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オーストラリアバックパッカー

この夏に3週間のバックパッカーをするためにオーストラリアへ行った。初めての1人海外と初めてのバックパッカー。
ダーウィンからメルボルンまで縦断旅の予定からU字のエアリービーチまで回ることが出来た!

毎日が刺激で孤独で貧乏でワクワクした。
(別で3週間分の旅記録を残そうと思う)

ここでは、この3週間のうちに打ちひしがれる思いをした出来事2つのことについて書きたいと思う。

一つ目は、
キャサリンから乗車のバスで京都大学生の2人と出会い、2日間を共に行動することになった。すぐに仲良くなり、本当に楽しい二日間の旅だった。(詳しくは、別日記へ)それと同時に、自分の駄目さ加減を思い知った。

この旅では、ダーウィンから降っていくという時点で日本人は本当にいない、見かけもしない環境から始まった。おかげで社交性を全面に出し、下手な英語で色々な人に話しかけ、助けてもらい、1人で何処に行くのにも何をするのにも結構楽しんでいた。

日本人の2人と行動した2日間では、日本人がいるという安全地帯に甘え、同じ日本人に甘え、外国への社交性を失ってしまった。

2人とは、同じほどの語学力なのに片方の彼は、自分からドイツ人やシンガポール人に話しかけに行き、1:1で交流をしていて単語力と喋ろうとする姿勢を目の当たりにして自分が自分で情けなくなった。安全地帯にいる自分が恥ずかしくなった。1人の時は、あれだけ社交的だった自分が。情けない、ガッツ足りてない、悔しい、努力出来てない、負けた気がした。

二つ目は、
初日からハプニングが続いた。そのハプニングたちにも1人で対処ができなかった。母の力を借りてしまった。電話やカスタマーセンターに問い合わせてくれたり、メールのやり取りなどすぐ様に動いてくれた。自分が無力すぎて、もう、言葉にできなかった。

その日の夜に沢山の感情で溢れ、大号泣をした。全然頑張れてない。無力すぎて何もできなくて涙して情けない。今の私に何ができるの、彼や母みたいにはなれない。毎日せかせかと追われて、毎日プランを考えなくちゃいけなくて、宿は決まるのだろうかの不安と本当にたどり着けるのだろうかの不安と戦う日々。一杯一杯で何もできなくて私ダメ。全然ダメ。何しにここにきてるのって何回も問いかけた。

つまり、完全に弱っていた、、笑

それでも1番の悔やんだ思いは、英語力である。
旅の先々で出会う多国籍の人と頑張って話した。もちろん楽しかった。聞き取れる、理解できる。ただ、自分の伝えたいこと話したいことってなかなかうまく出てこない。私にもっと英語力があったらもっと楽しくなれたし、もっとみんなの輪に入れたし、なんでもできたと思うの。終いには、なんで英語が母国語じゃないんだとも思った。ボキャブラリーは少ないわ、努力はできないわ、全然私はダメなんだってこの旅で思い知らされた。

母親へのプレゼン資料として、語学学校とフォルケのパワポを2つ作成した。果たしてこれも迷っている自分には必要な時間だったのだろうかとか迷っている時点でその程度の覚悟なんじゃないかとか私が私で1番わかっている。

考えていることは沢山あるけれど言葉には出せない。
こうやって迷って悩んで悔しい思いをしてダメな自分に向き合う。私にとってこの夏は、沢山の感情と沢山の出会いや出来事、自分にぶつかった夏だと言える。