己の愚かさについて
あなたは「やる気」を求めて彷徨ったことはありますか。
私はあります。
文章を書く気持ちを高めるために、様々な小説や新書、詩集を読み漁って文章の美しさに高揚したあと、息抜きでXを眺めたり、ネットの記事をだらだら読んだり、Switchでゲームを始めて、挙げ句の果てにソシャゲの周回をし始め、最終的には「やる気」を全て使い果たす。という毎度ながらやる気を探しに来たのに、逆に削がれる愚かな行動をよくしています。
時折思います。
なぜこんなにも私は愚かなのかと。
おそらくその答えは、先祖代々受け継がれし知能的なアレのせいです。
そういうことにしましょう。
そういうことにしておかないと、私の行動に非が出ることになってしまいます。
全ては先祖があんまし良くなかったから仕方ないよね、ということにしておきましょう。
Switchもソシャゲも楽しいもんね、仕方ないよね。うん。
たぶん、私が低所得者であることや、料理があんまり得意じゃないこと、最近米が買えなくて困っていたことなども先祖のせいです。
こんなに一生懸命働いているのに、所得が少ない理由を自分の中に求めてしまうと、苦しくて死んじゃうので遺伝的貧困だということにしてビールでも飲みましょうよ。
金もないし、頭も良くないけど健康でお酒が飲めて楽しく幸せでいられるなら、受け継がれし愚かさも悪くないなとたまに思います。
p.s.よくわからない散文的な文章になってしまうのも先祖のせいかと思うので今日は線香を上げます。