梅桃
厄介な夏風邪にやられて数日ダウンしていた。思い返してみれば昨年はコロナ二回、インフル、熱中症と散々患いに患ってきたわけだが、これは今年もよろしくないかもしれない。
ずっと行きたかった舞台やライブ、イベント盛り沢山の四日間のうち三日間は病床に伏してしまったのだけれど、体は資本と言うだけあり、何をするにも健康が先ず以て優先されるべき時効なのだから仕方ない。
カーテン越しに昇っては沈む太陽にギリギリ時間の移り変わりを教え込まれる。無視するように寝て起きてテレビやスマホに張り付いて泥のように咀嚼をする。消化したかった作品を少しだけ片付けたけれど、消化しては次、消化しては次、と淡々と進めていくと脳の処理が追いつかない。こうなると結局は後から碌に覚えていなかったりする。わかっているのにやってしまう。学生時代のテスト勉強のような詰め込み方だ。備忘録としてフィルマークスを始めた。けれどもう何も書けないのだから世話がない。次から、次から、ダイエットは明日から。人生ってそんなことの繰り返しばかりだ。人間なんてそんな簡単に学習できる生き物ではない。それでも自分の固い決意なんてものを本当はもう少しくらい信用できる人間になりたい。
金曜日に寝て起きて、土曜日に寝て起きて、日曜日に寝て起きて、冥曜日がそこにいて、月曜日が始まる。水金地火木土天冥海曜日。すべてにきっと意味があるようで、すべてにきっと意味がない言葉たち。悲劇。
百合の花園は人工的で、誰かが作った石畳や構造物が空間を支配している。そこに在る柔らかな空気は虚構なのかと問えば、コーヒーカップの中を泳ぐ老人が皺だらけの口角を引き上げ、湿度のある顔で微笑を浮かべる。ロイヤルコペンハーゲンのソーサーについた茶色のシミが段々に赤みを帯びて、それが真っ赤な梅桃の実となる。頭上に花飾りをつけた少女が梅桃の身を頬張ると、老人はスゥと消えてしまう。「ぜんぶかえして」と言い残して。
遅れて現れた少女が笑うと、テーブルは赤と緑に染まっていく。きみの頬も紅く染まる。たべようかなたべようかな。星の裏を照らすオレンジの太陽が眩しい陰を作りだす。たべようかなたべようかな。遠のく意識の中にきみと、黒く美しい幻想が見える。たべようかなたべようかな。白い現実が挿し込む。割れるマーブルのシャボン玉。違う、すべて妄想でここは帰り道。
しゃかしゃか きみはおいしいかな。
たべようかなたべようかな。
しゃかしゃか きみにしようかな。
ガラスの割れる音。