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往復書簡 人への興味ってこれかな

ごめんごめん。書こう書こうと思いながら、文章を書く気になれず。すっかり寒い季節になってしまった。いかがお過ごしでしょうか。

まずはもらった質問から。

この文章への返答では、冬の食べ物で好きなものを一つ教えてください。

冬にしか食べられないシュトーレンが好き。
そもそもの味も好きだし、変化を楽しんでいける感じも良い。

買った初日に食べると「ん?こんなもんだったっけ?」と思うけど、徐々にドライフルーツやナッツや砂糖が馴染んできて、美味しさの記録更新していく感じがいい。今年も買ってから2週間後くらいに食べた時が一番おいしかった。

もうクリスマス近くなってしまったけど、まだギリギリ間に合うと思うので、見つかればぜひ。

あと、今年気づいたけど、具が多めの汁物を食べると多幸感がすごい。毎週豚汁を作りたい気分に駆られている。

動物・赤ちゃん

電話でも少し話したけど、ここがとても気になった。

ソースは忘れてしまったけど、何年か前に、人の動物への接し方はその人の他の人への接し方だというようなことが書かれた記事を読んだことがある。

この考えめちゃくちゃ同意できる。僕も同じようなことを考えている。

僕は動物と赤ちゃんがとても怖い。

それは一言で言うと、Uncontrollableな存在であるからだと思う。話が通じない・説得できない存在というのはとても怖い。どうしていいか分からないし、自分も不安定になってしまう。

むかーし、子供について思っていたことを書いたnoteがある。
自分が出来なかったことを子供に押し付けてしまいそうだなと考えたことに気づいて書いたnoteだ。これは逆に、他者のことをControllableと捉えていたからこそ出てくる考えたと思う。でも、他者って本当はもっとどうにもできない存在なんだなと最近は思う。

Controlはできないよなと気づいた。Uncontrollableな存在に耐えられない。そんな感じだから、子どもが欲しいと思うのはまだまだ先だろうなぁと思っている。だからまずは動物と触れ合うことからスタートというのはとても納得いく。

人そのものへの興味ってなんだろう

これもとても気になった。

自分を分析してみると、どうもおいらは人そのものに興味があるわけではなく、その人がやっていることに興味を持っていたのだ。

つまり自分にとって刺激になる何か(仕事や趣味や活動)をやっていない人との対話が難しいのだ。

自分の場合は少し違っていて、同じコンテンツを共有できれば話したくなるというのがある。(というか裏返して、同じコンテンツに興味がある人とかじゃないと、何を話せばいいんだ…となってしまう。笑)
その人に興味があるっていうよりも、自分が感じていることを確かめるような感じ。それって、その人には興味がないってことだよなぁと思っている。

じゃあ、その人に興味があるってどういうことなんだろう?と考えてみる。それはその人がどう考えるかに興味があるということだと思う。

ある刺激を受けたときにどう考えたり・行動したりするかは人それぞれで異なっている。その反応がその人そのものという気がする。

こう考えると結局、何かのコンテンツの話をしていたとしても、それはコンテンツを媒介にして、その人そのものを受け取っている訳だから、何の話をしていたとしても対話になり得るんじゃないかなぁとも思った。

(ただし例外もあって、その人の頭で考えた形跡がみえない時、ただただ常識に従っていたり、定型文で喋っている時にはその人に触れていなくて、対話になっていないのかもしれない。僕はずっとそんな感じだったなぁと思う。個性を消して目立たないようにすると透明な存在になってしまう。大人数が居るときには特にこんな感じになってしまう。)

・共有できる話題(これは必ずしも共感できるじゃなくてよい)があること
・相手の意見を受け入れられること
・誠実に自分の考えを伝えられること
といった条件がそろえば、対話になり得るのかなと思った。

と、ここまで書いてきたけどこんな対話ができるのって数人しかいないな。笑

結び

こちらもまたコロナが拡大していて、この年末年始は地元には帰らないことにしました。ワクチン接種の話が報じられたりしてきて、少しずつ、無理のないニューノーマルが見えてきたりもしている。来年くらいにはどこかで会えるといいね。波乱の2020年だったけど、良いお年を。

この返事では手軽にできるストレス解消法を教えてください。

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