静に見ることができますが、
その当時は何よりも先に人生を諦めるのが最善だと強く感じていたように思います。
確かに諦めることで過去は捨てられるでしょう。
そもそも 自分自身を捨てるのですから。
でもね。
その捨て方は、あまりにも勿体ない。
「生きたい命があったのに」だとかそんな綺麗事は言いません。
その先の あったはずの人生を歩けないの、勿体なくないですか?
自分を傷つけた誰かが原因でソレを諦めなければならないなんて頭に来ませんか?
だから私は
生きました。
終わりに
過去に囚われ、
可哀そうな自分のまま生きる方が楽な道もあり、
同情の下に世の中を眺める生き方を選び続ける人もいる。
確かに捨てるのは怖いことかもしれません。
どんな過去であれ自分を作っていることには変わりありませんから。
その道しか歩いたことがないのだから他の道を探す事も怖いでしょう。
あなた がどんな道を選ぶかは私が決められることではありません。
でも。
大丈夫。
私は、諦めて捨てて逃げた先に未来がありました。
生きたい場所にたどり着き、
大切にしたい人と出会い、
やりたいことを見つけました。
過去と現在 を切り離したことで初めて 人 になれました。
どう生きるかは あなた 次第です。
この文章を読んでくれたすべての人が
明るい道を歩めることを祈っています。
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