美術史で読むミッドサマー/「さかさまの世界」

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こんにちは。

拙記事「ミッドサマー/アリ・アスター監督の手のひらで踊ろう! (元「ホルガ村は『ヤバい』のか)」を読んでくださった方、ありがとうございます。

最初の記事の加筆修正も済んでいないのですが、ホルガ村に取り残されているのでこの期に及んでまた考察記事です。

「『ミッドサマー』と『ヘレディタリー』の深い繋がり―「絶望の叫び」と「疎ましさ」からアリ・アスター作品を読み解く」という記事を読み、ひとつ思いついてしまったのです。

今回はドキドキ深読みプチ考察で短めですので、お気軽にどうぞ。
※例のごとくネタバレしていますので未鑑賞の方はお気を付けください。


中近世ヨーロッパのユーモア「さかさまの世界」

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ハウスブーフ・マイスター『アリストテレスとフィリス』銅版画 1485年頃

「さかさまの世界」という言葉をご存知でしょうか?

読んで字のごとく、「上下関係・主従関係が逆転した世界」のことを指します。たとえば、こんな具合です。

・人間を狩るウサギ
・男にまたがる女
・猫を攻撃するネズミ

このような設定は古代から存在していたそうで、これらを総称して「象徴的逆転」という名前がつくようですが、特に中世以降のヨーロッパでは「さかさまの世界」として絵画・版画・文学などで大流行していました。
ちょっとイメージしにくいかもしれませんが、「猿の惑星」「トムとジェリー」を想像すればわかりやすいですね。これも人間と動物の関係、猫とネズミの関係が逆転しています。(特にトムとジェリーは、猫/ネズミの地位逆転だけでなく、トムがよく先生や医者の恰好をして痛い目に遭っているあたりも、さかさまの世界的だな~と思います。15世紀ころの版画なんかでロバの医者とかよく出てくるんです。)

「さかさまの世界」が意味するところは、基本的には「高尚な立場に弱者をあてがい、弱者が主役になることで強者をからかう」という皮肉のきいたユーモア・風刺です。

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弱いものがいじめられてるのを見ると心苦しいですが、人って強いものが痛い目に遭ってるとなんか気持ちいいし笑っちゃうんですよね。トムかわいいですけど。最近はわりとトムかわいそうっていう人多い気がしますけども。


ホルガ村は「さかさまの世界」?

さて、私の以前の考察記事含め、色々考察を読まれた方は既にお気づきと思いますが、ミッドサマーで描かれるホルガ村は、地位の逆転=「さかさまの世界」のオンパレードだなと思います。

・キリスト教(プロテスタント)的価値観を駆逐しかえすゲルマン文化
・男性をレイプする女性
・精神的弱者が勝利する展開

この地位の逆転自体はよく指摘されている通りなのですが、アリ・アスター監督は「さかさまの世界」というヨーロッパの風刺の伝統を明確に意識しているのでは?と思う部分があるので、そこらへんを見ていきたいと思います。


ヒエロニムス・ボスとのつながり

大学時代の専攻でブリューゲル(と、ボス)という画家の研究をしていた筆者がミッドサマーを観に行ったそもそものきっかけは「ブリューゲルやボスの絵画が好きな人は好きそう」というクチコミを複数みかけたからなんですが、なるほどたしかに鑑賞直後は「アリ・アスター監督は少なくともボスの世界観は意識しているのではないか」と思いました。

証拠もなければ反証もないので推測にすぎませんが、ひとまずボスの絵画で最も有名な《快楽の園》という作品を見てみましょう。

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※3枚で一組の祭壇画です。(三幅対/トリプティークといいます)

中央パネルをみて

「あっ、ミッドサマーっぽい…」

と思われたのではないでしょうか。

白昼堂々すっぽんぽんなのとか、みんなで輪になってたり、謎ポールがあったり。シュールなのかエロスなのか何なのかわけわからない感じや、明るいのにどこか不穏な感じがするあたりとか、似てますね。あとケツからお花生えてる人とかいます。

そもそもこの絵は「美術史上最大の謎」と言われるほど複雑怪奇で難解な絵画ですので、安易に「こういう絵です」というのは避けたいのですが、《快楽の園》研究において注目すべきなのは

「セックスに関するシンボルが画面中にまき散らされており、それらを『善』とみるか『悪』とみるかで意見が分かれていた」

という点でしょう。ビジュアルは勿論、議論の争点となっている部分についても非常にミッドサマー的だなと思います。(ちなみにボスは、「奇想」とも評される作風のおかげで、異教崇拝の画家だったのではないかという説が一時期ありましたが今では基本的に否定されています。この作品を異教的文化讃美とは読まない方が無難です。性をどう扱うかは微妙ですが)

