今でも眠れなかったり死にたくなったりするけど、そこに生を感じてしまうから人間らしくいられていると思う。ぼんやりとした不安なんてものにははっきりとした理由があったりする。そこにスモォクを吹きかけて見えなくしているのだとしたら人間は、人間は、人間は、きっと誰だってそうに違いないのだ。少なくとも私はそう言い切れる。だけれどぼんやりとした不安や唐突な憂鬱は確かに実在する。彼奴等はいつだって影よりも近く背中越しに此方をジリと見てくる。舐め回すような粘度の高い視線、湿った空気を擦り付けて
軽率に人を好きになるけれど、簡単に人を嫌いにはならないから好きな人ばかりが増えていく。これは幸せなことだ。そもそも人を嫌いになることは心地良いことではないのだけど、だからと言って人を嫌いになること自体は善でも悪でもない。気分が良いことか悪い事か、という話。 椎名林檎の曲に「月と負け犬」という曲がある。 「好きな人や物が多過ぎて見放されてしまいそうだ」という歌い出しに今の自分を重ねてみたりする。虚勢を張る気は無いし、取分け怖いことも無いのだけれど。ただなんとなく何かを信じる
厄介な夏風邪にやられて数日ダウンしていた。思い返してみれば昨年はコロナ二回、インフル、熱中症と散々患いに患ってきたわけだが、これは今年もよろしくないかもしれない。 ずっと行きたかった舞台やライブ、イベント盛り沢山の四日間のうち三日間は病床に伏してしまったのだけれど、体は資本と言うだけあり、何をするにも健康が先ず以て優先されるべき時効なのだから仕方ない。 カーテン越しに昇っては沈む太陽にギリギリ時間の移り変わりを教え込まれる。無視するように寝て起きてテレビやスマホに張り付い
これは書かないといけないことなので備忘録として。 2024年4月4日、私の敬愛する大森靖子とオーケンこと大槻ケンヂが浅草花劇場でツーマンライブを開く。そんなビッグニュースが入ってきてすぐにこれは何かやらねば、と思い立つ。 幸いなことに会場の花劇場から私の働くカフェまでは徒歩3分の距離。 靖子ちゃんと言えばパフェ!オーケンと言えばカレー!ということで二人をイメージしたパフェとカレーを作ってライブ当日に一日限定でメニュー化した。 その名も 【ミッドナイト清純異性交遊パフェ
鼻にツンとくる外気や、タスクに追われる日々に年の瀬を感じる。 クリスマス、大掃除、正月の準備と、12月は下旬に兎角詰め込み過ぎているように思う。一日の時間がもっと長ければ、とは思わないが、12月は50日くらいまであってもいいと思う。(一日が長くなってもスマホをいじる時間が増えるだけのような気もするので) どうですか、12月50日。 あまりテレビドラマは見ない質だが、「SPEC」のドラマは見ていた。今回はSPECに少し近い話を書こうと思う。 SPECのいいところはパンツ
久しぶりの更新。 桜は散り始め、桃色と新緑の混ざったカラフルな桜の木を見たときに新年度が始まったような気分になる。満開の桜が全てではない。四季は大まかな分別であって、本当はもっと細分化されてもいいのではないか。 一昨日、サンリオピューロランドに行った。 京王線から眺める街並みがのんびりしていたのがすごく印象的だった。 平和な気持ちで辿り着いた京王多摩センター駅はディズニーのそれとは違って、ピューロランド目当ての人だけではなく地域で働く人や生活しているであろう人が多く行き
梔子、沈丁花、金木犀、所謂「三大香木」と呼ばれる木の香りが好きだ。 春と秋の存在が薄くなりつつあるこの国でも、香木の香りだけは季節を教えてくれるといいな、と思う。 日本には四季がある。 季節がなくなって、人の死を悼むことまでなくならないようにね。 四季超えて死期過ぎても生きてこうね。 二十歳くらいの頃、HASAMI groupのSUMMERという曲に出会った。 私の好きな友達がこのバンドでギターを弾いていて、曲を聴くようになったのもその子の影響だったと記憶している
久しぶりの投稿。最後の投稿は昨年の1月28日となっていた。どうにか生きています。 仕事が変わり、大きく生活が変わった。 人と接するようになり、今、なんとなく毎日が楽しいと感じるようになっている。 先日ウーバーイーツを始め、ジムにも通い、心身ともに健康的で穏やかな生活を送っている。 生活が変わって不満は沢山あるし、まだまだ軌道に乗ってはいないが、このままの生活を続ければ夏のうちには多少落ち着き始めそうなので、それからやらなければいけなかった諸々を片付けていきたい。 最近
