いいねが欲しいはとまらない
夏休みのnote 6日目です。
いいねが欲しい
noteを書いた翌日、朝起きると布団から出るより先に寝ぼけまなこでnoteを開き、いいね(noteではスキか)がついていないかを見る。
というか、深夜に起きて確認してしまう時すらある。
そして、「あ、ついていない」と落ち込むか、
「お、ついていてる」と思っても「あ、ハッシュタグで出てくるnote全てにいいねをつけている人や」と気づいて落ち込むことがほとんどだ。
twitterでも「これは良いこと書いたな~」と思ったり、作品の感想ツイートをした時には"いいね"や"リツイート"されないかとソワソワしてしまう。
しかし、大体は何事もなく、TLは流れていく。
バズったことはない
そんなこんなで、いいねを期待するもバズったことはない。
そりゃそうだ。
フォロワーも少ないし、何より内容も特筆すべきところはない。
独特の切り口で時事を切っているわけでもないし、
専門知識があるわけでもないし、
大喜利的な面白さがあるわけでもないし、
作品を載せているわけでもないし、
つまり何かをクリエイトしていない。
本当に人から大きな注目を得たいならば、何を載せるのかやどう載せるのか方針を変えないといけない。
バズりたいのか…?
でも、果たしてバズりたいのかと言われるとなんか違う気がする。
むしろバズったらバズったで増えていく反応を怖く思うだろうし、否定的なコメントが出てきたら傷ついてしまうだろう。
バズりたいと思う気持ちもあるにはあるが、なにか違う気がする。
いいねを求める気持ちの根っこはどこにあるだろうか。
孤独を埋めたい
自分にとって、いいねが欲しい理由の一つは"孤独を埋めたい"だと思う。
・ふと考えたことが、自分だけが考えていることじゃなく他の誰かも感じていることなんじゃないか?
・今自分が苦しんでいることと似たことに誰かも苦しんでいるんじゃないか?
・周りには好きな人がいないけど、あのアーティストの良さだれかわかってくれるよね?
・アーティストに感想を伝えることで繋がっていることを感じたい。
そんな孤独な気持ちがだれかに拾ってもらえるように、インターネットという大海原にメッセージボトルを投げ込んでいる。
もし、共感してくれたら"いいね"をくれるだろうという期待の元、"いいね"を待っている。
そうか。いいねを得ることで孤独を埋めたいんだな。
人より優れていたい
"他の人より自分の考えのが優れているぞ"と誇示したい。これも理由だと思う。
ツイートやnoteを書いている時、人からどう見えるかをとても気にしてしまう。
自分だけしかできない何か特別なことを書かなければ。。
人より優れていなければ。。
そんな自意識を抱えながらSNSを書いている。
いいねの数である程度それが可視化されてしまうから、なんとかいいねがついて、自分の優位性が証明されないかと願ってしまう。
そんな心性も多分にある。
じゃあ、いいね依存しないためには?
そう考えると、いいねに過敏に反応しないためには?どうすればよいだろうか。
・孤独を埋めるために不特定多数に意見を投げず、特定の人に投げかける。 (できるかも)
・そのために友達を増やす。(ムズイ)
・人との比較でぶれない自己像を作る (めっちゃムズイ)
(ちなみに余談だが、友達が欲しいなぁというのは最近ずっと思っていて、下記の本を読んでその気持ちはさらに強くなった。)
いやぁ難しい。難しい。
結局、いいねを気にしてしまう心性は簡単には変わらないことがわかりましたが、自分の気持ちを区分できたので良かったとしよう。
ああ。今日もソワソワして寝て、明日の朝ドキドキしながらスマホを開くんだろうな。