都市ではなく地方で活動する理由
みなさんこんにちはサイドストーリーの渡邉です。本日も前回に続いてなぜ地方で活動してるのかをお伝えしたいと思います。
・サイドストーリーのMISSIONの原点
縁あって千葉県の君津市の限界集落の活性化を関わる機会ができました。様々な大学生が集まり、地域おこしサークル的なHashuという組織を作りました。MISSIONは「一人でも多くの人が存在意義を見出せる社会を創出すること」。なんかくさいワードな感じに見えますが、私はこの「存在意義」という言葉が好きです。皆さんも「あなたがいてくれたおかげで・・・」とか言われたことはないですか?私はそういう言葉をもらった時自分の存在する意義がここにあるって感じます。みんな求め、求められ、生き、活かされてる状態ってリア充な感じするなーとか思います。そういうきっかけ創りをしたいと思い活動をし始めました。具体何をしていたかは本題ではないので写真でさらーっと紹介
色々と地域おこしごっこを学生なりに楽しんでいました。そんな中、この活動に多大なる貢献をしてくれていた某氏のご逝去の連絡がありました。
・地方は1人の"死"で様変わりしてしまう
少し言葉が大げさですが、重要な一人がいなくなることの影響の大きさをまじまじと感じました。千葉での活動ではこの方が無くなってしまった途端、活動が停止してしまいました。
皆さんの地域やプロジェクトでもでも”影の立役者/推進者”のような方がいませんか?目立つわけではないけど、ものすごく貢献してくれている人。
こういう人の存在の有難さは居なくなってから実感することが多い気がします。私たちの場合、この人に頼りっきりなところもあり、何したらよいか途方に暮れてしまいました。
・想いがあっても、力がなければ何も変わらない
「力愛不二」という言葉を皆さんご存じでしょうか?少林寺拳法の中でよく使われる言葉で「どんなに人のためを思っても力が無ければいざという時になにも守れず、力だけあっても相手に恨みを買うほど暴力的になり、怨恨を残すことにもなりかねない」という意味です。経済力・腕力だけではなく愛の大きさ、求心力(人に頼られる、守ってあげたい存在)も含めて人の強さであるという考え方です。某氏の死によって私たちは非力さを実感させられました。意識高い(笑)はここらへんで(笑)が取れ始めるきっかけになった気がします。力への適度な欲求を持つこと、今も過度にならないよう意識をしながら活動をしています。地方でなおのこと「プロフェショナリストな分野もあるゼネラリスト」が求められることもあり、力がないと生きていけない厳しい世界でもあります。
同志との再会、力持った上でできることを再開
1月20日に千葉で久しぶりの再会をしました。ほぼサラリーマンがいなくw自分がやりたいことに勤しんでいる人間たちになっていました。話は常にこの地域の未来についての話。「ここで何やる?いくら調達する?」等学生時代では話もできなかったことを話せるようになったことに成長を感じつつ、酒を交わす楽しい時間となりました。早速皆で活動を再開することにして、大鷲の山の再活性化に乗り出すことにしました。キャンプ場?サウナ?ホテル?BBQ場?農場?等々いろいろと計画を考えていきたいと思います。もうすでに福島宮城岩手で活動をしている人を巻き込みたいと思っているので、皆さん巻き込まれる可能性ありますのでご注意ください。
今日はここまでにします!