絵本読み聞かせ#9 (幼稚園にある絵本100冊)
前回の更新から随分と空いてしまった・・・
3月末にカザフスタンに帰省する前、「3月までに幼稚園の書棚にある絵本を100冊読むぞー」と意気込んでいたが、2月末から急に失速した。
幼稚園や小学校で胃腸炎やら何やらが流行し、子ども達が全員仲良く感染した我が家は野戦病院と化していたためだ。
ここぞとばかりに甘えてくる子ども達を介抱する構図は、まるで今回紹介するバムとケロのように、いじらしさを感じるものだった。
カザフスタン行きの準備が生活に慌ただしさをもたらし、結果として60冊でゴールインとなった。読み聞かせは続けるけれど、「幼稚園の絵本100冊」は今回で一旦終了だ。
今回のおすすめは、「月夜のみみずく」です。
#51 エドワードとうま
絵のオーレ・エクセルはスウェーデンを代表するグラフィックデザイナーらしい。都会っ子のエドワードが突飛な夢を追いかける様子を茶目っ気溢れる文章と絵で軽快に表現している。靴が赤かったり、登場する大人が足しか映っていなかったり、背景色と人物のコントラストが場面に応じて変わったり、遊び心も感じる絵本だった。
#52 月夜のみみずく
雪が深い冬の月夜、森に住まうわしみみずくを一目見ようと父と出かけた女の子は、生涯忘れることのない邂逅を果たす。父娘のもとにわしみみずくが飛んでくる刹那、懐中電灯に照らされたわしみみずくの描写は、見事なまでに鮮明で本当にそこにいるかのようだ。この絵本を読む度に、子ども達を連れて夜の森を探検したい気持ちになる。言うまでもなく、5歳の長男はこの絵本がお気に入り。
1988年コールデコット賞。
#53 星の使者 ガリレオ・ガリレイ
ガリレオ・ガリレイの伝記絵本。タイトルや構成は空想チックだけど、キリスト教的世界観と封建主義が人心を隙間なく埋めていた中世ヨーロッパにあって、観察を通じた実証によって地動説を唱えることはファンタジーそのものだったのだろう。現代との違いは、ファンタジーを相対化できるほど合理的思考が及んでいなかったこと。宇宙の図鑑を眺め、ガリレオに興味を持った長女のために読んだ絵本だった。
#54 クマよ
星野道夫さんのヒグマに対する愛と畏敬の念が溢れた写真絵本。
動物が大好きな長男も次男も「クマ!クマ!」と嬉々として写真に見入っていた。以前に紹介した『絵本の力』でも柳田邦男さんが触れていた名作。
#55 そらまめくんのベッド
幼稚園の本棚にいくつもあるそらまめくんシリーズ。どんなに遊んでも、夜は慣れたベッド(布団)で眠りたいもの。ある日、ベッドがなくなったから、さあ大変。そらまめくんは、あちこち探し回るけれど見つからない。
誰がベッドを使っていたのかな・・・
取り立てて感想を言うわけではないけれど、長男お気に入りのシリーズだ。
#56 ねむりひめ
ディズニーが解釈してわかりやすい物語に改編されたアニメーション映画は、子ども達を虜にし、日本語とロシア語を見ることでバイリンガル教育にも役立っているけれど、原作に基づいて描かれた絵本に出逢ってから、与える順序を誤ったのかなと自分たちの子育てを省みた。
今回読んだねむりひめにしろ、美女と野獣、白雪姫、シンデレラ(灰かぶり)のいずれにせよ、悪役と対峙する勧善懲悪な英雄譚ではなく、行間の奥に忍ぶ背景や学びを汲み取る訓話の要素が大きいのだ。
マレフィセントがいなくても、物語に入り込んで読むことができる『ねむりひめ』でした。
#57 バムとケロのさむいあさ
#58 うちにかえったガラコ
子供の頃に読んだことがない絵本ではあるけれど、島田ゆかさんの『バムとケロ』シリーズは絵や世界観の構成が素敵で、読み聞かせしながら自分が魅了されていることに気づく。
作家がキャリアをどこからスタートするかによって、登場人物の輪郭や色使いといった表現に差異が生まれるので面白い。
また、それぞれの登場人物がユーモラスであり、細かく描かれた背景が支流となって、物語の本流に合わさってきたり、実はバムとケロとガラコの話は繋がっていたりと、読むたびに発見があり、読者を飽きさせない。
大人も楽しめる絵本なので、多くの人に愛される絵本なのだろう。
#59 スイッチョねこ
賞のタイトルでしか名前を知らない大佛次郎さんの童話。
食べちゃダメよと言われたのに、虫を追いかけ、はむ!と呑み込んでしまった子猫は、スイッチョスイッチョと音を出すようになった。
医者に連れて行っても治すことはできず、途方にくれる子猫・・・
何度アレしちゃだめよ、コレしちゃダメよ、と言っても悪戯したくなる子どもを、動物を擬人化することで、やわらかな物語として描いてくれている。
#60 ひよこのかずはかぞえるな
捕らぬ狸の皮算用、その一言に尽きる。
雌鶏が産んだ卵を抱えながら、大金持ちになる自分を想像していると、手痛いしっぺ返しが待っていて・・・
目の前の御利益で浮かれるのではなく、地に足をつけて日々生きていこう、というメッセージを読み取った。
子どもは卵が割れるところで大笑いしていたけれど。
雑感
幼稚園にある絵本100冊と銘打って進めた読み聞かせ記録はこれで終わり。
目標には到達せずとも、60冊の素晴らしい絵本に出逢えたこと、子どもとその時間を共有できたことに感謝しよう。
読み聞かせは乳幼児だけでなく、小学生、さらには中高生になっても効用があり、親子の絆を深める意義のある活動だと最近思えるようになってきた。
いくら聞き取りが上達する(かもしれない)と言っても、映画やアニメは映像のインパクトが強すぎて、受け身になり消費的だ。
読み聞かせも、受け身に見える一方、子どもも読んでいる大人も物凄く頭を働かせている。聞いた話を再話したり、アレンジして自分の物語を作ったりすると、とても創造的な活動だ。だから、我が家は映像は最小限に抑え、読み聞かせや素話、対話で言語の発達を促していく。
そういう親としての立ち位置が見えてくると、たとえ子どもが中高生になり自分で本を読もうとしなくても、一緒に横にいてくれる限り、物語を読み聞かせることは何ら恥じることではないように感じる。
小学生の長女や次女には、幼児期に十分な読み聞かせができなかった。
幸い二つの言語を不自由なく扱っているものの、読み・書きについてはまだまだ苦手。なので、乳幼児の息子達に絵本を読む傍ら、娘達には児童文学や昔話の読み聞かせを始めた。(正確には、これまでも取り組むことはあったが頓挫していたのを、再開した)
たった数日でも習慣化するよう取り組んでいると、娘達は空いた時間に本を手に取るようになった。
どれだけ読み聞かせすれば、自ら本を手に取り一心不乱に読書するようになるだろうか。そして、自ら鉛筆を持って文章を書くようになるだろうか。
いやいや、効用をいたずらに期待するのはよそう。
ひよこのかずを数えてはいけない。
自分が、児童文学や昔話を読むことにハマっているのだから、それだけでいいのだ。
その辺りも、読書録を合わせて追々まとめていきたい。
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