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山頂にて ~故郷はまた遠くなった~

山頂にて ~故郷はまた遠くなった~

山登りをすることになったのは、ある日の朝だった。阿Qが「俺たちは頂上に行ってみるべきだ!」と言い出したからだ。魯迅は少し渋りながらも、彼の無邪気な勢いに引きずられる形で、旅の足を山へ向けた。

山道は思った以上に険しかった。途中で道が崩れている場所や、滑りやすい岩場もあり、二人は何度も足を取られそうになった。阿Qは「こんなの大したことない!」と得意げに叫びながら先を歩いていたが、息を切らしながら何度も立ち止まっていた。その後ろで魯迅は静かに歩きながら、徐々に頭の中で思索を深めていった。

「山に登ることが、これほど困難なものだとは思わなかった。」

魯迅は足を引きずりながらふと考えた。

「この山道を登ることは、人生そのものに似ている。人は高みに登ろうと努力するが、その過程で疲弊し、時には道を見失うこともある。それでも、歩みを止めなければ、いつかは頂上にたどり着くのだろう。」

目の前を歩く阿Qが石につまずいて転びそうになると、「おいおい!俺は転んでないぞ!勝ったぞ!」と叫び、さらに前進した。その姿に魯迅は苦笑しつつも、どこか安心感を覚えた。

「阿Qのように、道中の困難に対して無邪気でいられる者が、実は一番たくましいのかもしれない。」

山頂に着いたのは昼過ぎだった。二人は弁当を広げ、風に吹かれながら景色を眺めた。眼下には街並みが広がり、川が光を反射して蛇行していた。遠くには田畑が広がり、人々が小さく動いているのが見えた。

魯迅は弁当を口に運びながら、その景色をじっと見つめた。そして心の中に、ふと遠い記憶が蘇った。

「故郷――あの景色にも、似たものがあった。」

彼の脳裏には、かつての故郷で見た田畑や川、そしてそこに暮らす閏土の姿が浮かんできた。幼少期の閏土の純朴さ、大人になり疲れ果てた彼の顔。それらが記憶の中で交錯し、胸に深い感慨を呼び起こした。

「あの時もこうして遠くを眺めたのだろう。しかし、あの頃の故郷はもう私の中にない。時代が変わり、人々が変わり、そして私自身も変わったのだ。」

魯迅はぽつりと呟いた。
「故郷はまた遠くなった。」

阿Qは弁当を頬張りながら、「おい、魯迅!そんなことを言うなよ。ここは俺たちの勝利の場所だ!見ろよ、俺がこんな高いところまで登ったんだから!」と無邪気に笑った。その言葉に、魯迅は小さく微笑んだ。

「阿Qのような存在がいる限り、人々は過去の喪失を忘れ、未来へ進む力を得られるのかもしれない。」

弁当を食べ終え、二人は山を下りることにした。下山道は上りよりも滑りやすく、阿Qは「俺に下りられないものはない!」と言いながら何度も足を滑らせていた。そのたびに、「これはわざとだ!」と叫ぶ彼の声が山中に響いた。

魯迅はそんな阿Qの後ろ姿を見ながら、静かに思索を続けていた。

「故郷とは、もはや遠い記憶の中にしか存在しない。しかし、人間はその失われた故郷に何度も戻りたがるものだ。それでも、阿Qのように今を笑い、未来を信じることができれば、それが新たな故郷を作る第一歩になるのかもしれない。」

夕方、山を下りた二人は疲れ果てていたが、阿Qは相変わらず笑顔を浮かべていた。

「なあ、魯迅!俺たちは勝ったよな?こんな高い山に登って、俺が一番だ!」

魯迅は彼の顔を見つめながら小さく頷き、「そうだな。お前は今日、確かに一番だったよ。」と答えた。

空には茜色の夕陽が広がり、二人の影が長く伸びていた。魯迅の胸には、過ぎ去った故郷への郷愁と、阿Qの無邪気さに触れた希望の光が同時に灯っていた。

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