10月3日 額のにきび
5時くらいに目が覚めてしまった。まだ起きたくはないので寝ようとするけど、すぐに目が開いてしまう。先日整体に行った時、「○○さん(本名)は体の力を抜くのが苦手ですね、重力を意識して力を抜いて下さい」と言われた。眠れないけどせめて力を抜こうと、重力を感じて、少しだけベッドに沈み込んで時間を過ごした。
通勤途中で髭男爵山田ルイ53世のルネッサンスラジオを一年以上ぶりくらいに聴いた。そしたら、なんと今日生配信があるという。単なる偶然ではあるけど、それを単なる偶然と思うか、ラッキーなことと思うかはこっちに委ねられている。
ルネラジを聴きたくなる時は大体疲れている時だと分かっている。ルネラジに届く不幸メールを聴いて、下には下がいると思いたいからというのとはまた違ってる。不幸を過度ではない笑い話にしてしまうところに何だかフッと気の張りが少し緩むからかなぁと思う。こだまさんの本を読む時にも同じようなことを思う。そういえば昨日、こだまさんの本を読みながら山手線を1.5周した。
今日も今日とて、ひどく疲れてしまった。人ごとに違う考えのバランスを何とか取ろうとして疲れる。何から手を打とうか考えようとして上手くいかずに疲れる。誰かの考えに従うことで、別の人からは疎ましく思われてるのではと感じてしまい疲れる。不機嫌な話し振りに触れるだけで疲れる。
こう書き出してみるとそりゃ疲れるわ。と思った。
帰りに本屋さんに寄る。早く買いたかったくどうれいんさんの「虎のたましい人魚の涙」を買った。売り場にあった枡野浩一さんの歌集も買った。
という一節があった。死んだような目で本屋に立ち寄って、ぱらっと開いた枡野浩一さんの歌集にぎゅっと心を掴まれたさっきの自分もそうだったと思った。
5年前までエッセイや短歌を読んだこともない自分だったのになんだか不思議だ。
感じられることが増えたんじゃないかなぁ。そう思うと悪くないような気がするけど、感じ取ってしまって疲れることも増えたんじゃないかとも思う。いやそれでも。
こめかみから額あたりに手を当てて、頭を悩ませながら歩く。大したことは思いつかないけど、ニキビが増えているのを感じる。
そういえば、応募した日経のラップコンテストの選考落ちたという連絡が来た。リリックは結構良いのが書けたんじゃないかと思う一方で、声とフロウが悲しくなる出来だったからそりゃそうだよなと思うけど、審査員も見る目がないなぁ〜という謎の自信もあった。ボースティングの文化のお陰かもしれない。賞金とかなんとかは別にどうでもいいんだけど、お客さんがいるクラブでラップをしたらどういう気持ちだったんだろうか?それは心残りだ。
せめて(?)ここにリリックを置いておいて供養しておこう。
30歳に向かう何かしらの表明にはなったと思う。