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看る側に回る

私の弟は、幼少期からとにかくデカい(現在190cm)、病気持ち(アトピー・喘息等)、いわゆる手のかかる子どもだったといえる。
弟のことで苦悩し奔走する母を見ていて、母を困らせぬように自分の事は自分で決めて動いて迷惑にならぬようにすると心に決めていた。
小学校の卒業式の時に母からもらった手紙には「もっと甘えていいんだよ」と書かれていた。
(家事は一切手をつけなかったので、十分甘えていたと思う)

弟の面倒を看る最初の試みを私は記憶している。
4歳の私と1歳に満たない弟とでお留守番していた時に、弟がぐずり始めた。
「おむつ替えろ」のサインだとすぐに分かった私は、汚物で手を汚しながらも自分と頭の大きさが変わらない巨大な弟のおむつ替えをした。


弟の高校卒業後の進路について。


親子喧嘩することがほぼなかった私にとって、唯一記憶している母と喧嘩した時の理由。
細かいやり取りは覚えていないが、最終的に母が「お母さんが悪いよね」と言いながら泣いて終わった。母を論破してしまった。
この時からコンサルっぽかったのかな。まったく憎たらしいヤツだ。
今の教育事情、弟のパーソナリティ、やりたいこと、一番わかっているのは私だという謎の自信があった。弟に「お姉ちゃん」と呼ばせない謎ルールを課していて姉という役割を放棄していたので、姉としての責務というものでもない。おそらく、自分も一人の大人?専門家?の感覚でモノ申していたように思う。


私が5歳になってからは同居する大人(祖母・伯父・伯母・従兄)が増えて、弟を看る目が増えた。
それぞれの大人がそれぞれのやり方で弟の面倒を看る。
面倒の看方の事例がたくさんあったので、自分だったら何ができるかを考えることができたのかもしれない。


ある時ビッグダディさんが、
子どもが生まれる前から兄姉に対して一緒に育てていこうという風に声掛けをしていくことで、兄姉が主体的に弟妹の面倒を看る仕組みを作ったと言っていた。


コロナ蔓延も重なり余計に親子の距離が縮まり、その間に別の誰かが入る隙がなくなっている。隙のない状態が続くことで親の身構えが硬くなり、その強張りを受けて子も緊張状態が続く。
親にとっても子にとっても精神衛生上、決して良い状態ではないと容易に想像できる。

私は出産育児を経験してないからその過酷さを理解できないが、姉という立場で弟を看た経験はある。看る側に回ることで、親と同様に自分自身の成長(自律心、ワガママを抑える心強さ等)にもつながったと心から言える。
兄姉がいるなら一緒に看る側になってもらうのはどうだろうか。
そして少しでも、身構えを解く瞬間を日常の中で少しでも取り入れてもらえたらと思う。






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