Youはどうしてデリ嬢に?
こんにちは( ˇωˇ )
ちょっとずつでも過去遡りしようかなと思いまして、まず
「なんでこの仕事してるのー?ハアハア」
というクソ客的質問第2位の事柄についてお答えしようと思います(#^ω^)ピキピキ
しがまんさんは夜職4年目22歳 一般的に夜職に就いてOKな年齢から始めております( ˇωˇ )
初めて就いた夜職は
「デリヘル」でした。
ざっくりとは以前の記事でお話したので少しばかり詳しく語ろうと思います。
・公務員になることを強制された10代
※第1前提としてうちの親は世間でいう毒親です※
中学時代、しがまんさんの家はいわゆる貧困家庭…だったと思います。 父親は肝硬変により働けず、母親の介護による収入をあてに生活していました。 もちろん私立に通えることはなく、公立単願の受験。絶対落ちることは許されないゆえに中学一年生から友達と遊ぶこと、友達を作ることも許可されず勉強漬け、中学三年生に至っては ・お風呂は週に1、2回。 それ以外は塾で深夜まで勉強 ・体調不良は許されない。 問答無用で殴られます。 ・精神的な追い詰め 残念ながら中学時代はぼんやりと 「いじめがあったなぁ」「親にこんなことされたなぁ」という記憶しかありません。解離性同一性障害が始まっていたのだと思います。
こんな思いをしてどうにか公立高校に入学できました。 そこから私の親の暴走と私の精神の崩壊が始まります。
高校に入って自由に部活をやって、遊んで…そんなことを期待していたのですが、もちろん許されませんでした。 休みの日はアルバイトをさせられ、バイト代は 「しがまんはお金の管理なんてできない」ということを理由に全て奪われ、親に使い込まれていました。 当然、友達なんてできるわけがありません。しがまんさんはその辺から小学生の頃からお世話になっていたリストカットが止まらなくなってしまいました。 もちろん将来の夢も抱くことはできません。父親の口癖は 「お前は公務員になるんだ」 もう将来を諦めていたので、なんとなくそっち方向に進むんだと考えていました。 どうなってもいい。どうせ何も変わらない。
そんな諦めていた日々を過ごしていたある日、高校一年生から高校二年生になる年の冬
父親が死にました
・何やりたいんだっけ?わからない
そこから急に自由になったしがまんさん。何をやったらいいかわからない、遊ぶことも許されて、母親には 「あんたやりたいことないの?」 なんて今まで全否定されていたことを決めろと言われて頭がおかしくなりそうでした。
頭の中の糸が切れた音がする
解離性同一性障害を発症していても、親にも言えず、知識もなく、病院にも行けなかったしがまんさんは高校三年生の夏
階段から飛び降ります。
まったく覚えていません。しかし学校からは「転校」を言い渡されました。 転校してスクーリングになってから更に自由な時間が増えました。毎日のように街中で遊び歩いていました。すると、不思議なおじさんに声をかけられるようになったのです。
「お姉さん、今からホテル行こうよ お金払うから」 そうです、援助交際をしていました。 とても稼げるし、こんな体いらないし、どうにでもなれ。 被虐待児に刷り込まれる自分は失敗作だ、という考え方が見事に作用したなと今でも思います。
それから18歳になると同時に高校卒業、とりあえずアルバイトと考え、めでたくフリーターになりました。
・このままじゃ親にニートにされる…!
卒業してから母親、妹ともに私に対しての嫌がらせ等が始まりました。 私の部屋は台所の横にあったのですがそこからまぁ聞こえてくる私への陰口。 その頃にはうちの親はどこかおかしいと気づいていたので毎日のように喧嘩も絶えませんでした。(レベルで言うなら警察の人に保護されるレベルだよっこの話はまた今度ねっ)
18の夏ごろから、インターネットで知り合った男性とお付き合いしていたしがまんさん。まぁそいつもなかなかのクズだったのですが… 親の愚痴やらなにやら吐いていたら、( ゚д゚)ハッ!とするようなことを言われました。「結局文句を言っててもその親に養われてるんだよ」 うん、ぐうの音も出ません。 それから私はGoogle先輩に質問します。 「寮付き アルバイト」 そんなものを打てばやってくるぜ…あいつが…! バーニラバニラバーニラ求人♪
・家出大作戦
デリヘルという仕事に関しては抵抗はまったくありません。 誰かと性的なことをしてお金を得るなんて慣れっこだ。そう考えトントン拍子で面接、入店と進みました。 そしてお店側にも事情を話し、家を出る前日部屋の片付けをしていた私に母親がヒステリーを起こしました。 あたしがまとめた荷物を投げるわ、叫ぶわその時冷静に
「ああ、あたしはこのまま親といたらダメになるんだ。うん、これは親じゃない」
と考えつつ親戚から余計な詮索を受けた時のために、母親のヒステリーを起こしている姿を携帯のカメラで撮影し、そこからは黙って最低限な荷物だけ持ってお店の方が荷物を持っていってくれる時間までネットカフェで過ごしました。
そしてその翌朝、母親が仕事で不在な隙を見て家に戻り、荷物をまとめて
迎えに来てくれたお店の人と家を出てデリヘル嬢として働くことになりました。
ここまでがデリヘルを始めた理由になります。 よくクソ客の皆さんはなんでこの仕事してるのかお聞きになりますが、こんな長い重い話を受け止められるかい? 各々女の子には事情があってそれは決して明るいものばかりでは無いのに聞いてきて大丈夫かい?!
そこをわからないからクソ客と言われてしまうし女の子からは塩対応されてしまうのです。
【結論】余計な詮索は帰れ
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?