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往復書簡 誰かの目を通して、自分の目を通して

お返事ありがとう。

こちら日本はGW真っ只中。とはいえ、また緊急事態宣言がちらほらと出ている影響で、GWの予定は無くなり、近所のファミレスでこれを書いています。

誰かの目を通して、自分の目を通して

ポストカードも届いた。ありがとう。

存在としての人や作品そのものはあるけど、その解釈は受け取り手によるから、受け取り手の数だけ人も作品もあるという話とても面白かった。それに関連した最近感じた話を。

エッセイを読むのが好きでよく読んでる。エッセイの魅力は作者の目を借りて、自分では気づかない(けど、よく考えると確かにそれは引っかかる、不思議だなと思う)ことに気づけることだと思ってる。

これを君の考えに当てはめると、僕は何かの作品を見た時に、作者はこういう風に世界を見ているのかぁと感じられるところに魅力を感じていたことになる。

だが、なるほど。描かれた作品の全ての部分から等しく興味を惹かれるわけではなくて、この部分が好きだなとか、ある面が強調されたり、歪曲した形で解釈することになる。

つまり、僕は作者の目を借りて世界を見ていたように思っていたけど、正しくは作者の目で見た世界を、僕の目で見ていて、僕なりの形で作者の視点を面白いと思っていたことになる。

思っていたよりもう一段階深いプロセスになっているな。だから面白いのかと思った。

完成について

作品の完成について教えてくれてありがとう。

これ以上何かを加えると逆に質が下がると判断した時点で完成とする。

これを聞いて高校の美術の時のことを思い出した。学校の敷地内の好きなところを描くという課題で、風景を描いていた。自分の中では完成したと思っていたけど、授業時間はまだあるから、手持ち無沙汰に感じたり、無駄な線を描き足したりしたことがあった。

自分が見ている景色とキャンバス上のそれは似ても似つかないんだけど、自分の画力を鑑みると、手持ち無沙汰だなと感じた時点であの絵は完成していたんだな。完成ということが少しつかめた気がする。

いつ完成と決めるか問題には永遠と答えが出るものでもないと思うと言わせて下さい。そして偶然が決めるものでもある。
ただ、一旦完成したと決めても、改善の余地があるならば未完に戻す。
そう言う柔軟な感覚を今現在持てていることには満足しています。

これもとても面白い。毎日気分や調子は違うし、数か月経つと考え方が大きく変わることもある。そうするとその時感じる完成は当然変わってくる。"完成"という言葉にある種の絶対性、神聖さを感じていたけど、"完成"もあくまで暫定的なものなんだなと思った。

最も影響を与えた本を三冊教えて下さい。

本の前に気づいたことを。僕は「影響を"受けた"曲」と書き、君は「影響を"与えた"曲、本」と書いた。何かここに大きな違いが隠されている気がする。

本かぁ…難しい…

僕が本を読むようになったのって、20代も半ばに差し掛かろうかという時なので、幼い頃に読んだあの本が自分の人格形成に影響を及ぼした!と言うよりかは、もう20代にもなったけど自分がどういう人間なのか分からないので、それを知り、もう少し生きやすくなるためという目的の中で出会った本だ。なので、なんというか偏りがある気がする。笑

まずはこの本かな。仕事が上手くいかずに落ち込みがちで、自分ってなんなんだろうと悩んで、自分の状態を表す医学的な分類をすがるように探していた時があった。発達障害?アダルトチルドレン?HSP?とか色々探していたけど、この本の中で取り上げられている"過敏型自己愛"という概念がとてもしっくりきた。自信があるのに自信がないそんな矛盾した自分のことを掴めた気がする。それ以来、自分は何に当てはまるんだろうと探すことはほとんど辞めたと思う。そういう意味でかなり影響を受けた。

誇大的で他者評価に鈍感である 無関心型(The Oblivious Narcissist)と,誇大的でありながらも恥の感覚が強く他者評価に敏 感な過敏型(The Hypervigilant Narcissist)という2種類の自己愛

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清水、中山、小塩 (2013) “2種類の自己愛”モデルにおける相互関係の検討

そんなこんなで、自分がどういう状態か分かったけど、だからと言って生きづらいの変わらねぇじゃねぇか!とも思ってて。そういう時の指針の一つになったのがこの本。

他の人を小馬鹿にしたうがったモノの見方が、自分自身を縛っていることに気づいた。あの人のあの言動なんかイやだなと思っていたけど、実は本当は自分もそうしたいけどできていないという深層心理が自分を守るために他人を非難するという形をとる。

そんなことを繰り返していると自分が何が好きなのか分からなくなるし、好きなことをすることからどんどん遠ざかっていく。

そういうナナメなモノの見方の権化のようだった若林が、そこから脱却した方が楽しいと言ってくれている本。(しかし、生きやすいかと言うとそうではないようだけど笑)

君がワンオクの曲から感じ取ったことと実は近いのかもしれないなと思った。

最後の一冊は迷ったけどこれかなぁ。

暇とは時間が余っている状態、退屈とは自分が感じる満たされないなという感情。似たように使われがちな単語だけど、指し示していることは違う。

仕事にやりがいを見出せない、なんか違う、退屈だと考えた時に、どうすれば退屈でなくなるんだろうと思い、この本を読んだ。

学ぶことは新たな刺激を受け取れるようになることだ。ここでいう学ぶは狭い意味での学問じゃなくて、もっと広い学びを含む。新たなことを知ることで受け取れる刺激を増やしていく。それが人生の楽しみ方の一つの道だと思うようになった。

この本は今後も繰り返し読むことになると思う。

最後に

次の返信では、もし今中学校の同窓会があったら、誰(本名は伏せてもらって笑)と何を話したいかを教えてください。難しければ、今誰と会って話したいかを教えてください。

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