薬をODして記憶を飛ばした。朝起きたら顔中が痛くて、シーツも服も血塗れになっていた。朝方、外で何かを派手にやらかしていたらしい。目覚めてもまだ血は止まっていなかった。痛みと口の腫れでまともに話すこともできず、何が起きたかもわからなかった。すぐに病院へ運ばれた。 noteを更新していないこの数ヶ月の間に色々なことがあり、1月20日──(後日、編集によりここの文章は削除した)──私は今、都立病院に入院している。 昨年末で8年ほど勤めていた会社を退職し、年明けから浅草のカフェで
私は大森靖子が嫌いだった。 大森靖子も、大森靖子を好きな女も嫌いだった。 椎名林檎の勝訴ストリップのジャケットでパロディをした時から嫌いだった。 くだらないサブカル気取りの、くだらないサブカル女に好かれる女というイメージしかなかった。それだけで反吐が出るし、聴きもせずに食わず嫌いをしていた。 銀杏BOYZの峯田和伸とコラボしたRe:Re:Loveという曲がある。 中学生の頃から聴いていた銀杏BOYZ、相手が苦手な大森靖子とは言え、聴かないわけにいかなかった。初めてまと
しばらく見なかった制服姿の高校生が町に現れて、セミの鳴き声もめっきり聞こえなくなった。そんな小さな事象に夏が終わったことをを実感する。 つい春頃まで住んでいたアパートの様子を見に行った。近所の公園に植えられている金木犀の香りが恋しくなったから、もう香りが立っている頃かと思ったついでだ。 いつも車を停めていた場所に車を停めるとナビが一言「お疲れ様でした」と言った。どうやら私は自宅の設定を変えていないままだったらしい。誰かがいるわけでも、これから恋人が来るわけでも、帰宅したわ
ラジオから流れる若者のすべてに夏の終わりを感じる9月、今年も真夏のピークが去った。いつも夏はあっという間に過ぎていって、茹だるような暑さもすぐに恋しくなる。今年の夏に私は何かを置いていけただろうか。一年後思い出した去年の夏に、記憶に残るものがあるといい。 春と秋を感じる間もなく夏と冬がくると、日本にいるのに四季がないなと感じる。日本には四季があるから美しいと思っていたのだが、ここ数年は二季になっているのではないかと思う。 フジファブリックは日本の四季を感じるバンドだ。よく
暑い暑いと言っているうちに夏が過ぎたようで、ニ・三日前から急に肌寒くなってきた。今朝は寝起きに冬服を引っ張り出し、陽射しが照りつける日々を懐かしむような心持ちで袖を通した。北風に襟を立てるような冬が近づいている。そういえば去年も秋を感じる間も無く季節が冬に移り変わっていたような気がする。 明日も早起きなのにまだ仕事が終わらない。それどころかこうしてnoteを書いているのだから、自分の神経はよくわからない。いつかラブホテルでもらったチューペットをちゅうと吸いながら、ノートパソ
死は救済ではない、ただの終着である。 吐き気、目眩、日中の強い眠気、ここ数日あまり体調が優れない。過度のストレスに由来するものだという自覚はあるが、それを認めたくない自分がいる。 今日も昼食を吐き、段差に躓き、上司と話している途中で突然電源が落ちたように居眠りしてしまった。ろくでもない。 私は自分の精神状態が露骨に体調は表れる体質なので、側から見ても顔や声で察せられることが多い。けれど、これを心配されたいだけだと思う人もいる。自分のこと以外は他人には伝わらないものだな、と
なるべく、人に優しく生きてきたと思う。 それは自分にとっての利害に関係なく、辛い気持ちを抱えた人間はすべからくして優しくされるべきであると思うし、善意でその人を救えるなら助けるのが当たり前だと思っていたからだ。 けれど、誰かに優しくしたところでそれが自分に返ってくるとは限らない。利害に関係なく、と前述しているのにこんなことを言うのはおかしいかもしれないが、自分に助ける価値がなかったり、優しくしてやろうと思ってくれる他人がいない限りは、誰かが救ってくれるということはない。
弊社(私の好きな作家に準えて私は自分の勤め先をこう呼んでいる)には立派な枇杷の木がある。 夏が近づくとオレンジ色のぷくりとした綺麗な実がつき、それを虫やカラスが摘んでいく。時々、私も食べている。 話では二十年ほど前に植えたものと記憶しているが、それが今も生きているのだから、自然の力強さを感じずにはいられない。 ぼとぼとと落ちて潰れた枇杷の身は甘酸っぱくて土臭い独特の香りがするが、悲しくはない。 けれど来年、私はこの枇杷を食べるのだろうか。 植物にしても動物にしても、