阿Qと魯迅の日本旅 ～上野で見た群衆の行方～

タイトル：阿Qと魯迅の日本旅 ～上野で見た群衆の行方～

魯迅と阿Qは上野の街に出かけていた。上野駅を降り立った二人は、目の前に広がる人々の波に一瞬立ち尽くした。日本人観光客だけでなく、大勢の外国人観光客が行き交い、駅の中も外も賑やかな喧騒に包まれている。阿Qはその様子に目を輝かせた。

「おい、魯迅！ここには人がたくさんいるぞ！みんな俺を見てくれるかな？」と阿Qは笑いながら叫んだ。

魯迅はそんな阿Qを横目に、ゆっくりと人波に目を向けた。雑踏の中、さまざまな言語が飛び交い、誰もがスマートフォンやカメラを手に忙しなく動き回っている。

歩きながら魯迅の頭には思索が浮かんできた。

「これだけ多くの人がいる社会で、果たして個人は尊重されるのだろうか？」

彼は群衆の中に埋もれていく個人の姿を思い描きながら考えた。

「人々が群衆の一部として動き続けるうちに、個人の意思や尊厳は簡単にかき消されるのではないか？それは、かつて私が批判した封建社会と同じではないのか？」

魯迅の脳裏に、ふと閏土の顔が浮かんだ。かつて彼が作品『故郷』で描いた閏土――素朴で純粋だった少年が、成長する中で貧困と労働に押しつぶされ、精神も体も疲弊してしまった姿。その顔が目に浮かぶたびに、魯迅の胸は痛んだ。

「閏土のような個人が、群衆の中で埋もれていく社会は、再び封建的な抑圧に陥るだろうか？いや、むしろこの現代社会では、群衆そのものが新たな封建社会を形成するのではないか？」

魯迅は立ち止まり、目の前を流れる人々を見つめた。その一人一人がまるで波に飲まれる小石のように見え、彼の胸に静かな悲嘆が広がった。

「おい、魯迅！」

阿Qの声が思索の中の魯迅を引き戻した。阿Qは観光客に混じって、笑いながら自撮りをしていた。画面の割れたスマートフォンを掲げ、「これで俺もこの人たちと一緒だ！俺も勝った！」と得意げに叫んでいる。

魯迅はその無邪気な姿を見て、小さく微笑んだ。阿Qは群衆の中で目立つわけでもなく、特別でもない。しかし、彼自身が「自分はここにいる」と信じて笑っていることに、魯迅はどこか救われる思いがした。

「阿Qのように、どんな環境でも自分の価値を信じられる者がいる限り、完全に個人が消え去ることはないのかもしれない。」

二人はそのまま上野公園の中を歩き出した。桜並木の間を観光客が行き交い、手にアイスクリームや飲み物を持った子どもたちが楽しそうに笑っている。

魯迅は再び思索にふけった。

「個人を押しつぶすような社会が繰り返されるのを防ぐためには、群衆の中でも個人としての尊厳を守ることが大切だ。しかし、それは簡単なことではない。この雑踏の中で、一人一人の声が聞こえる日は来るのだろうか。」

そんな彼の横で、阿Qが突然大声を出した。「おい、見ろよ！俺、スマートフォンで桜を撮ったぞ！これで俺も有名になるかな？」

魯迅はその言葉に思わず笑い、肩をすくめて答えた。
「お前がどんな写真を撮ったとしても、お前がここで笑っているだけで十分だ。」

阿Qはその言葉の意味が分からない様子だったが、「まあ、俺は勝ったからそれでいい！」と胸を張った。

夕方、日が傾き始める中、二人は静かに上野を後にした。魯迅の胸には、群衆の中で埋もれる個人の不安と、阿Qの無邪気な姿が同時に浮かんでいた。

「群衆に飲み込まれる危険性がある中で、阿Qのように自らの存在を信じて笑う者がいる。それが社会にとって希望の灯火になるのかもしれない。」

阿Qの笑い声が響く中、魯迅はどこか安堵したように、少し微笑みながら目を閉じた。