10万字ってヤバくない?(100話を目前にして、いろいろ)
第98話
もうすぐ100話なんですよね。
記事以外(画像、つぶやき、音声)を含めると先週の土曜に100回達成してますが、記事オンリーでも、あと2話で100回を迎えるわけです。
ほぼ毎話、1000文字超えてますので、
(超えてないのは3つか4つくらい)
もう10万字書いてるんですよ。
約4か月で。
え、ヤバくないですか?
私がですよ?
幼い頃から文章というものに慣れ親しんでこなかった私がです。
「ヤバい」などという汎用形容詞、使うべきではないのでしょうけど、
っていう話は既に第31話でしてるんですが。
このときも、自分がnote投稿を続けていることに"ヤバさ"を感じていました。
自分がしていることに改めて感慨深くなったとき、
私は"ヤバい"と感じるわけです。
ここでの「ヤバい」はそう定義しておいてください。
言葉の意味を勝手に定義する点、造語の話とも似てますね。
今、記事を書きながら過去の似た話の記事を2個貼ってみたわけですが、
よく覚えてると思いません?(自賛)
そりゃ自分で書いた記事だから当然っちゃ当然なんですけど、
でも既に97話あるんですよ?
凄さの証明が例の第90話なんですから。
自尊心高すぎない?
違うんですよ。
そりゃ、他人と交流する社会という観点から、
自分を卑下する社会性を身につけろっていうもの分かるんですが、
そんなことよりも真実が知りたいんですよ。
自尊とか卑下とかいう感情的なことではなくて、
ある物差しにおいて自分は凄いのか凄くないのか
ってことです。
あくまで目線は第3者
…になりたいんです。
相対的に、凄いものは凄い、凄くないものは凄くない
と見れるようになりたい。
第3者目線になろうとする中で、卑下する心はいらないとしたんです。
人間性としてはよくないですけどね。
ですが卑下しすぎもウザいですからね
っていう話は、
↑この回でしようと思ったけど出来なくて、
↑この回でしたんでしたね。
書きながら書きたいことって変わっていっちゃいますから。私の場合は。
現在進行形でそうですもん。(衝撃のカミングアウト)
書きながら書きたいことが変わっていったか否かは
タイトルを先に書いたかどうかに表れる
っていう話は、
↑この回で書いてますね。
ほら!
どうよ、自分の記事をよく覚えてるでしょ!
…これは自尊心だわ。訂正します。
あくまで第3者目線のつもりで書きますが、
私の文章の良いところは、
生々しいところだと思うんです。
さっきの「現在進行形でそうです」もそうですし、
例えば、第94話の
とか。
文章なのに、小綺麗な感じがなく、
人間らしさが漏れ出てるんですよね。
幼い頃から文章というものに慣れ親しんでこなかったことが
逆にオリジナリティになってると思うんですよ。
どうでしょうか。
だからといって、
↑これは生々しすぎますけどね。
第34話をオチに使うなw
以上です。
最後まで読んでいただきありがとうございました。