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20241016 私を川崎市民球場に連れて行って

 いいタイトルをつけたいなって。ちなみに川崎市民球場は存在しない。確か。

 最近、私が思う以上にみんなあんまり深く考えたり頑張って生きてないのかなって思い始めている。特に前者については、私は「酷く」考えすぎてしまう方なので、それはそれで多大なる弊害を被ってきたのだから、どちらが良い悪いの論戦を繰り広げるつもりは無いが、とにかくそう思う。加えて私は、今まで気づいていなかったのだけれど、私自身がとんでもなくシングルタスク人間だということを理解し始めた。

 ここ数ヶ月、非常に仕事が忙しい。正直、量も質も、2年目のヒラ一人で抱えられる量じゃないと感じている(実際、先輩に「なんかいっつも可哀想だから」という理由ですしざん○いに連れて行って貰えるくらいには案件の「引き」が強い)が、少しずつ何とか山を崩しているという感じだ。私の職種の特性上、他の人と分担する、ということが難しいこと、残業がなかなか出来ないという贅沢な悩みもあって、まあどうしようもないのだけれど、そういう事情もあって、この夏は退勤後も仕事のことばかり考えてしまっていた。というか、朝のサービス早出は誰にもバレないので、始業の1時間くらい前に出勤していたし、昼休みもご飯の15分以外は作業していたし、なんなら夜もしれっと残ってやっていた。だって終わらないんだもん。サービス残業や持ち帰り仕事が安易に出来なくなった働き方改革の影響を最も受けたのは、「効率の悪い無能社員」だという論説があるが、まさにそのとおりである。
 シングルタスク人間だと感じたのはまさに、この時間的・肉体的拘束性で、「仕事がヤバイ!オワラナイ!→肉体的・精神的に仕事全ブッパ」してて、我ながらほんと面白かった。この夏は、他のこととのバランスが掴めていなかった。行動は別にして、特に心のバランスが。心、ここに在らずという具合。

 で、何とか面倒なもの2つが終わったのだけれど、ようやくここから天王山、ってワケ(あの赤ちゃん風)。終わった2つよりもっと面倒な、越えなくてはならない日本アルプスの連峰が見えてきたというところか。残念ながらその連峰は、全く晴れてはいないけれど。小木先生、ごめん。

 話を戻して、ここで、私は「酷く」考えすぎてしまうというところがポイントであると強調しておきたい。別に「深く」は無い。前にも言ったように私は論理的思考がヘタクソ?あんまりヘタクソって言わないか。論理的思考が無、なので、いつも浅い所をぐるぐると。回転木馬が如く。…近所に回転木馬というリサイクルショップがあったのを思い出した。元々かなり怪しいものしか置いていなかったが、空想場のおもちゃ屋さんのような寂れた看板を掲げていたので、強く印象に残っている。10年前くらいから徐々に見た目が怪しくなってきたものの、2,3年前くらいまでは謎の延命を遂げていたが、この前帰省した時にしたら、遂に潰れてしまっていた。母親には、今更?と言われてしまったけれど。突然のリサイクルショップ・回転木馬の話題に、私と地元が同じ人間は懐かしさに咽び泣き、もう既にその思考は今は亡き「しゃぼん」にまで至っていることだろう。

閑話休題

 んで、みんな深く考えてないというのは、なんというか興味のないことに対してというか。主業務以外の部分は手を抜くんだっていうところ。意見すら何も持たないってのはどういうことなんだ。結論ありきで会議をするのはなんなんだ。
 考えない、上に従う等、手を抜くことを覚えるのも大切だとは思うけど、1回全部抱える経験をして、もし失敗してしまっても取り返せるのは今しかないのだから、ひとまずは全部全力で頑張るべきではないか。
 考えても仕方がないこと、自分の影響の輪の外の事象に思考を割いても仕方がないし、それは無駄だけれど、自分の影響の輪の内側の事象はより深く考えて、多角的に考えて、理由付けして、自分の意見を、構造的に組み立てて置くことを習慣づけておかないと。
 そうでないと、私は、私を育ててくれた、母校の部に申し訳が立たない。

 これからの、 勝負期に向けて。

 …まずは来週のヨルシカのライブを楽しみにしつつ。

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