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オーストラリア縦断で自分の無力さを痛感

この夏に3週間のバックパッカーをするためにオーストラリアへ行った。
リュック1つで初めてのバックパッカーを経験。
ダーウィンからメルボルンまで縦断旅の予定からU字のエアリービーチまで回ることが出来た。

毎日が刺激で孤独で貧乏でワクワクした。
(別で3週間分の旅記録を残そうと思う)


縦断をすると決めた理由


私がなぜ縦断しようと思ったのか。自分でも明確な理由はわからない。気づいたら飛行機を予約して、バックパッカーでまわる覚悟を決めていた。
今思うと、外的要因と内的要因があった気がする。

外的要因からすると、私の家族である。
私の母は昔、携帯がない時代に「地球の歩き方」を頼りにオーストラリアを一周したことがある。私の兄も大学時代にオーストラリアやドイツ、スイスなどをバックパッカーで行ったり、私の祖父母は世界一周していたりと必然的に海外に興味を持てる環境で育ってきた。自分もいつかは1人で周りたいとかバックパッカーしたいとかいう感情があったのだと思う。むしろ、私だけ何もしていないことが何も成し遂げていない事が悔しい。結果が何もないまま、自分で自分に期待できない状況にはしたくない。そう思わせてくれた環境にありがたく思う。周りや自分自身に、1人でここまでやれたよっていう証明も兼ねての旅だったと思う。

内的要因からすると、今の現状に満足していなかったからだと思う。
せっかくの大学4年間を平凡な4年間で終わらせるのは勿体無いと常々思い、To Do リストを持ち、実行する事を繰り返している。
もちろん旅行で色々な国に行って得られるものはあるけれど、もっと大きく成長する何かを経験すべきだと思った。


自分を見つめ直せた出来事

ここでは、この3週間のうちに打ちひしがれる思いをした出来事2つのことについて書きたいと思う。

一つ目は、
キャサリンから乗車のバスで日本人大学生の2人と出会い、2日間を共に行動した時である。すぐに仲良くなり、本当に楽しい二日間の旅だった。(詳しくは、下記)それと同時に、自分の駄目さ加減を思い知った。

この旅では、ダーウィンから降っていくという時点で日本人は本当にいない、見かけもしない環境から始まった。おかげで社交性を全面に出し、下手な英語で色々な人に話しかけ、助けてもらい、1人で何処に行くのにも何をするのにもだいぶ楽しんでいた。

だが、彼らと行動した2日間では、日本人がいるという安全地帯に甘え、同じ日本人に甘え、外国への社交性を見失っていた。

2人とは語学力の差は大きくないはずなのに片方の彼は、自分からドイツの方やシンガポールの方に話しかけ、1:1で交流をしていた。その単語力と喋ろうとする姿勢を目の当たりにして自分が自分で情けなくなった。安全地帯にいる自分が恥ずかしくなった。1人の時は、あれだけ社交的だった自分が情けない、ガッツ足りてない、悔しい、努力出来てない、劣等感を感じた。
逆に言えばこの場面に直面し、縮こまった自分に気づけて良かったと思う。大切なことは、「持続する気づき」だと言える。“気づき“を持続させていく事が意識につながり、行動に紐付けされると思うからだ。この旅の後半や、日本人に出会い同じ状況になった時に、次こそは意識を働きかけ気をつけようと思う。

二つ目は、
初日からハプニングが続き、1人で対処ができなかった事だ。
母の力を借りてしまった。。。
電話やカスタマーセンターに問い合わせてくれたり、メールのやり取りなどすぐ様に動いてくれた。自分が無力すぎて、言葉にできなかった。

その日の夜に沢山の感情で溢れ、大号泣をした。
全然頑張れていない。
無力すぎて何もできなくて涙して情けない。今の私に何ができるのか、毎日せかせかと追われて毎日プランを考えなくちゃいけない、宿は決まるのだろうか本当にたどり着けるのだろうかの不安と戦う日々。一杯一杯で何もできなくて全然ダメになっていた。「何しにここにきてるの」って何回も自分に問いかけた。

それでも1番の悔やんだ思いは、英語力である。
旅の先々で出会う多国籍の人と頑張って話した。もちろん楽しかった。聞き取れる、理解できる。ただ、自分の伝えたいこと話したいことってなかなかうまく出てこない。私にもっと英語力があったらもっと楽しくなれたし、もっとみんなの輪に入れたし、なんでもできたと思える。終いには、なんで英語が母国語じゃないんだとも思った。ボキャブラリーは少ないわ、努力はできないわ、全然私はダメなんだ、自分に足りてないことが多すぎるってこの旅で思い知らされた。


こうやって迷って悩んで悔しい思いをしてダメな自分に向き合う。私にとってこの夏は、沢山の感情と沢山の出会いや出来事、自分にぶつかった夏だと言える。