中高大で公式戦登板0のヘボPが草野球で初めてエース格として1シーズン投げて感じたこと
野球のシーズンもそろそろ終わりに近付き、私が所属する草野球チームもリーグ戦全日程を終えることが出来ました。
以前、NPBに挑戦した際の話をUPしましたが、今回は実戦で投げてみたことで新たに感じることがたくさんありましたので、書いていきたいと思います。
高校時代
高1の夏、監督の「ちょっと横から投げてみろ」の一言で始まった投手生活。ノーコンで変化球も投げられない私にとっては地獄のようなものでした。そもそもバッティングが好きだったので、それが一番嫌でした。
最初の登板で135㎞/hを投げたものの、コントロールが悪く試合を次々にぶち壊していきました。最初の頃は花咲徳栄、慶應義塾といった強豪との試合にも出番があったのですが、ある日、先発して3回を無安打無失点8奪三振9四死球、あと一つのアウトは牽制死というとんでもない伝説級のピッチングをやらかしてからは、練習試合での出番も減りました。
無理して投げる間に肩も壊し、気付けば3年の6月を迎えました。
当時を思えば、股関節を意識…といっても正しい位置ではなく、脚の付け根、それも体の前面。そして、内旋しつつ肘から上げるテークバック。
腕のタイミングは合わないわ、体のバランスは取れないわ、そりゃ投げられるわけがありませんでした。
しかも、走れば球が速くなる!と魔法のようなことを夢見て、短距離長距離問わず走っていたので、高校3年間で体重は増えるどころか減り、校内マラソン大会で優勝することが出来ました。本末転倒ですね。
1年生の頃135だった球速も、126まで落ちていました。「君のスペックなら140出なきゃおかしい」と言ってくれたトレーナーさん、「なんでそのフォームでストライク入らないかねえ、できるはずなのに」と直接ブルペンまで話しかけに来てくれた審判さんを思い出すと申し訳なくなります。
そんなこんなで高校野球を引退し、投手になったときに決めた「140㎞/h投げたら硬式を続ける」目標も達成できなかったので、準硬式へ行きました。
大学時代
大学時代にやったことは大きく分けて2つ、体重増とフォームの改良、でした。
177㎝66㎏ではちょっと話にならないので、80㎏を目指してトレーニングを始めました。BIG3を中心に、綱登りなんかも取り入れて、週3以上でできるようにスケジュールを組みました。
フォームの改良ですが、日本でサイドハンドはやはり希少種です。なかなか教材がありません。そこで行き着いたのが塚口氏のBPLブログ。
ペドロ・マルティネスやクレイグ・キンブレルのフォーム分析をしていたら、「パンチャー」「スインガー」の分類を発見。自分が求めるべきピッチングフォームのおおまかな像が見えてきて、自分が投手として変わる大きなきっかけになりました。
実地での指導も受けました。当時の様子がこちらです。身体が硬いですね。
変化球、その頃も投げられなかったので、それっぽく投げました。
いろいろやった甲斐もあり、4年の秋にはベンチに一応入ることができ、ブルペンでは見違えるようなボールを投げられるようになっていましたが、とうとう公式戦で投げることはありませんでした。
あと1年あれば!と思いましたが、残念なことに引退しなければならないのが学生野球です。学生の皆さんはもっとうまく限りある時間を使ってもらえればと思います。
結果的に落ちた球速も138㎞/hまで戻り、177㎝84㎏(体脂肪率15%) 50m6.3秒 遠投110m 背筋力240㎏ 握力70/70㎏の野球に能力を生かしきれない半端な選手として社会に飛び出していくことになりました。
草野球プレーヤーとして
いろいろなご縁があり、今のチームで野球をやらせていただいて2年目。
コントロールは悪くても、球威でどうにかできることがある中で、今年に入り、いくつかの思い付きがありました。
・真っすぐ股関節がハマるところで立つ
手塚理論でいうところの「かませ骨盤」です。
これができるだけで一気に安定して、体が狙うべき方向へスッと動いていきます。ただ「真っすぐ立つ」意識をしていたときは、上半身が後傾しており…というか、「真っすぐ」が何か理解できていませんでした。
・テークバックを肘から上げない
つまり、高校時代信じてやってきたことの逆です。これが自分の答えでした。
スライダーを投げようとすると、全部インハイ方面へ抜けてしまう日がありました。なぜ抜けるのか考えてみたら、トップを作るのが遅く、上半身と下半身のタイミングが合っていないのが原因として浮かびました。
では、それを防ぐため、下半身の動きに上半身を合わせればいい、そうなると肘から上げるなんて意識をする暇はありません。
右手はグラブから割ってその辺に置いておけば、並進とともに勝手にいい位置に上がっていきます。
これらが出来てくる中で、大事な試合、大事な場面を任せてもらうことが増えました。そして、勝利数、奪三振率、WHIPの3部門でリーグ1位につけることが出来ています。
・実戦の中で考える
草野球はほとんど試合です。いくらノーコンだろうが、バッターに投げなくてはなりません。変化球が投げられないなら、投げられるように考えないといけません。ストライクを取って、狙い通り投げて、打ち取れるよう考えないといけません。
幸いにもエース格として大事な試合や場面で使ってもらうようになり、人生で初めての経験が出来ています。大事な場所で投げるから、力の入れ具合がを考える。大事な場所で投げるから相手の狙いをより考える。そして、何より、大事な場所で投げるから楽しい。楽しいからもっと良くしたいと思う。この好循環が生まれてきました。
先日、公式戦の僅差の最終回を、自分の投げたいボールで、自分の思い描いたように守り切ったとき、やっぱり投手をやってて良かったなと思えました。野手では感じることのできなかった喜びです。10年やってきて初めて「なんだかんだピッチャーも楽しい」じゃなく「ピッチャーって楽しい」と思えた瞬間でした。
投手を始めて10年、あくまで自分のたどった歴史と、思ったことを書き並べただけですが、一人でも多くのノーコン投手たちに、少しでもお役に立てれば幸いです。
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