言語化のはなし(記事を書いて投稿することは「収穫→調理→提供」)

第88話

あーーー
記事書くのめんどくさ。

書きたいことはあるんですよ。
この間感じたことをみんなに共有したくてね。

でも言語化って面倒くさいじゃないですか。
わかんないけど、むっちゃ労力使ってる気がするんですよ。

"感覚"を"感覚"のまま伝達できないものか。
小さい頃から思ってます。

まぁでもこのままじゃ埒が明かないんで、
ちょっとこの間の感覚を頑張って書いてみますね。

この間感じたのは、
なんか、「自分」というものは、まぁ誰でもそうなんですけど、理性とそうじゃないほうの2つの機能(?)があって、やる気とか興味とかはそうじゃないほうが司ってて、理性がそれを抑えてるんだけど、人間、理性だけだと多分ニヒルになるし、そうじゃないほうが興味によって(?)自分を動かす起動力となり、その興味のあること(?)をしている最中は論理的思考(?)で理性を使う。このタッグで進んでいってる(?)。
そう感じて、私は強くなった気がしたんです(??)。

は?

逆に分かった人います?私は分かりません。
分かった人は普段から哲学的なことを考えるのが得意なんでしょうね。
それか分かったフリが得意 ←失礼

今のは、脳内にある原案のようなものを
そのままオエッと吐き出しただけなんですよ。
汚っ。

その原案を、
具体例を足したり、そのことを思い付いた背景を書いたりして、
因果関係とかもしっかり整理して、
"読めるもの"にしなきゃいけないんですよ。

それが面倒くさいの!


 noteの記事を書いて投稿することは、
「収穫→調理→提供」の流れになぞらえることができそうだ
と思ったことがあります。

まず、私の田畑には
なぜか勝手に"思想"が生えてくるんですよ。
"思想"の原案。原案も原案。ぼんやりとした何かです。

その作物をそのまま丸齧りすることはできないんです。
そういう作物なのでしょう。

あるとき私は、
ただ生えてくるだけなのが「もったいない」と思い、
その作物を調理してみたんです。
言語化ですね。
最初はまともな料理ではなかったですよ。
つまりは文章じゃなかった。
グチャグチャっと単語さくもつを並べた何かでした。

しかし何度かやっていくうちに、
自分の中では満足のいく料理になっていきました。

すると今度は、
誰かにこの料理を味わって欲しいと思うようになりました。
なんでなんでしょうね。人間のさがなんですかね。

あとは提供してみたら意外と褒められて、
また提供したくなって、
「収穫→調理→提供」を繰り返す日々になったと。

気付いたら義務みたいになってて
面倒くさいなんて思ってましたが、
別に料理人になろうとしてなったわけではないですからね。

ただの「もったいない」から始まった事ですから。
「もったいない」より「面倒くさい」が勝つなら
無理にやらなくてもいいと思いますけどね。

(私には初期の「誓い」があって、
それだからやらなきゃいけないっていう話もあるのですが、
ここでは書きません。)

あとは余談なんですけど、
「収穫→調理→提供」の比喩を使ってもう少し遊んでみると、

私、noteに文章以外にオリジナル曲も投稿してるんですけど、

文章は料理で例えたんで、
曲は…

入浴剤?


以上です。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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