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幽霊とか妖怪とか

夏場のお化け番組で、河童がうつる時がたまにある。そういう時、父親は遠くをみながら「昔はよう見かけたけどなぁ」と誰に聞かせるともなくつぶやく。高校生くらいの頃は「おるわけないやん!」とか突っかかってたけど、今はもう慣れてしまってノーリアクションだ。

いや、おるわけないんやけど。
でも、根拠を出せといわれると弱い。
いたらちょっと楽しそうではある。

自分が小さな子供だった頃、八尾にあった母方のおばあちゃんの家は女の幽霊がいるといわれていて、2階より上にはあげてもらえなかった。自分自身も知らない女の人の姿を家で見た気がして、それをおばあちゃんに伝えるとおおさわぎになった(本当に霊媒師のところへ連れていかれた)。

思えば物心つくかつかないかの頃は、そこにいるはずのない人が見えることがよくあった(着物を着た女の人とか会ったこともない祖父の姿とか)。あれって皆に共通の経験?俺だけ?お父さんが見ていた河童も、そんな類いのことなんじゃないかと思う。

いないはずの女の人はいたのか。八尾のおばあちゃんの家は、洪水に巻き込まれて取り壊されてしまったので確かめる術はもうない。

何度か肝試しをしたこともある。一番印象的なのは、高2の七夕。地元の友達と集まって商店街で笹を買ったあと、何故か墓場の奥の森にある神社へと向かった。行動の意味が全部わからん。

内心ビビりながらも笹をふりまわして自分を鼓舞しながら進んでいくと、運悪く木の枝がたまたま落ちてきたりして、パニックに。森のなかにある真っ暗な廃墟が異様な雰囲気を放っていて、肝試しの雰囲気を盛り上げた。ビクビクしながら何とか罰当たりな参拝を終え、帰路につく。

帰り道では、森のなかの廃墟に明かりが灯されていて、あまりにも当たり前のようにそこにあったから、反応が遅れた。5秒くらい固まって、誰かが「あの家って行きもついてたっけ…」と呟くと、答えも聞かずに全員が走り始めた。川で溺れかけて以来10年ぶり2度目、命の危機を感じた瞬間である。

そうして森を抜けた瞬間、墓場越しに広がる大阪の夜景。生還の喜びが美しさに拍車をかけ、人生一番の大パノラマだった。百万ドルの夜景も命には替えがたい。

母親にも心霊体験がないか聞いてみたことがある。「実は一度だけ、死んだはずの人をみたことがあって…」

それは母が中学生の頃。ご近所であれば大体の人はわかるはずなのに、八尾の家の前で知らないおじさんとすれ違った。誰だろう?でもどこかでみたことがあるような。

記憶をたどってみると、それはよく遊びに行く友達のうちで、仏壇に飾ってあるお父さんの写真とそっくりだった。気がついた瞬間おそろしくなり、急いで家事をしていた祖母(母の母)に伝える。「今、○○ちゃんのところの死んだお父さんとすれ違った!たぶん家に帰ろうとしてる!どうしたらいい!?」

緊急事態にも関わらず、「もうそんな時期か…」と落ち着いて語る祖母。どういうこと!?とパニックになる母。

詳しく聞いてみると、その家のお父さんはムショ暮らしを終え、十数年ぶりに帰宅するところだった。どうやら、子供に父の収監を伝えるのが難しかったため、方便として仏壇に写真を飾ってあったらしい。

その日、娘は死んだと聞かされていた父と初めて出会ったはずだ。その時どう思ったのかは、母も知らない。こんな時のためにこの言葉があるのだろう。

事実は小説より奇なり。

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