また、右翼パネルには「猟師を狩るウサギ」「男にまたがる女」といった「さかさまの世界」の代表的な表現も描き込まれています。探してみてください。


ブリューゲルとのつながり

次はボスの没後、同じくネーデルラントで活躍したブリューゲルという画家についてみていきます。

なぜブリューゲルをみるかというと、ボスの作品にあたれば必ずブリューゲルの名前が出てきますし、その逆もまた然りで、切って切り離すことのできない関連の深い画家だからです。私がブリューゲル研究をするなかでボスに突っ込んでいったのもここらへんの事情です。ブリューゲルの卒論で最もヒントになったのがボスに関する本でした。

ただ、こういった点や作風からもボスとブリューゲルは一緒くたにされがちなのですが、その実は全く違う画家です。(このあたりは森洋子先生が「混同されるボスとブリューゲル」としてよく指摘されていますし、美術史界ではもはや常識に近いです)

ですから、実は私は当初ミッドサマーを見ても「ブリューゲルっぽい」とは正直あまり思わなかったのですが、今では「さかさまの世界」という点においてミッドサマーは非常にブリューゲル的ではないか、さてはアリ・アスター監督…ボスを調べているうちにブリューゲル沼に入ってきたのでは…?と深読みしています。

そもそも「さかさまの世界といえばブリューゲル」みたいなところあるんです。

こんなタイトルの本が出ています。他にも、今では否定されている学説を真実として採用しているのでオススメ出来ませんが「ブリューゲル さかさまの世界」という本もあります。

ブリューゲルの「さかさまの世界」の表象として最も有名なのは《ネーデルラントの諺》という絵画でしょう。本記事のトップ画像です。もう一度みてみましょう。

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タイトルの通り、ネーデルラントの諺を視覚化して、図鑑のように一画面にまとめた作品です。画面には当時のことわざが実に85も描かれているのですが、この中に「さかさまの世界」という諺が隠れています。さてどれでしょう!



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これです。見つかりましたでしょうか。画面左上、赤い屋根の家から突き出た木の棒に乗っかっている青い球です。

これ、分かりにくいですが、天地逆転した地球儀です。

世界の象徴である地球儀の天地を逆転させることで「さかさまの世界」を表現しています。


ミッドサマーにおける「さかさまの世界」表現

「天地逆転」でピンと来た方いるのではないでしょうか。

車でホルガ村に入る際、天地が逆転するあのカットです。(画像無かった…🥺

ミッドサマーのカメラワークの中でも非常に印象的なこのカットは、「異世界のホルガ村に入るスイッチの役割」だとか「パク・チャヌクの復讐三部作の最終作『親切なクムジャさん』(2005年)のオマージュ」という説など、色々な視点から考察されています。真偽は分かりませんがやはり考察したくなる箇所ということでしょう。監督にもそれなりの意図があると思います。

映画にそこまで詳らかでないので、映画のオマージュ説はちょっと分からないのですが、私個人はこのカメラワークは「スイッチの役割」であると同時に、「さかさまの世界であるホルガ村の表象」だと理解できると考えています。

あのカメラワークを機に、すべての価値観が逆転した「さかさまの世界」へと、ダニーたち、そして鑑賞者である私たちが誘われるのです。


おわりに:ヒグチユウコさんのイラスト

ところでみなさんパンフレットは手に入れられましたでしょうか。私は残念ながら売り切れていて手に入らなかったのですが…。

ヒグチユウコさんのイラストが話題ですね。

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この絵、偶然かもしれませんが、メイクイーンになったダニーが上下逆転で描かれているんですよね。(本当に偶然な気もする)

さらに、ヒグチユウコさんはボスやブリューゲルをオマージュした画集を出されています。

オビにも「ボスとブリューゲルの世界を、ヒグチユウコの世界観で描く」と書いてあります。

ヒグチさんが「さかさまの世界」をご存知ないはずがないと思うんですよね。

どういういきさつでヒグチさんがポスターを描かれることになったのかは分からないのですが、「さかさまの世界」を公式側も意識しているのでは?と深読みして、考察を終えたいと思います。

参考文献

<ブリューゲル絵画の入門書>

<ボス《快楽の園》研究の集大成>


<「さかさまの世界」についての論文>

元木幸一「さかさまの世界:ヨーロッパ中近世美術におけるユーモア表現について」(『山形大学人文学部研究年報』第8号、2011年)

<「象徴的逆転」に関する基本文献(文化人類学の本です)>


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